第36話 奴隷少女と宿命 4-1
キラキラ、ピカピカ、光るは金か銀か宝石か。
手の混んだ衣装は果たして本当に肌へ触れているのか分からないほど軽く優しく上等な仕立。
スルリと櫛を引かれる髪は天上の生糸のように艷やかで、空気を含むたびほんのりと纏っている香りは大切に育てられた花々によく似ている。
化粧はほとんど行わない。
軽く唇に紅をのせ、頬に僅かな赤みを見せるだけに留まったのは、それだけ元が良いからと言えるだろう。
「素晴らしい! これはなんとも見事だ!」
嬉しそうに一人の男が褒め称えた。
整えたヒゲが特徴的な紳士服。髪には白髪が混じっており、その黒色のメガネの向こうで果たして何を考えているのか窺い知る術はない。ただ何となく今は金勘定をしているのだろうという気がした。
「まったく、見つけた時は傷物にでもされてしまっていないか心配したが、以前見た時以上にして返してくれるとはな。これは感謝状の一つでも送ってやらねばなるまい。」
幾ばくかの金銭――手切れ金と共に。
ククク、と笑う姿はいかにも悪いものだ。
もっとも悪いのは姿だけではない事を知っている。
この男が、奴隷商のタボラが裏で何をしているか。どうやって奴隷たちを安定的に手に入れているのか……。
「しかしお前も残念だったなぁ。まさか魔物に馬車が襲われて死んだと思われて、一番高値で買ってくださるお客様たちへの展示が間に合わなくなるなんて。これからここへ来る相手も悪くはないのだが、やはり一歩劣るからなぁ。」
残念なのはタボラの懐だろう。
逃げることを諦めてから既に少女は人形なのだ。
人形は残念に思うこともないし、悲しいとか悔しいとか、そういった感情を抱くことだってない。
「まあ、それでもお客様はお客様だ。なるべく高くお買いいただく為にも、しっかり頼んだぞ?」
一通りの作業が終わり、少女の飾り付けを行っていた女たちが離れる。
最後にタボラが息のかかるほどに顔を近づけ舐めるように全身を見て再確認をし、ようやく準備は整った。
タボラが「運べ。」と後ろに控えていた部下の一人に命じる。
部下の男は付いてくるように少女へ顎で指示を出し部屋の扉を開いた。少女は素直に続いた。
それほど遠くない位置に目的の部屋はある。
沢山ある瓜二つの部屋の一つ。
家具と呼べるものが部屋の中央にあるベッドのみで、上物の絨毯は敷かれているが壁飾りやテーブルなどは一つも見当たらない籠のような空間。
サレナはただ人形のようにベッドの上に座らせられる。
部下の男は特に関心を持たずに部屋の外へ出ていき、閉じられた扉からカチリと鍵のかかる音がした。
ぼうっと天井を見上げる。
光を発する魔法の石は直接天上に埋め込まれ、決まった言葉を言えば明るさを調節できるタイプのもの。当然ながらサレナは彼らに教えられていない。商品が客に迷惑をかけないように、という判断からだ。
何気なく一つの単語を口にした。
感情のこもらない空虚な言葉ではあったが、それでも魔法の石は己の役割を全うして部屋が少し暗くなる。
ああ、そうか。
「“この手の魔具は基本的に共通の規格で作られている”でしたっけ。」
短い間に教えられた数々のもの。
もう一度、今度は別な単語を天井に向かって呟いてみる。
今度は眩しいほどに光りの石は輝きを増して部屋を真っ白に染め上げた。
短き幸せの中、確かに自分の中に残るものはあったのだ。あの日々は夢ではなかった。
途端に心で激情が暴れ狂う。
悲しく、苦しく、辛く、虚しく、恐ろしい。
これから己の身がどうなってしまうかなど些細な事だ。
自分が自分でなくなってしまう。大切な記憶がいつか消えてしまう。サレナとしての小さな思い出が人形の日々に塗りつぶされてしまう。それが怖くてたまらなかった。
今でさえ、何気ない囁きが無ければ心が人形から解放される事は無かったのだ。
震える自分の体を抱きしめるようにして腕に力を込める。
逃げたい。逃げたい。逃げられない。
惨劇を思い出す。
彼らの元へ逃げたら、またきっと酷い事が起きるに違いない。
あの日に見た地獄。火が村を森を全てを焼き尽くしていく光景。悲鳴が、叫びが、祈りが易々と踏みにじられて次々に刈り取られていく悪夢が再び、今度は彼らに降りかかるかもしれない。
欲望のために弱きものを平気で蹂躙するのが、ここの者たちなのだ。
大切な人たちだから、救ってくれた優しい人たちだから、傷つく姿を見たくはない。
彼らが傷けられるくらいなら、そんな光景を見てしまうくらいなら自分が自分で無くなる方がずっとマシだ。
震えは止まらない。
でも心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
そう。自分が失われるだけで守られる者たちがいるのなら、それで良いのだ。
誰もが救われる世界では無い。だから誰かの決意によって救われる誰か、その奇跡に感謝をするのだ。
今度は、今度だけはこんな自分に選ぶ権利が与えられたのだから。
震えは止まらない。
サレナは俯けていた顔を上げて煌々と部屋を照らす光を見た。
酷く眩しいそれを一言で沈める。瞬く間に部屋は暗黒によりあっけなく占領された。
本当は少しだけ、星明りのようにか弱い姿で部屋を照らすようにしたはずなのだが、先ほどの強烈な光にスッカリ慣れてしまっていたが為に、真っ暗にしか見えなくなってしまっていた。
耳を澄ましてみても外から足音は一つも聞こえない。
まだ“新しい主人たち”が来るまでは時間がかかるのだろう。
サレナはゴロリとベッドに横たわってうつ伏せになる。そして顔をギュッとシーツへと押し付けた。
化粧が落ちるとか、シーツが汚れるとか、後から何か言われるかもしれないが知った事ではない。
今の自分は人形ではないから、心を落ち着けるために必要だと思う事をしているだけなのだ。
嗅ぎなれない臭いに些かの違和感が湧いてくる。
それは魔法で乾燥させたもの特有の香りで好む者も多い。サレナも最近まではこの匂いが好きだったが、今はお日様をいっぱいに浴びたカラカラのシーツの方が好きになってしまっていた。
キュッと胸が締め付けられる。
何をしても頭の中に浮かんでくる思い出で苦しくなる、
だからより強くシーツに顔を押し付けた。体が意思と関係なく心に従って勝手に動いた。
どれだけの間、そうしてジッとしていたのだろう。
一瞬だったような気もするし、何日も時が過ぎて行ったような気もする。
ただ気怠さの一つもなく、相も変わらず緊張と小さな震えの残る体が眠れてはいない事を教えてくれていた。
体を起こしてサレナはベッドから降りる。
扉の方へと向かうとそっと耳をくっつけて外から誰かが近寄ってくる音が無いか確かめようとして。
――突如天地がひっくり返り、扉は綿菓子のように容易く壊れた。
体は外へと投げ出され、ガタガタと揺れる世界が一瞬だけ瞳に映る。
世界がどうにかなってしまったのか。真実も分からぬままゴツンと頭を打って意識が途切れた。
唐牛でガラガラとあちこちから雪崩のように壁や天井や床の崩れる音が聞こえた気がした。
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