第26話 奴隷少女と宿命 1-3

 空の旅というには些か勢いのありすぎる飛翔。

 ニナナの腕がシュウの胸の前をガッチリと組むようにして上半身固定しているので落ちるような心配は全く感じないが、背中に感じる柔らかな感触に些か顔が赤くなった。

 もっともそんな気持ちも眼下に広がる、空を翔ける者たちだけの特権を見ては吹き飛ぶ。

 広大な平原も、森も、川も、湖も、全てが地上で見るものとは別な姿。

 濃い絵の具でベッタリと立体的に塗り固めていながら、一方で石膏像よりも更に繊細で微細な画き込みが随所に施されており、風が一筋吹けば波打つグラデーションが巻き起こって海原の如き濃淡の変化を見せる。

 遥か彼方にある山嶺はこの高さにあってもなお世界を分かつ壁のように天へ伸びて聳えたち、雲を切り裂いてその真の姿を隠す。

 世界にこの場所でしか見ることの叶わない絶景。

 地上に生きる者たちでは決して知ることのない一掴みの世界。

 これを見せたかったのだろうかと思った。実際にそれだけの価値を感じさせる景色だったが、ニナナは一向に降りる気配どころか止まる気配も見せていない。未だ目的地への旅路であるようだ。

 それから暫し空からの景色の変化を楽しんだ後に、ようやくニナナは降下を始める。

 地上は森の只中、何があるのかと思っていると次第に岩場のようなところが見えてきた。

 「とうちゃーく! ……と見せかけて実はここから少し歩くんだ。」

 久方ぶりに地上に足を付けたのは切り立った崖と巨大な岩石の転がった荒場。長い年月をかけて雨が磨き上げ表面が滑らかに均された岩肌にシュウは立つ。もし濡れていたなら転げ落ちて大惨事になっていそうだ。

 既に歩き始めていたニナナが「こっちだよ。」と声を上げる方を見てみれば、崖に屈んでようやく入れるような小さい穴のような、ヒビ割れのようなものが斜めに下るようにして一つ。周囲の岩々によって半ば隠されており、正確な場所を知って者がいなければ到底気がつけないだろう。

 その前でニナナが手招きをしていた。

 「ここは何ですか?」

 「見ての通りのグチャグチャな岩場。この辺には強力な魔物も多いし、何より足場が悪い上に落石まであると危険極まりない場所だよ。」

 「どうして、そんな危険な場所に?」

 「それはこれからのお楽しみ。」

 秘密を聞かれ楽しそうな子供のように笑ってニナナは穴の中へと入って行った。

 シュウは辺りを見回す。話が本当なら帰りにもニナナの力が必要そうだ。

 こっそり帰るのが無理と理解して大人しく後に続くことにした。

 穴の中は非常に暗くまったく前が見えない上に、四つん這いで進まなければならないほど天井が低かった。おかげで時折ニナナにぶつかりそうになっては、その度に神がかり的な直観によりギリギリの距離で止まる事を繰り返す羽目に。

 幸運にも枝分かれなどはしていないようで、迷子になる心配はなかった。

ただクネクネと曲がり登り下がりを繰り返しているため、距離に対して体に蓄積していく疲れは多い。

 「よし、第一目標にとうちゃーく!」

 「声が大きいです。」

 近く遠くと反響する声に思わず抗議する。

 真っ暗で何も見えないが広い場所に出られたようだ。

シュウは老人のように曲がってしまった背骨と石のように硬くなった筋肉を伸ばした。

 「それで、何も見えないんですが。」

 「ちょっと待っててね……えっと、確かこっち辺に…………。」

 話しながらニナナの声が徐々に遠ざかっていく。

 置いてけぼりになってしまう恐怖が無いわけではないが、足場がどうなっているか分からない広場を声頼りにしてついて行ける自信はない。故にシュウはニナナをただ待つことにした。

 真っ暗な静かな闇の中、ついに耳に届くのは己の呼吸だけになる。

 ジッと待ち目を凝らしていると、ボンヤリと周囲の地形が浮かび上がるように見え始めた。何の光も無い闇の中だと思ったが、何処からか明かりが漏れているのだろうか?

 その疑問は時間の経過により答えが出された。

 

 ――周囲の岩々が微細な光を放っているのだ。


 光は徐々に、しかし着実に強くなっていき気が付けば夜空の星々のように明るく輝いては、闇だけの世界を照らしていく。よくよく見ればそれらはある種の規則性を持って並んでいるようで、その事に気が付くと様々な模様が浮かび上がって見え始める。

 「ようし、上手くいった。」

 後ろからの突然の声にシュウは飛び上がる。

 「ニナさん?! いったいいつの間に。」

 「少し前から戻ってきていたよ? 君がこの景色に熱中しすぎなのさ。」

 それより、とニナナは付いてくるように言った。

 既に二つの絶景を堪能して満足しきっていたシュウはただただ驚く。

 まだ何かがあるというのか。

 興味は好奇心を刺激し、すっかり童心に帰ってしまったかのような心持ちでシュウは後を追った。

 しかし、と改めて周囲に視線を巡らす。

 光の紋様は輝きの強いものが輪郭、弱いものが色を付けるように散りばめられているように見える。きっと何者かが意図をもって作り上げた事に間違いは無いだろう。現に今歩いている場所だって橋のように光の道が出来上がっているのだから。

 だが、果たしてどのような技術をもってすればこのような事が可能なのだろうか。

 既に滅びた先史文明のようなものである可能性は否定できないが、紋様の付けられ方からしてこの洞窟全体が“作り物”である可能性が高い。だとすると、何の目的で暗闇の中にこのような空間を作り上げたのか、その真意が何処にあるのかサッパリ分からない。

 シュウが考古学者の真似事をして頭を悩ましていると、唐突にニナナが立ち止まる。

 そこは一枚の、周囲と同じように不思議で神秘的な紋様を持つ壁だ。

 ニナナは徐に手を上げた。覆っていた布は取り外され、人ならざるその指先で一つの指輪が煌々と輝きを放っている。


 『我、彼の地へ道を示しし導の民の一人なり。我らが友の証を持って聖地への順礼を許し給え。』


 普段とは打って変わった凛とした声。

 それは何処までも、幾重にも反響しては壁にぶつかり光の粒が火花を散らすように瞬きを強くする。

 やがて地響きと共に壁に切れ込みが現れ、隙間より溢れる光の洪水が押し寄せてきた。

 「ここが秘密の場所。私のとっておきだよ。」

 眩む目の前で翼を広げた影の姿は神の如き神々しさだった。

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