第21話 転生者と奴隷少女 4-2

 目的の木の実が手に入る場所は林を抜けて街道の一つに出てから北へまっすぐ先の森だ。

 距離としては一時間もかからない場所にあるはずなのだが、途中からは街道を離れ道なき道を進まざるを得ないのでどうしても事前の感覚より時間がかかる。

 特にサレナは背の高い草の中ですっぽり隠れてしまう上に、沼地のように酷くはないとはいえ、ぬかるんだ地面というのに慣れていないから一歩進むのも一苦労だ。魔物の気配は周囲に無いながらも、転ばないよう進むためには慎重にならざるを得なかった。

 額に玉の汗を浮かべながらようやく湿ったぐらいのマシな地面までやってくる。

 香を置揚げれば目の前には立派な木々が立ち並び、その間々を埋めるように茨や藪が立ちふさがって壁を作っていた。覗き込める中は薄暗くはあるが不気味な雰囲気は不思議となく、むしろ点々と注ぐ木漏れ日により神秘的に感じられた。

 ログに渡された個性の光る非常に大雑把な地図――これでも気を使った言い方だが――を見ながら入れそうなところを苦労して探し出す。足を踏み入れるとヒンヤリとした空気が体を包み込み、遠くから小鳥の鳴く声が聞こえた気がした。吹き抜ける風は優しく、乾燥しすぎてもいない。夏場の避暑地としてこれほどに適した土地は無いと思わせる気持ちの良い場所だ。

 サレナも気に入った様子で、新品の靴がドロドロになってから曇っていた顔が明るくなった。

 「えっと、地図によると……地図…………。」

 「どうかしました?」

 「ああいや、何でもないよ。……少し待ってて。」

 森の中に関してはログの地図だけでは不安であると言った結果、クリュスからも詳細で非常に細かい地図を受け取る事が出来た。しかし、これがまた一癖も二癖もあるものだ。

 端的に言ってあまりにも細かい部分まで書き込まれ過ぎているのである。

 植生から生物分布から土地の属性やら分類やら気候やら各木々の年代や生態系の解説、水源の位置も三次元的にかかれていれば、雨の日にこの森が溜め込むことの出来る水量の最大値と最小値まで季節ごと、区画ごとに分けて書かれているという。総数にして裏表在りの五百ページにも及ぶレンガのような厚さを誇る紙束が地図であるなどと誰が信じるというのか。

 おそらく今シュウはこの世界で二番目にこの森に詳しいだろう。

 幸いだったのは一番後ろの方が索引になっているおかげで、そこから目的のページを探し出すことが出来た事だ。

 もし何のヒントも無く特定のページを探す事になどになっていたら、いつまでかかっていたか。

 そんなちょっとした親切に感謝しつつシュウは頼まれた木の実が生るという木々の群生地の場所が記されたページを探し出して向かった。


 「ふわぁ。」

 と感嘆の声をサレナが上げたのも無理はなかった。

 広がるは緑色の輝く宝石の如き草原、並ぶ木々に下がる赤い実は甘く香しい香りを漂わせ、丁度良い木陰の位置に椅子代わりになりそうな切株がある。時折、鳥がやってきては果実で喉を潤し、日にあたって得た熱も風によってあっという間に洗い流されていった。

 少しばかり開けた広場は、お伽噺に出てくる小さな獣たちの集会場のような姿をしていたのだ。

 「ここ、凄いです!」

 はしゃぐサレナ。シュウはそれを見つつ出掛けにログから言われた言葉を思い出していた。

 「『嬢ちゃんと一緒に羽を伸ばしてこい』か。」

 恐らくは増えた家賃を払うために働き詰めで、サレナとあまり話す機会すら作れていなかったことに気を使ってくれたのだろう。もちろん休養も兼ねてだろうが。

 「お世話になっているのは俺の方なのに、気を使わせてしまったかな。」

 「どうかしましたか?」

 「いや、なんでもない。それで木の実に関してなんだけど。」

 そうだった、とすっかり忘れていた様子でサレナは目を丸くし、そんな自分を恥じてかションボリとした様子で獣の耳を倒れさせてしまった。

 「……僕は分からないから、任せてもいいかな?」

 「っはい!!」

 コロコロと表情も機嫌も変わって忙しそうだ。

 やる気に溢れた様子のサレナは、背負っていたカバンの中からナイフのようなもの――クリュス作、何のことか分からないが凝集力とやらを喪失させる高周波ブレードらしい――を取り出して次々に木の実を取って空っぽのカバンに詰め込んでいく。その手際もさることながら、異様な切れ味を見せるナイフにはある種の恐怖を感じた。

 サレナだけに任せるわけにもいかない。自分も出来る範囲で手伝おうとシュウは考えて動き出す。しかし木の実取りを始めて即座に自分の考えが熟れた果実以上に甘い事を思い知らされた。

 例えば目の前に色もツヤも形も全く同じにしか見えない同じ木から取った二つの木の実がある。

 普通に考えれば両方とも食べられる木の実なのだが、サレナによると一方は食べられない毒を持ったものだそうで、シュウが集めた木の実の六割は食べられないものだった。

 本当に食べられないものなのだろうか?

 サレナを信用していないわけではないが、見た目は同じだし実は大丈夫なのではないかという思いが頭の中をよぎり、そっと口を開く。

 「あ、ダメですよ!」

 「――う?! ゲェエエエエエエ!!」

 口の中に広がるのは金属粉でも頬張ったかのような激しい不快感。

 続けて生ごみのような風味が口の中いっぱいに広がり、肝心の味は腐った魚をヘドロの水で煮込み凝縮したかのような劇物そのもの。まったくもって食べられたものではない酷いものだ。それに僅かだが舌がビリビリとし、体も毒に対する拒否反応を起こしている。

 全て吐き出した後、急いで持ってきた水筒の水で口の中を洗った。

 「サレナはどうやって見分けているの?」

 落ち着いてから改めて尋ねてみた。

 「匂いが違うんですよ。」

 「匂い?」

 「そうです。毒のあるものは、無いものよりも甘い匂いが強いんですよ。」

 なるほど匂いか。

 試しにシュウは二つの木の実に鼻をくっつけるほど近づけて確かめてみた。

 「うん……何も分からない。」

 これなら他の意図は抜きにしても、サレナを連れてこなければならなかったことに納得だ。

 シュウは区別を諦めて切株に腰を下ろす。手伝うつもりで仕事を増やし邪魔をするくらいなら、何もしないで待っていた方がマシだろう。

 それにしても、とシュウは思った。

 いとも簡単に木々を登り、危なげなく枝の細い場所まで移動して簡単にサレナは木の実を取っていく。初めて会った時とは全く違う印象を与える頼もしい姿だ。もしかしたら自分が思っていたよりもずっと、サレナは優れた能力を持っているのかもしれない。

 或いは自分が見ていないうちにログたちがここまで育てたのか。

 その可能性を考えて、感じた不自然さに思わず笑ってしまった。

 まだサレナがやって来てからそれほど時間は立っていない。これが鍛えられて手に入れたものならば余程辛く厳しい修行などが行われたという事になるだろう。しかし見ていた限りログたちがそんなに厳しくサレナに接しているようには見えなかった。

 どちらかと言えば甘やかしているようにさえ思う。

 故に、やはりサレナの生まれ持っての才能なのだろう。

 「どうかしましたか?」

 いつの間にか一仕事を終えたサレナが近寄ってきていた。

 笑っている顔を見られたのだろう、不思議そうに首をかしげてシュウを見下ろしている。

 「なんでもない。」

 そう答えると、それ以上は何も聞かずにサレナは隣に座った。

 「これどうぞ。」

 「え?」

 差し出されたのは赤々と熟れた、見るからに美味しそうな木の実。

 意図が読めず阿呆面のまま受け取ってしまう。

 「ログさんが、少しくらいなら食べてもいいって言っていました。」

 「ああ、なるほど。」

 「お嫌いでしたか?」

 「そんなこと無いよ。というか、多分これは食べたことが無いと思うし。」

 前に立ち寄ったニナナがアルバイトをしていた店には偶に立ち寄るようになっていたが、この果物を使ったお菓子は今のところ日替わりメニューでも見ていない。

 もしかしたら、とても希少なものなのだろうか。

 そんな事を考えながら口を開き、先ほどの一件があって少し躊躇てから一口齧ってみた。

 シャリ、と良い音がした。

 「――!!」

 「どうしました?! まさか間違って私毒のあるものを――。」

 「ん、いや。驚くほど美味しくて。」

 サレナの悲鳴に似た声に慌てて答える。

 それは本当に美味しい果実だった。

 鼻を抜ける香りも、くどくない甘さも、喉を潤す瑞々しさも、小気味よい触感も、飲み込んだ後のスッキリとした気分も、どれも今までに食べたどの果物と違う新鮮なもの。それでいて何処か懐かしさを感じさせる不思議な風味だった。

 見た目は同じだというのに、これほどまでに毒入りと変わるものなのか。

 それに町からそれほど、それこそオルディア湖ほども離れていない森の中にこんなに美味しいものがあるなど、想像もしていなかった。

 ますます不思議だ。

 冒険者たちなど、良い金になると言って持っていきそうな連中は多そうだが。

 「実はこの木の実、毒の無いものが稀に出来ることを町の人達は知らないそうなんです。とつぜんへんい? とクリュスさんは言っていました。」

 シャクリ、と美味しそうにサレナも果物を頬張る。

 誰もが危険だと周知しているからこそ試す者も現れず手を出さないというわけか。もっとも毒が無くてもあの味では、わざわざ味見をしてみようと思う者は一人もいまい。

 なんだか秘密を知った子供のような、優越感に似た嬉しさが込み上げてきて頬が緩む。

 もう一度、シャクリ、とシュウは果物を噛みしめる。

 サレナにそんな子供みたいな気持ちを悟られまいとして。

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