第33話 奴隷少女と宿命 3-1
昼間だというのに薄暗い道。
薄っすら残る水たまりは何処からか漏れ出して残しているのか、それとも数日前の雨から残っているものか。
ピチャリ、ピチャリ、ピチャリ。
水の跳ねる音はすれども、音と共に波紋があらわれども、そこには何人の影も形も無い。
ピチャリ。
また音がする。
脇の細い道の先からだ。
足音と共に姿を現したのは鼠色のマントを羽織った男。
色合いは非常にこの場に溶け込んでいるが、見るからに良い生地で仕立てられているがために、この場にあることの不自然さは際立っていた。
マントの男は急いだ様子で路地の中を進んでいく。
やがて先に見えてきたのは巨大な建物、その裏口と思われる扉。
「ん?」
僅かな違和感に男は振り返る。
「……気のせいか。」
何も変わらないお世辞でも綺麗とは言えない薄暗い道。
そこには浮浪者の姿どころかネズミの一匹も見て取ることはできなかった。
気を取り直して男は扉を叩き、問いかけに「欲深き者。」と答える。扉は間もなく開いて男は外へ漏れ出す光の中へと姿を消した。
扉が閉じ、すっかり静かになって十秒、二十秒、三十秒――と時間が流れるが何も変化は起きない。
そうしてようやく、シュウは虚空の中から姿を現した。
クリュスから貰った姿を隠す一握り程度の小さな箱。
複数半ば押し付けられるように貸して貰った不思議な道具の一つだ。
残念ながらこれは有効な効果時間に限りがあるタイプだそうで、必要と想定している場面以外では温存しながら使わなければいけないと何度も注意を受けている。
シュウは辺りを見回して誰もいない事を確認してから緊張した面持ちで扉を叩いた。
「合言葉は?」
「欲深き者。」
「オーケーだ。入れ。」
ガチャリと鍵の外される音と共に扉が開き始め、それに合わせてシュウは再び姿を隠す。
当然、仲間が来たと思った相手は姿が見えないことを訝しく思って、一度確認のために外へと出てくるだろう。そうしている間にシュウは開いたままの扉から屋内へ無事侵入した。
小さなテーブルが一つに椅子が二つ。天井に下がった安物の光石が屋内を照らしているが、若干の薄暗さは否めない。テーブルの上には酒瓶の代わりに温い水の入ったピッチャーが置かれ、小さなヒビの入ったグラスは空っぽで乾いていた。
シュウはまだ見張り役が戻ってこない事を確認して更に奥へと続く扉へ潜り込んだ。
事前の情報通り薄暗い廊下からは二つの道が続いている。
一つはまっすぐ前へ伸びる道で一番奥の突き当りには薄っすら光の漏れ出ている扉。
もう一つは右に折れた短い通路で行き止まり。
迷いなくシュウは後者、行き止まりの方へと足を踏み入れて突き当りまで向かうとしゃがみ込んだ。石が剥き出しの床を撫でるようにしていくと指先に僅かな引っ掛かりを見つける。その周辺を重点的に調べてみれば取り外しの出来る蓋であることが分かった。
蓋は見た目こそ石だが別な素材で作られているようで、持ち上げるのに苦労の無い重さだ。
姿を現したのはポッカリと空いた浅い穴、その先には続く下へ下へと延びる階段。
シュウは素早く中へ入って元のように蓋をする。
明かりが無く漆黒が世界を支配する中、少しの間だけ耳を澄ませて何者か近づいてこないかという事を確認してからホッと一息ついた。
「しかし、本当にあったな。」
姿隠しの効果を解除してから、ランタンのような形をした弱い光を出す魔具を使って手元を明るくし、一枚の紙をポケットより取り出す。
それはログ経由でギルドから渡されたこの建物の図面だ。
一枚は公的に提出されているものの映しで、もう一つはこの建物の建築依頼を受けた人物の元から“盗み出して”来たものらしい。
元々、ギルド側も執政側もここの奴隷商の事は怪しいと踏んでいたようで調査は進めていたそうだ。だが“これ”というような証拠は一向に見つからず、特に不正な手は基本的に禁じ手としている執政側は行き詰っていたらしい。
一方でギルド側も手に入れたのは一枚の、あるはずの無い部屋の描かれた図面のみで、具体的にそこで何が行われているかなどは噂程度しか情報が無い。
しかし何か隠したいものがあるのは事実だろう。
そこで潜り込ませる調査役をどうするかと考えていたところで、サレナの件が起きた。
本命は別だとログは言っていたが、これ幸いとシュウに調査させることに決めたらしい。
新人なら最悪バレても、“未熟者が勝手に暴走した”尻と尾切りが出来るという判断だそうだ。酷い話だが。
不正が見つかれば奴隷商は間違いなく裁かれることになり、十中八九ここにある全てが無慈悲に没収される事になる――そういう法律があるらしい――そうだ。余程歴史的、文化的、技術的な価値のあるものでない限り早い者勝ちの公売となるから、後は公正な手続きで引き取れば良い。
特に奴隷は保管に衣食住が必要になる事から早々に手放したいので、余程の上物でない限りは二束三文で売りに出してしまうとはログの談。
シュウは図面を睨むようにして今の自分が目的の場所、そこへ続く通路の出入り口にあることを確認する。
現在地、それから本来の図面には記されていない隠し部屋へと指を滑らせ、視線を紙から闇の広がる階段へ。
これで行き先が間違っていた、などとなれば目も当てられない。慎重に何度も何度も確かめ、確信を持ってシュウはようやく図面を仕舞った。
明かりの光を更に絞って身を低くしながら階段を下りていく。
両手が塞がってしまう事になるが、いつでも起動ができるように姿隠しは手に持ったままだ。
物音へ意識を集中させながら進んだが、幸運にも心配は杞憂に終わって頑丈な金属製の扉の前まで特に誰かとすれ違うようなことはなかった。
シュウは扉を照らして全体を見ていく。
どうやら開けるにはカギを使った上で、ドアノブ代わりのハンドルを回す必要があるようだ。
入って真っすぐに来たが故に当然ながらカギなど持っていない。
しかし図面を見た時からこの事は既に予想していた事だった。
一度明かりを床に置き、異空間からの一本の細い棒を取り出す。
長さは開いた手より少し大きく、太さは親指よりやや細い。装飾の類などは無く片一方の先端は一回り小さくなっていて押し込めるようになっていた。
何も無い側の先端を、鍵穴を入れる穴へ近づけてカチリと音がするまで押し込みを押す。
そして適当に動かしていると“ガチャリ”と鍵の開く音がした。
どういう理屈はサッパリわからないが、クリュス曰く“磁場を利用した簡単な鍵開け道具”らしく、原始的なごく普通の金属製のものにしか通用しないそうだ。
未知の道具に感謝しながらハンドルを回し、姿隠しを使ってから押し開けた。
「うえぇ……。」
むせ返るような異臭。
生臭いような、鉄っぽいような。それでいて何処か芳香なものもあり、頭の奥がピリピリしてボンヤリとして来る、なんとも不思議で不気味で不快感をもたらす臭いだ。
人によるのかもしれないが、少なくともシュウは些か気分が悪くなった。
そこは広く、高く、床は石ではなく木の板が敷き詰められている。天井など燭台の光と思われるものがボンヤリ見えるが空間全体を照らしきるには全く足りていない。薄っすら雲の立ち込めた夜のような、目が慣れてくれば唐牛でそれなりに先にある物の輪郭が見えるぐらいだ。
どうしてこれ程までに暗くしておくのか。
ここへ通じる階段もそうだったが、訪れるのに必ず明かりを持たなければならず不便だろうに。
奥へ、この空間の中心へ向かって行くと、その答えと思われる光景が現れた。
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