第31話 奴隷少女と宿命 2-4

 「どうする?! どうすればいい!」

 ゴーマは取り乱した様子で柵の前に集まる仲間たちに問いかける。

 あれもこれも、今回は何もかもが予想外ばかりだ。

 だが今、この状況に置いて真っ先に考えなければいけないのはログを逃がす事だろう。

 つまりは目の前に立ちふさがる柵を破壊する方法を見つければ良い。

 幸運にも魔物たちが襲ってくる気配はない上に、柵よりも手前であれば階段までの道に立ち塞がるものは現時点で何も無い。つまり広場の外であれば逃げることは容易と思われる。

 「こっちもダメでした。」

 慌ただしく客席から降りてきた足音の主、比較的若い冒険者たちは首を横に振った。

 「客席から広場へは一見して何も無いように見えますが、不可視の壁のようなものが張られているようです。しかも異様に硬くて、武器も魔法も全く効果がありませんでした。」

 「そうか、分かった。どこかに隙間の一つでもないか続けて探してくれ。」

 「分かりました。」

 他のメンバーにも同じように、広場と場外とを繋ぐ穴が些細なものでも空いていないか探すよう指示を出す。

 「クソッ。」と小さく悪態をついてジベレーはログの方へと視線を向けた。

 「どうにか持ちこたえてくれよ……。」


 広場の中央近くまで来ると骨頭は恭しくログへ一礼した。

 ログも一応、同じように「どうも。」と頭を下げてから様子を見守る。

 不意打ちを行うのなら今のこの瞬間ほど最適な時はないだろう。もちろん、それを知っていてログは誘っているのだが。勘か、それとも戦士としての矜持が魔物にもあるのか、骨頭は背を向けて距離を取り始めた。

 立ち止まりようやく手に持った獲物は巨大な斧。

 持ち手に凝った装飾なども施された非常に立派なものだ。巨人の国の宝物庫、更にその奥の奥でホコリを被っていたのを持ってきたと言われても納得できそうなお宝だろう。

 骨頭は斧を構える。

 しかし手を出してくる素振りは無かった。

 いったい、何のつもりなのか。

 まるで何かを待っているかのように見える姿に、ログは一つの可能性を思いつく。

 そして確かめるため、生成魔法により一本のシンプルな槍を作り出し構えた。

 途端に重々しい鐘の音が鳴り響き、骨頭は腹の底からの咆哮を上げて大地を震撼させる。

 「まったく、調子がくる――。」

 軽口を叩いていた最中、開幕した殺し合いの波は最後まで言葉を言わせない。

 目にも止まらぬという言葉はあれど、それを体感することになる機会などそうそうないだろう。それが見るからに鈍重そうな筋肉の塊である巨体ならば尚更だ。

 少なく見積もっても骨頭の大股でも十歩程度あった距離はまばたきの瞬間に消えていた。

 振り上げられていた斧は上段から振り下ろされると見せかけて途中から急に軌道を変え、横から大木をなぎ倒すような一撃が振るわれた。

 間一髪で槍はログの体と斧との間に挟まるも、その体はまるで風に吹かれた木の葉のように軽々と吹っ飛ぶ。観戦する誰もが気がつくよりも早く広場を囲う壁へと叩きつけられ、その衝撃を持ってようやく見ていた全員が起きた事態を理解した。

 会場から湧き上がるのは魔物たちの歓声と冒険者たちの悲鳴。

 しかし骨頭はジッと砂埃の立ち込める先を見据えたまま、武器を降ろそうとはしなかった。

 「あーあ、まったくなんて馬鹿力だよ。」

 ザッザ、と砂を擦るような靴の音。

 ログはピンピンした様子で再び姿を現し、見守っている魔物たちは驚きに凍り付く。


 「いった、どうして?」

 当然の疑問をゴーマの隣にいた冒険者の一人が呟いた。

 まったく同じ意見だ。

 見えたのは斧が槍に横から打ち込まれた瞬間と、衝撃と共に壁から土埃が舞い上がった瞬間。

 何が起きたのか理解できずとも、ログが最初の一撃で容易く吹き飛ばされ、壁に打ち付けられ、一瞬にして勝敗が決したというのは瞬時に分かった。

 なのに、何故あの男は立っていられるのだ?

 なぜ何事も無かったかのように歩いているのだ?

 いったいどんなカラクリがあるというのか。

 『念のためだったが、準備しといて良かったよ。ホント。』

 準備? いったいどんな?

 その答えはログが槍を地面に突き立てた瞬間に示された。

 ログの地面に、頭上に、脇に、周囲に姿を現したのは光り輝く記号のようなもの。

 それぞれが複数の直線のみで構成された、ジベレーは見た事の無いものだ。

 「うそ、あれって……まさか……。」

 「なんだ、どうした?」

 「あれ、ルーンですよ! 間違いありません。」

 「ルーン? それの何が驚くことなんだ?」

 「あり得ないんです! ルーンの魔法はずっと昔に“殆ど失われた魔法”なんですよ! 今残っているのはせいぜい三つか四つ、あんなに沢山あるわけがないんです!!」

 「おい、何言っているんだ。どう見たって十以上あるぞ?」

 「だから、あり得ないんですってば。」

 ゴーマは他の魔法使いたちも同意見なのかと見回した。

 見たところ全員ではないが、恐らくはルーンを知っているだろう者たちは誰もが顔を青くして見ている。まるであり得ざる幻でも見せられたかのように。

 その姿を見れば魔法に精通していなくても分かる。

 今、目の前であり得ない事が起きているのだと。


 「さて、こっちの準備が整うまで大人しく待っていてくれて助かったぜ。それとも警戒して近づいてこなかっただけか?」

 どっちでも良いが。

 ログは軽く屈み足に力を溜め、一気に開放する。

 光の如き神速で瞬く間に距離を詰め、先ほどのお返しとばかりに横から槍を振るった。

 骨頭は一瞬だが反応が遅れ、その一撃を斧で防ぐのが間に合わないと本能で理解する。同時に獲物を持っていない方の腕に力を込めて筋肉を鋼のようにし、盾の代わりとして受けた。

 ミシリと骨の軋む音が聞こえ、同時に巨体は引きずられたような足の跡を残し後方へ弾かれる。

 その体が壁の少し手前で止まり骨頭が実に楽しそうに、吠えるような声で笑った。

 「おかしいな、骨の一本は持っていったと思っていたんだが。」

 先ほどのログ同様にピンピンした様子の骨頭の、その頑丈さに苦い顔をする。

 ダメージが無いわけではないだろうが、この程度では準備運動にしかなっていなさそうだ。

 溜息一つ。再び二者は互いに武器を構え、互いに飛び出した。

本気の打ち合いの始まりだ。

 一撃一撃全が必殺の気合を込めたもの。衝撃が、風を切る音が、咆哮が観客壁へ鉄砲水のように押し寄せる。

 二者は幾度もの打ち合いを行う。しかし時間が経つにつれて互いに理解し始めた。

 必殺は必殺となってはいない。

 双方ともに決め手に欠け、攻めと守りの交代はあっても決定的な一打として振るわれた攻撃は見事に防がれてしまう。その結果として戦いは消耗戦の様相を見せ始めている。

 「あまり時間はないんだがなぁ。」

 ログは舌打ちをした。


 「不味いな……。」

 時を同じくしてゴーマが険しい顔で呟く。

 「何がですか? 一進一退ではありますが、傷は向こうの方が増えて来ていますし、このまま想定外の事態が起きなければ勝てそうですが。」

 「いいや、間違いなくこっちが不利だ。同格程度の魔物を相手に消耗戦に入ったら、まず間違いなく人は魔物に勝てない。」

 「そ、そうなんですか?」

 ゴーマは頷く。

 人と魔物の戦闘力における最大の差は何か。

 牙? 爪? 頭脳? 肉体? 数? いいや圧倒的な持久力だ。

 心肺機能もそうだが、そもそも魔物は厳しい生存競争という戦いの中に最適化された存在であるから、肉体の作りが人と根本的に違う。最終的に立っていた方が勝ちの世界において体力とは、純粋な力と同等の強力な武器なのだ。

 確かにログは未だ無傷で骨頭の傷は一方的に増えているように見える。

 しかしあまりに浅すぎる傷は数秒過ぎれば塞がり流れた血の跡が僅かに残るだけ。

 傷が傷として意味をなさない程度、それによる消耗など誤差の内でしかない。

 そしてもう一つ、ゴーマには危惧することがあった。

 それはログが事前に要求していた回復物資の殆どは“こちら側”にあるという事。

必要になった時にと言って荷物の受け取りを拒否されたのが原因ではあるが、いくつかの魔力石と回復薬しか持っていない今の状況はどう考えてもマズい。

 「何か方法は無いのか――。」

 唇を噛んでゴーマは目の前に立ちふさがる柵を睨みつける。

 その時、事態が一気に、最悪な方へと進んだ。

 聞こえた悲鳴は仲間たちか自分のものか。

 呆然と見つめる瞳の先にはクルクルと宙を舞う槍があった。

 ログは武器を失い、逃がさんとする骨頭の続けざまの一撃が振り下ろされ、致死の一撃をその懐へ潜り込むことでなんどか回避する。しかし傍目から見て、その判断は最悪の中の最悪だ。

 あまりに近づき過ぎてしまったが為に、もはや逃げ道は何処にもない。


 決着だ。


 勝利を確信して骨頭は薄っすら笑みを浮かべるように赤い目を歪める斧から離し空いた手を上へ伸ばした。

 この距離なら、この小さな相手なら斧でなくても十分なのだ。

 魔物たちの歓声と共に振り下ろされる剛腕の一撃。


――膝をついたのは骨頭の方だった。

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