第27話 奴隷少女と宿命 1-4
* * * * *
――遥か昔、この世界にまだ神々が溢れていた時の物語。
ある町に美しき少女と一人の青年が暮らしていた。
彼らは幼き日より時を共に過ごし、二人であることが当然だと思っていたんだ。
しかし、ある時、少女を見つけた一人の神が彼女を我が物にしようとやって来た。
少女は神の誘いを断った。自分の愛する者はただ一人であると。
神は怒り呪詛を蒔いた。
彼らの住む町はたちまちに疫病に侵され、災厄に見舞われるようになってしまった。
ある時に神は民たちへ言った。
少女がこの地にある限り厄災は永久と続くだろう、と。
傷ついた人々は神の声に従い少女を贄に捧げんと武器を手に二人の元へ押し寄せた。
青年は、自らの罪と宿命を背負おうとする少女の手を引いて逃げた。
その手が赤く染まろうと、その体が傷つこうと、その気高き心は確固たる決意を貫き続けた。
しかし世界の果ての果て、この世の何処でもない地においてすら神の手は届いた。
遂に行く場所を失い、追い詰められた二人。
青年はその折れた剣を持って神に挑み――そして敗れた。
その命が失われようとした時、少女は己の身と引き換えに神に懇願した。
この身を永久に捧げましょう。そのかわり、どうか、この者をお救い下さい――。
神は少女を手にし、約束に従って青年の命を繋ぎ止めた。
目を覚ました青年は己の敗北を知り、全てを失った事を知り、泣き崩れた。
その涙が大地に滴ると、たった一つだけ最果ての地に一つの命が芽吹く。
それこそは、この地に残された彼女の心。
その身を捧げられし神すら我が物と出来なかった貴きもの。
青年は涙を拭い立ち上がる。
儚き命を守ために、二度と奪われぬために彼は長き旅に出た。
長き旅の果てにて出会った縁、偉大なる小さき賢者の導きによって遂に久遠の地へ辿り着く。
遥かな時の更に先、果てを超えた果ての更に先、悠久の彼方からすら手の届かぬ聖なる地に。
* * * * *
「それがここさ。」
聳えるたった一つの木。
緑に覆われた地面、燦々と降り注ぐ日の光りを青々とした枝をいっぱいに広げて浴びる。
湧き立つ水の中に根を下ろすのはあまりに大きな巨木だ。
この地には虫はいない。
この地には鳥はいない。
この地には獣はいない。
この地には人も、神もいない。
ただそこには一つの木と、木を守る一人の騎士だったものがいるだけだ。
一つの剣を大地に突き立て、ピンと背筋を伸ばし、まっすぐに足を踏み入れる者たちを見据える鎧の姿。
錆が浮かび、苔が生え、兜の隙間より見える奥に光は無い。しかし、もはや亡き者であると分かっていてもなお、その者が持つ威圧の力はシュウの足をすくませるに十分すぎるほどだった。
「大丈夫、彼は何もしないよ。私たちは彼らを害しに来たわけではないからね。」
まるで、まるであの騎士が未だにこの地を守る力を持っているかのような言葉だ。
しかし不思議な事に、ニナナの言葉の後になると先ほどまでの全身を縛り息すら出来なくなるほどの恐ろしき重圧は嘘のように消えていた。
騎士が敵でないと認めたからか、それとも初めから気のせいだったのか。
訳が分からないというのに、既にニナナは先へ先へと走っていっている。
シュウはそれに気が付くと慌てて追いかけた。
見たことの無いほどに澄んだ水。これと比べればオルディア湖でさえ泥水の溜まり場に思えるだろう。
ニナナは靴を脱いで人ならざる足を晒し、更に先へと向かっていく。シュウは幾度か躊躇いながらも、ニナナ同様に素足になって水の中に足を入れて追いかけた。
水はヒンヤリとしているのに痛いほどではなく、赤子を撫でる母のように優しい流れが肌を撫でていく。
ようやくニナナに追いつくと彼女は大木の根元に座っていた。
水面から飛び出した根が椅子のようになっているようだ。
「いったい、ニナナさんは何者なんですか?」
「それはログ君に言っておくれ。実はここへのカギも言葉も彼から貰ったものなんだ。その時に『あるべき場所へ。』、なんて意味深な事言ってたけど。」
その真意はいまだ教えて貰っていない、とニナナは唇を尖らせた。
シュウは敢えて開けていたのだろう隣に腰を下ろし、上を見上げる。
大樹は傘のように枝を広げ風にそよぐ。その度にエメラルドの天井に散りばめられた星々の如き光の粒は瞬いていて地面へ水面へと届く。
「私はね、何か悩みがあったらここに来ることにしてるんだ。何故だか分からないけど、この木陰にいると優しく頭を撫でられて、なんだか慰められているような気持になるの。とっても心が落ち着くんだよね。」
「……そうですね。」
「新人君がどんな悩みを抱えているのか、なんでそれを教えてくれないのか、分からない事ばかりだけどさ。世の中には知られるわけにいかない悩みってのはあるからね。だから一人で悩まなきゃいけない時に支えてくれるものが必要なのさ。そしてここは、私にとってそんな場所なんだ。」
「とてもいい場所だと思います。」
「えっと、その……指輪とかは、流石にあげるわけにいかないんだけど、少しでも気持ちが楽になるって言うのなら、用事が無い時は連れてきてあげるから。だからあんな思いつめた顔はしないでくれ。知り合いが暗い気持ちなのを見ると、なんだか私も気が滅入るからさ。」
ニナナは照れくささ半分、慣れない事へのたどたどしさ半分で言う。
一人で悩んで、抱え込んで、何も出来なくて――。
誰にも言えないで苦悩していた。
でも、辛いときは辛いと言って良いのだ。
この世界にかつての仲間はいないけれど、それでも支えてくれる人たちはいるのだから。
「……。」
シュウは背中を幹に預けそっと目を閉じた。
何か分からない、ただ確かにそっと頭に手を置いて優しく撫でるものがあった。暖かなもので胸の中が満たされていくように、ひび割れた大地に水が沁み込んでいくように傷ついた心の傷が癒されていく。
「すみませんでした。」
目を開け一言。
「ふふん、気にしてないぜ。」
クスクスと笑うニナナの声。
「ここにいましたか。」
静かな時間の流れていた中、唐突に現れた一人の少女の姿をみて二人は飛び上がった。
「クーちゃん?! いったいどうやって入って来たの? ここの扉はカギの持ち主以外には開けないはずなんだけど……。」
「八次元以下の空間であれば断絶されていようと特別権限無しでも転移が可能です。それよりログからお二人にお話があるそうなので、一緒に来てもらえますか?」
「ホント、何言ってるかサッパリだなぁ。」
これじゃ聖地が形無しだ。とニナナは何とも複雑そうな顔を作る。
「あの、お話しっていったい?」
「詳しくはログより説明があります。ですが進行を円滑にするため、伝えても良いと許可を頂いた言伝が一つ。『サレナ様を救い出す手札が手に入った。』以上です。」
シュウははじかれたように立ち上がった。
いったいどういう事か、自分が落ち込んでいる間に事態がどのように進でいたのか。
その疑問の中で一つだけ確実な事が一つだけある。
ログとクリュス、二人は着々と準備を進めていたのだ。
そう思い至ると尚更、いっぱいいっぱいになって当たり散らしたりなどしていた自分が恥ずかしくなる。
「それじゃあ、準備はいいですね。」
その言葉と同時に、今までの悩みや苦悩などが吹き飛び、以前よりの一つの些細な疑問に対する答えがでる。
なるほど、ログがあの多重魔法障壁の部屋から逃亡できたカラクリはこれだったのか。
魔法も魔力も関係ない。
まったく理解を超えた謎の力による転移。
彼の最大の秘密はクリュスと言う存在そのものなのだ。
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