第30話 奴隷少女と宿命 2-3

 「魔法喰らい、とは何ですか?」

 遥か地上において地下の様子を観察していた男、ジベレーは不機嫌そうな女性、アイシャに尋ねた。

 「魔法喰らいとは、文字通り魔法を喰らって自らの力に変える魔物です。帝国領では遥か南、死の砂漠でしか見られないので、存在を知っているのは魔物好きの変わり者か、世界中を旅した事のある特殊な経歴の持ち主だけでしょう。」

 傷ついた冒険者たちが手当てされている様子を巨大な魔法の鏡で見つつアイシャは答えた。

 帝国以外、特に乱心した王の国などであれば割と広く知られ恐れられている魔物ではあるのだが、国外で活動する冒険者の数は非常に少ないので知る機会が非常に限られているから、知らないのは無理のない話だろう。

 こういった帝国では見ない類の魔物に関して、何かしら知識を共有する方法を考えておくべきか。

 今度ギルドマスターに提案をしておこう、とアイシャは心の内で決める。

 「しかしログさん、ありゃ何者ですか? あの魔物の核を守っていた骨は特殊で非常に頑丈なため、普通に壊すのは困難だと聞いていたんですが。」

 「ログ様なら当然です。あの方は少々特別な経歴をお持ちですからね。しかし想定外の事態であったとはいえ、ミスリル級の冒険者でありながら取り乱して付け入るスキを与えたのは失態としか言いようもありません。あれでは生き残れる緊急事態も生き残れません。」

 いつものように魔力が溜められず、一方で敵が急に強くなっているような状況であれば即座にその関係性を見抜き、魔法の使用を中止する判断を下せなければいけない。それにアイシャの見たところでは多少判断が遅れても、きっちり対応していればゴーマたちだけでも十分に倒すことが出来た相手である。

 金までの冒険者や白金になりたての天狗になっている者なら兎も角、長くミスリルで活躍している冒険者にしては洞察力と即時の対応力が弱すぎると評価せざるを得ない。

 想定外が付きものである世界、あれでは何かあった時に生き残れないだろう。

 「最低でも修練場で一月と言いたいところですが……まあ、ゴーマさんの処遇に関しては後で考えましょう。」

 修練場、その言葉を聞いた瞬間にジベレーはブルリと体を震わせる。

 冒険者ではないから経験は無いが、伝え聞く話では御伽噺の地獄すら極楽と見紛う場所らしい。

 アイシャはようやく手当てを終えて先に進むか迷っている一行の姿を見る。

 ハッキリ言ってしまえば既に冒険者たちの仕事は終わっていた。

 彼らの使命は主の潜む最終階層までログを連れていく事であり、一つ手前の広場を攻略した時点で役目は成し遂げたも同然。それに主との戦いは一騎打ちにて行う予定であるから、地上に戻って魔物たちを復活させてしまうなどしなければ、どこで何をしていようと自由である。

 当然のようにログは次の階層へと歩を進めた。

 他の者たちは意外にも、恐れて尻込みしながらもその後に続くようだ。

 階段の先、入り口と思われるアーチの手前には左右に登りの階段がある。

 いったい何のために?

 始めて見る誰もが同じ事を考えるが、それも足を踏み込んでみれば即座に分かる。


 そこは円形の巨大な闘技場。

 巨大な壁に囲まれた丸い平らな広場、そこをグルリと取り囲むのは血沸き肉躍る戦いを楽しまんとする観客席。座る魔物たちは姿形様々ではあるが、踏み込んできた者たちの姿を見ると親切に座るためのスペースを開けるだけで襲い掛かってくる様子はない。

 驚くべきことに彼らはその体に剣を突き立てられ、首を刎ねられ、命を奪われようとも魔物たちは抵抗しなかった。ただ迷惑そうに睨んでくるだけだ。

 先の魔物の一件から何か見落としがあるのではないかと不安は拭えないが、少なくとも今現在において魔物たちから敵意や殺気の類は感じられない。向こうも気を使うように必要以上の観客席を更に作っていた。

 下手な事をしてこの場の全てを敵に回せば命はない。

 そう判断してか警戒しながらもゴーマたちは武器を手に持ったまま椅子に腰を下ろした。

 一方ログはただ一人、アーチから闘技場の中へと足を踏み入れる。

 魔物たちが挑戦者の登場に歓声を上げた。

 くぐったアーチから真っすぐ正面、ずっと先に聳える巨大な黒曜石の門はログが広場の真ん中あたりまで来るとゆっくり、ゆっくりと開いた。


 ――王者の登場に先ほど以上の歓声が闘技場を揺らす。


 一歩、影から巨大なものが足を踏み出した瞬間に薄暗かった会場に、沈黙していた美しき彫像たちの掲げる燭台たちに次々に火が灯っていく。最後に天井に聳えるあまりにも大きな宝石が太陽の如き火を纏ってこの場にある全てを明るく照らし出した。

 立ち込めていた闇は払われ影はその姿を偽りの日の下へと晒す。

 

 ――それは赤い、血のように赤い毛の体躯を持つ骨の頭を持った巨人。


 二つの角を持つ骨の牛頭、煌々とルビーのように赤く輝く光の目、人と変わらぬ形の手を持ちながら下半身は人ならざる赤き毛の獣。鋼の如き筋肉に覆われた上半身はさらけ出したまま、武器を携えるためだけのベルトと腰の布だけをその身に纏う。

 「そんな! ありえない! なんですかこれは、この光景は?!」

 「騒々しいですよ。」

 突如として声を上げたジベレーにアイシャは眉を顰める。

 「何をそんなに取り乱しているのですか?」

 「す、すみません。しかし、こんなことは初めてでして……。」

 「だから、何の話ですか?」

 「ええと、我々が長きにわたってこの迷宮を調査していた事はご存知ですね? そして今彼らがいる最後と思われる階層に挑戦しては破れていることも。しかし、しかしですよ? こんな光景は“今まで一度も”ありませんでした!」

 「確かに、報告にあった個体と容姿が多少違うようですが。」

 「いえ! いいえ!! それだけではありません。あれほど多くの魔物たちが見物客のように集まっている事も、あの門が開いたことも、煌々と真昼の如き光が灯されたことも、私達の調査では今までに一度として無かった事です!」

 観客の存在を知った瞬間からジベレーには嫌な予感がしていた。

 そして自分で説明を行いながら状況を理解するに従って、予感は明確な形を見せ始める。

 「それで、つまりどういう事ですか?」

 ジワリとアイシャの額に汗が浮かぶ。

 それはジベレーの感じている不安と同じものを感じてしまったからだろう。

 「報告した“黒毛”は主ではなかったのかもしれません。つまりミスリルの冒険者たちを悉く退け続けた、あの強大な魔物ですら偽物であり、ここに来て何故か本物が姿を現した。その可能性が非常に高いのです。」

 可能性、いや確信だ。

 今までは“手を抜かれていた”のだ。

 骨頭の姿を見た瞬間、理屈ではなく本能での確信。

 あれは今までの相手の比ではない強大な力を持つ絶対的な強者。

 遥かに離れた地上に置いて、ただ鏡の向こう側の景色を見ただけで分かる纏った空気の異様さ。

 当然ながら現場にいる冒険者たち気づかないわけもなく、彼らは行動を起こし始めていた。

 ログへ撤退の指示を大声で飛ばしながら、同時に唯一の入り口であるアーチへ向かって階段を転げ落ちるように下る。

 『は? なんだよこれ!』

 鏡の向こうから悪態が聞こえてきた。

 その理由も一目で分かる。アーチを境に広場と通路を区切る柵がいつの間にか現れていたのだ。おそらくはログが中へ足を踏み入れた時か、閉ざされた漆黒の門が開いた時か、闘技場を明かりが照らし出した時に床から突き出してきたのだろう。

 壊そうと冒険者たちは渾身の力で武器を振るうが傷一つ付かない。魔法は容易く吸い込まれていくばかりだ。

 ログは完全に退路を断たれ、ただ一人で絶望的な戦いのさなかに放り込まれたのだ。

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