第25話 奴隷少女と宿命 1-2

 どうして人は同じ感情を永遠に持ち続けられないのか。

 ある人は言う。それは明日へ一歩を踏み出す為だと。

 ある人は言う。永遠に悲しむことは永遠に苦しむことと同義であるからだと。

 ある人は言う。側にいる者たちを傷つけないためであると。

 であれば、物語の復讐鬼には明日を諦め、永遠に苦しみ、隣人を捨てた者だけがなれるのか。

 到底、自分には不可能だとシュウはボンヤリ思った。

 明日を諦めるのは出来る。

 永遠の苦しみの中にあることも耐えられる。

 しかし隣人を捨てる事だけは出来る自信が無かった。

 彼らは気が付けば側にいるものだ。楽しそうな顔で、泣きそうな顔で、怒った顔で、嬉しそうな顔で、辛そうな顔で、優しい顔で。そんな彼らを己のためだけに切り捨てるなど想像もできなかった。

 もし彼らが自分を捨てさえしてくれるならば、或いは――。

 そこまで考えて、そんな事は決してあり得ないだろうと決めつける。

 自慢ではないが自分は人との出会いには恵まれているのだ。

 前も、今も、そしてきっとこれからも――。

 顔を上げる。太陽はもう正午を過ぎて日差しに僅かながらも陰りが出てきた頃合い。一晩過ぎてもログはまだ帰ってきていなかった。余程お話とやらはこんがらがっているのだろう。

 或いは実はログも何かしらの理由で捕まってしまっていて、何も知らない自分だけがここにいるとか。

 「ありえないか。」

 冒険者になってから分かった“あの部屋”に欠けられた妨害魔法の凄さ。

 ネズミどころか羽虫、アリの入る隙間すらないと断言できる空間からですら、追跡不可能な逃亡をして見せた男が大人しく捕まっている姿など想像もできない。

 あの出来事から先の事は考えないようにしている。

町を見て回った日の事も、それから先に出会った相手も。ただただ目を背けるように、頭の中に少女の姿が浮かんでくるたびに、悪夢の霧を払うように頭を振った。

 ――この場にいてはダメだ。

 ここには思い出があるから、だからここにいてはいけない。

 そう思って立ち上がると体が異様にフラフラとして安定しない。同時に空腹を訴えるように腹が吠えた。

 思えば昨日の昼から何も食べていない。

 体は正直なもので、持ち主の気持ちなど考えず欲しいものを要求してくるようだ。

 仕方なく適当に残り物でもないか炊事場などを見て回ったが、何処にもそれらしい姿は見つけられなかった。困った果てにシュウは食糧庫へと足を向ける。調理前でも食べられる物の一つくらいは見つかるだろう。

 手摺りを掴んで押すと扉は軋みながら奥へ開く。

 「――っ?!」

 強く音をたてて扉は閉められた。

 手が震える。体に氷水を注ぎ込まれたかのような冷たい気持ちが駆け巡る。見てはいけない物があった。

真っ赤な、香しく、甘い香りを漂わせる木の実が一瞬だけ視界の中に入った。

 それは見てはいけないものだ。

 思い出してはいけない事だ。

 あの日、あの時、あの場所で起きた出来事は皮肉にもシュウにとって最も強く、鮮明に、あの少女の存在を思い出させる出来事だった。

 鼓動が乱れる、息が苦しくなる。体は熱くなり、それなのに凍えるように寒い。

 まるで逃げるようにシュウは外へと飛び出す。

 この邸や、その周辺はあまりにも危険だ。

 拙い足取りで草に足を取られながら街道に出る。そして向かったのは思い出の無い場所。

 ダラスならば、変なものを見さえしなければ、何も思い出す心配など無いだろう。

 ログや知り合いと顔を合わせないようギルドやその周辺には近寄らないようにする。

 時間帯もあり人の数は最盛期に比べて幾分か減っていた。

 ただそのせいもあって食い物を出している出店の類は片づけを始めているところが多くある。

 シュウは記憶の片隅にある客入りの悪い事で有名な飯屋に入った。聞いた話では飯は悪くないが近くに上位互換のような店が立ち並んでいるため、客が定着しないのだそうだ。

 それでよく続いているものだと感心した気がする。

 いざ入って見ると店の中は混んでいるとは言えないまでも、それなりに客が入っていた。

 昼時を逃した職人たちやら稼ぎ時を終えた出店の連中やらが多く見られ、程よい喧しさが余計な考え事をしてしまう邪魔してくれる。

 ここなら見知った顔と出会う事も無いだろう。

 シュウは開いた席に座り適当に腹に溜まりそうな物と注文をした。

 料理が届くまでのしばしの間、自分には無関係は世間話を盗み聞きして時間を潰した。


 『聞いたか? また怪我人が出たらしいぜ。』

 『らしいな。これで百人目か? まったく懲りないもんだ。』

 『失敗しすぎでお偉方も引っ込みがつかないんだよ。下が可哀そうだ。』

 『可哀そうなもんか。連中は自分たちから志願してるんだぜ?』

 『どうせホントの事とか知らされてないんだよ。知ってたら手を出さねえって。』

 『だがやって貰わなきゃ俺らも困るしなぁ。』

 『あそこ、かなり期待が出来るらしいからな。予算もかなり出て――。』


 「そこの青年くん。盗み聞きはちょいとマナーが悪いぜ?」

 注意を受けてシュウは我に返る。

 どうやら集中しすぎていた為に近づく足音に気が付けなかったようだ。

 「すみませ――。」

 シュウは声の主の姿を見て驚きのあまり言葉を失った。

 そこにいたのは背中に鳥の翼を持つ者。猛獣のような瞳は全てを射貫くようで、布一枚隔てて隠された爪は容易く生き物を切り裂く。以前とは違う素朴な店員の装いながらも、やはり愛らしさを感じさせる印象とは対照的な肉体的特徴を持つ少女。

 ニナナは言葉に詰まったままのシュウの前に料理を置いた。

 「それにしても、こんなところで会うなんて奇遇だねえ。これは運命のイタズラかな?」

 「……。」

 「あ、そうそう。この料理は熱いうちに食べないと損するよ。チーズがこうカチコチに固まってしまって美味しさが半減するというか、それはそれで悪くはないけど最初の一口は――。」

 「……頼まれてきたんですか?」

 「うん? 何の話だい?」

 「とぼけないでください! どうせ僕が何かしでかさないか、監視するために来たんでしょう!」

 その態度がふざけたように感じて、シュウは思わず怒鳴り声を上げて立ち上がる。

 ニナナはそんなシュウの行動を受けて明らかに動揺した。

 すぐさま周囲の客たちに目を走らせて、少なくとも近くの客たちが興味深そうに自分たちを見ている事を確認すると、小さな声で懇願するように言う。

 「と、とりあえず落ち着いてくれ。ここで言い合いは非常に良くない。悲しい事になる。正直言って君の怒りに関して心当たりは無いが、もし私が気に障ることをしてしまったのなら、後でちゃんと謝る。出来る範囲なら何でもする。だから、どうかここは穏便に頼むよ……お願いします……。」

 以前見た時や先ほどの飄々とした態度とは明らかに違う狼狽した姿で必死にニナナは頭を下げる。その姿を見てシュウの怒りの炎は次第に収まっていった。

 彼女が本心からシュウに頼み込んでいるように見えたからだ。

 「……わかりました。」

 「ありがとう。心から感謝する。」

 ホッとした様子で顔を上げたニナナを見て胸がチクリとした。

 結局はこれも八つ当たりだ。

 彼女が本当に監視のためこの場にいるのか分からないのに、一方的に決めつけて、思い込んで、溜まり続ける胸の中のムシャクシャを吐き出す口実に使っただけだ。

 その事に気が付けば今度は罪悪感と自己嫌悪がずっしりと伸し掛かってきた。

 ――何をやっているんだ、俺は。

 ログたちだけでなく、事情を知らないかもしれない相手にまで噛みつくなんて、癇癪を起した子供と何も変わらないじゃないか。

 腹の中の何もかもをグッと飲み込む為にシュウは目の前の料理を食べ始めた。

 ニナナがそのヤケを起こしたような食いっぷりを見て心配そうにするが、今のシュウにはかける言葉を何も思い浮かべる事が出来ない。何も考えないようにただただ食べ続ける。

 ほぼ一日ぶりの料理は、こんな気分なのに異様に美味しいように感じた。


 「いやぁ、本当に助かったよ。」

 満たされた腹をさすりながら当てもなく町中をフラリフラリと流れのままに漂う。

 そして何故か付いてきているニナナがニヘラと他意の無い笑みを浮かべていた。

 「あそこのお店ね、昔よくお世話になっていたんだけど最近ちょっと売り上げが不味いらしくてね。恩返しも兼ねてちょいと手伝いをしていたのさ。」

 「あの、別にいた理由とか聞いてませんが。」

 「助っ人が問題起こしちゃ元も子もないからね。穏便に済んで本当に良かった。」

 「それは――。」

 良かったですね? いや申し訳ないか?

 何にしてもやはり勝手な思い込みで当たり散らしていただけの様だ。

 まったく大人気ないというか、自意識過剰というか、被害妄想も大概にしろというものだろう。あふれ出る自己批判と嫌悪感とやや過剰気味の満腹感に多少の吐き気を催した。

 「おいおい、どうしたんだい? さっきから気になっていたんだが、今日の新人君は随分と顔色が悪いじゃないか。何かあったのかい?」

 相談なら聞くぞ、とニナナは言ってくれるが内容が内容だけにそう易々とは話せない。

 それに話したところでどうにか出来る類でも無いのはログとの間で証明済みだ。

 黙り込み、俯いているとニナナが唐突に顔を掴んできた。

 「――! ハ、ハヒホフフンヘフハ?!」

 無理矢理に自分の方を向けさせたかと思えば、グニグニと頬を引っ張って無理矢理に笑顔を作られる。手袋の柔らかな感触とは裏腹に簡単には離れないほど力が強かった。

 何とか振り払い、怒った顔で「何ですか!」と抗議をする。

 「そうそう。そっちの方がまだマシだね。暗い顔してると気持ちまで暗くなるものなんだぜ。」

 「だからって――。」

 「沈んだ気持ちの時に沈んだ顔をしていると泥沼だ。だから誰かが顔を持ち上げて変えてやらなきゃいけない。そうしなきゃいつまでもウジウジ、そいつはそこから動けないものなんだよ。」

 得意顔なニナナは「受け売りだけどね。」と悪戯っぽく笑う。

 「それで、少しは気持ちが切り替わったかな?」

 「……分かりません。」

 「それなら上々だ。」

 「そうなんですか?」

 「ダメな奴は即答するよ。そんなの意味ないってね!」

 あまりに強引で、極端な暴論だ。

 気を使って、真意を知られたくなくて嘘をついている、取り繕っている可能性だってあるのに。

 どうしてそんなにも自信を持って「平気だ。」と言えるのだろうか。

 「さて、新人君は――。」

 「シュウです。前に言いましたよ?」

 「私にとって君はまだまだ未熟なヒヨッコ、だから新人で良いのだ。嫌なら早く一人前になってみせたまえ。」

 「理不尽ですね。」

 「にひひ、理不尽ついでにちょいと付き合ってくれるかな? どうせ今は暇だろう?」

 「いえ、僕は――。」

 「こんなところを幽鬼みたいな顔でフラリフラリと漂っていたのだから、用事があるなんて言わせないぜ。」

 なんとも強引だが、言い返す言葉が無いのもまた事実。

 何をすればいいか、何をしたいのか。何も分からず、何も考えないようにしていたのをきっとニナナは見抜いていたのだろう。


 「それじゃあ、少しばかり飛ぶよ。」

 

 何を言っているのか、そうシュウが考え始めるよりも早くニナナは背中側に回って逃げる間もなく抱き着いて来た。

 「なっ?!」

 「口は開かない方が良い、ぜ!」

 忠告と同時に体が何倍も重くなったかのような感覚。同時に意識が一瞬遠くなる。

 凄まじきスピード故に体にある種の力が掛かっての事象であることを知ったのは遥か上空で、町が手の平程度の大きさに見えるような高みに上がってからだった。

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