奴隷少女と宿命

第24話 奴隷少女と宿命 1-1

 切れる息を無視してシュウは走る。

 一つの躊躇いも無く乱暴に扉は開かれ、勢いのまま壁にぶつかる音が部屋の中に響いた。

 「どういう事ですか!」

 怒りに満ちた怒鳴り声の先にいるのは少女の方を向いたまま、こっちの顔を見ようともしない男。

 まるで存在しないかの如き態度でログはクリュスと会話を続けている。

 それが余計に気に入らなくてシュウはまっすぐにその前まで進んで、その胸倉を掴んだ。

 「……手を放せ。」

 「どういうことだって聞いているんです!」

 「まずは、この手を離せ。」

 シュウは応じない。

 知らせを受けたのはギルドの依頼をこなして帰路に就くところ。クリュスの遠くへ声を届ける不思議な力によってだ。全力で走って、走って、そして着いてみればログは何食わぬ顔で座っている。

 これでは納得のいく説明も受けずに引き下がるわけにはいかないだろう。

 「だから――。」

 収まらない怒りに突き動かされギリギリと腕に力が入る。次の瞬間体は宙を舞い床に叩きつけられた。

 それまであった空気があっという間に肺から締め出され、頭の中には光が飛び散る。

 何が起きたのか分からない。

 ログに投げられたのか、それともクリュスが何かを行ったのか。空気の不足した頭ではそれも考えられない。

 「それは人にものを尋ねる態度じゃねえ。どんな時でも取り乱した心を表に出すな。」

 傍に屈みながらログは言った。

 今はそれどころでは無いといだろ。空気の殆ど残っていない肺を酷使しての言葉はヒューヒューと抜ける音になってしか出ない。

 「とりあえず状況の整理だが、まずこの件に俺は関わっていない。」

 「ゲホ、ゴホ――。」

ようやく思い出したかのように体は空気を求めた。

 「嬢ちゃんが攫われたのは確実だ。魔法の痕跡からの特定が不可能なところを見ると、相手は余程便利な道具を都合よく持っていたみたいだな。もう一度言うが俺はこの件に関わっていない。だが、この場所がバレた理由や誰が連れ去って行ったのかは凡その見当がついている。」

 「なら――。」

 「その相手が問題だ。まず後者――十中八九“サレナの所持者”だろうが――が彼女を閉じ込めている場所が分からないし、分かってもこっちが打って出れる有効な手札は一つも無い。しかし真に厄介なのは前者の方で、コイツは間違いなくうちのギルドだ。どこのどいつが漏らしたかなんてのは、考えれば直ぐに分かる事だからな。客が少ないのが良い方向に働くなんて、まったく嬉しくない冗談だ。……んで、問題なのはその目的がサッパリだって事だよ。こればかりは直接当人たちに確認するしかないが、どうにも怪しくてなぁ、明らかに俺の事を誘ってやがる。」

 それでクリュスと対応の相談をしていたらしい。

 「そんな事どうでもいいです! 早く見つけて連れ戻さないと何処の誰に、サレナがどんな目に合わされることになるか……」

 「言っただろ、そもそも持ち主の所に“合法的に”押しかけられる手札が今の俺たちには無い。まさか、今度こそ本当に誘拐でもするのか? それも力尽くで。」

 今ならまだ、多少苦しいが迷子だったサレナを保護していたという名目は立つ。

 しかし今回は“あるべき場所にあるべきモノが戻っただけ”というのが世間の認識だ。仮に“誘拐されたと勘違いして押しかける”までは大目に見られたとしても、そこから連れ去るなんて到底許される行いではない。

 ログの説明にシュウは言葉を詰まらせ、反論できない自分が情けなくなり唇を噛む。

 あの奴隷の時と何も変わらない。

 自分の身が可愛くて、得たものを失うのが怖くて尻込みして踏み出せなくなる。

 助けなければと口先ばかりになったのはいつからだろう。

 前は、自分の知る本当の己はこんな人間ではなかったはずなのに――。

 「そういうわけで小僧は留守番だ。」

 「なんでですか! 僕も行きますよ!」

 「ダメだ。今のお前さんは何をしだすか分からない。頭も心も整理のついてない爆弾みたいな奴が来ても話の邪魔になるだけだ。」

 「そんな事は――。」

 無い、とシュウは言えなかった。

 まったく言う通りだ。もしもサレナの話になった時、その内容が納得のいかないものであった時、シュウに今の己を律せる自信はない。

 再び口を噤み、説教を受ける子供のように俯く。

 その正しい言葉を否定できない自分が情けなくて堪らない。

 “文字を知った戦士は臆病になる。”だったか。

 何も考えず、何も聞かず、ただ感情の赴くままに動くことが出来たならば、或いはこれほどの葛藤を、苦悩を抱えずに済んだのかもしれない。

 「それじゃあ行ってくるが、くれぐれも馬鹿な真似はするなよ?」

 気が付けばログの姿は開きっぱなしの部屋の扉の更に先、玄関にあった。

 当然の顔でクリュスはその隣に立ち、こんな時でもその表情には陰りの一つも見えない。

 その薄情さに腹が立ち、直ぐくだらない八つ当たりをしようとしている自分へいっそう腹を立てる。

 感情のせめぎ合いが起きている間にも、ログたちは待つことなく出ていく。

 玄関の閉められる音が遠くから聞こえた。

 「……クソッ! クソクソクソクソクソクソクソッ! チクショウ…………。」

 立ち上がることも忘れて、傷ついた獣のように体を丸めて、何度も何度も床を殴りつける。

 手が痛くなっても、血が滲み噴き出しても、感覚が消え果ても、何度も何度もシュウは床を殴り続けた。

 血は心を蝕む自責の念のように、べっとりとこびり付きながら沁み込んで床を赤く染めた。

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