第28話 奴隷少女と宿命 2-1

 準備は万端、保険もかけた。

 他で気になる事や気がかりが何も無いと言えば嘘になるが、殆どは誤差の範囲に収められる。

 「さて。」

 ログは立ち上がり、肩を回して長らく馬車に揺られることによりすっかり固まった体をほぐす。

 今の場所はダラスの町から南に馬でまる一日、それから更に半日かけてゴツゴツとした岩ばかりで枯草と見分けのつかない藪くらいしか緑の無い禿山を登ったところ。

 そこには人工的に整備された平らな地面があり、テントやらがいくつも並んでいた。

 もっとも重要なものは更にその向こう側の切り立った山肌にある。

 「ようこそロック・ベースへ。歓迎しますよログさん。」

 「そいつはどうも。短い付き合いになるだろうが宜しくな。」

 「随分と自信満々ですね。まさか噂は本当ということですか?」

 どうせ「本当の実力は~。」的なものを聞いたことがあるのだろう。

 ログは答えずに真っすぐこれから向かう事になる死地への口を、目を細めながら見た。

 それは石の入り口、二本の立派な柱と天蓋により作られたアーチ。首都で名を馳せる名人であっても裸足で逃げ出すような、繊細で今にも動き出しそうな数々の生き物の彫刻が複雑に入り組んで施されており、遥かな時の流れにありながら劣化も傷の一つも見当たらない立派なものだ。

 アーチの奥には闇の塊がべっとりと立ち込めているように見えるが、話によるとソレは近づく者には姿を消す性質を持っているそうだ。また覗き込んだところから今到達している最下層まで、下りの階段も広い場所も共通して燭台など灯りの類は一つも無いが天井そのものが光を放っており昼間と区別がつかない程に明るいらしい。それと罠の類は一つも見つけられていないとのことだった。

 ただ一つを除いて、これほど立ち入る者に親切な迷宮は無いだろう。


 ――迷宮。遥か太古の昔に何者かが築き上げた謎に包まれしもう一つの世界。


 神の試練と呼ぶ者もいれば、邪悪なる者が作りし地獄と呼ぶ者もいる。ある時は人々を救うオアシスであり、ある時は欲深き者を飲み込む口であり、ある時は蛮勇を背負いし命知らずたちを計る天秤。

 多種多様、千差万別、万の顔を持つ構造物。

 全てを内包する無限の夢には一つだけ共通がある。

 主がいる事だ

 「しかし本当にお一人で大丈夫なんですか?」

 心配そうにキャンプの案内を買って出た、ギルドよりこの地に派遣されて長い男は言う。

 「コロセア――この迷宮の俗称だ。――の最下層と思わしき円形闘技場に居座るあの怪物は、恐らくこの迷宮の主だと思われますが、その強さは尋常ではありません。ミスリルの冒険者たち十人がかりで挑んでなお返り討ち、やはりアダマンタイト級の到着を待つべきではないのでしょうか?」

 「その辺の連中は連日、魔王だのドラゴンだのその辺の対応で“入らなきゃ安全”な迷宮に力を割いている余裕はないからなあ。ギルドとしてもそれを分かっているからミスリルまでしか派遣しないんだろう。」

 むしろこのご時世に、これだけ多くのミスリル級を派遣しているというのは異様ともいえる。余程この迷宮を重要視していると考えて良いだろう。

 強力な主の先には高確率で特異な宝が眠っている。

 たとえば伝説の英雄が持つ星をも切り裂くという神剣。

 たとえば世界を滅ぼす魔術が記されているとされる禁書。

 たとえば如何なる病も傷も癒す万能の盃。

 たとえば一口で全ての真理を知ることの出来る木の実。

 それら全ては神話の魔王すらも凌駕すると呼ばれる迷宮の主が守っているものだ。

 今回は流石にそこまで強大な存在ではないが、それでも竜殺しの槍くらいは期待できる程度の相手と言うのがログ受けた説明だ。

 そのくらい強力ならば、敵や競合相手より先に手に入れておきたいのは当然だろう。

 もっともこうして陣を張っている以上、何らかの方法でここを占領されでもしない限り持ち出される心配はないのだが。ただ使える道具はいくらあっても足りないこのご時世、奪われなければよいと楽観的に言っていられないのだから面倒な世の中だ。

 「それで準備の方なんですが。」

 「あー、基本的な魔力回復薬と、一応即効性の傷薬を少し。あとできれば魔力石の類を用意して貰えれば後はどうにか出来るだろう。」

 「はあ、その程度であればキャンプにいくらでもありますので直ぐにご用意できますが……本当にそんなものだけで大丈夫なのですか?」

 「実物を見てからじゃないと確約はできないが、聞いた話通りなら問題ないだろうさ。」

 男の顔は半信半疑といったところか。

 ギルドからただ一人派遣されてきたという異例の事実による期待と、今まで見てきた万端の準備を行ってなお敗北した猛者たちが脳裏に焼き付いているが故の不安。

 しかしログの真意は別にある。

 あまりに色々と要求しすぎると、後々何を要求されるようになるか分からないという経験からだ。

 もっとも何も要求しなければ、それはそれで要らぬ疑いの目を向けられかねない。

 怪しまれない程度の要求をしておくのが無難というものだろう。勿論この場合における怪しんでくる相手はこの場にいるキャンプの連中や、これまでに迷宮へ挑んでは折れて行った者たちのことではない。

 「ああ、こんな所にいましたか。」

 期待に満ち溢れた視線を向けてくる者がひょっこりとテントより顔を出す。

 先行して現場に入り情報やらを纏めていたアイシャは非常に機嫌が良いようで何よりだ。

 「ログ様、先日撤退してきた冒険者たちの治療が終わりましたが、話をお聞きになりますか?」

 「そうさせて貰おう。情報は正確で多い方が、こっちとしても色々とやりやすい。」

 もっともログはこの場にいる誰よりも敵に詳しい自信があった。

 だが聞かなければやはり疑われるだけだろう。

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