第16話 転生者と奴隷少女 3-2
サレナは賢かった。
水場の使い方は直ぐに理解したし、部屋の使い方にしても特に説明せずとも大まかに分かっているようだった。
食事の作法も一般庶民にしては少し上品で教育を受けていない野生児とは明確に違う。しかし奴隷商に叩き込まれたのならもっと貴族の社会に合った厳格なものであろうはずだから、恐らくは捕まるより以前に覚えたものだろう。
誰かに教わったのか、それとも見て覚えたのか。どちらにしても何処かで拾われるなりしていた可能性は非常に高い。
獣人の子と勘違いして育てる孤児院などが無いわけではないが、珍しい事例だ。
ディクルスというのは純粋な獣人に比べて身体的特徴に違いのある姿で生まれる。サレナのように耳は獣でありながら尻尾を持たないとか、翼はあるのに手足が完全に人間とおなじものであるとか、複数の獣が中途半端に混ざったような一風変わった姿の場合もある。
見分けがつかない、というのは余程世俗に疎い暮らしをしている者たちぐらいのものだ。
――もっとも“売る為に”あえて拾う事もあるが。
一番驚いたのは彼女の文字を習得する速さだった。
その根底にあるのは言葉に関する膨大な知識。普通なら子供では覚えていないような難しい単語も正しい意味で理解しており、学術的な内容の理解はともかく会話だけなら難しい言葉を並べたがる研究者たちとも可能だろう。
「何処でこんなに覚えたんだ?」
ログは食堂のテーブルで紙にペンを走らせているサレナに尋ねた。
シュウは増えた家賃を払うべく仕事に出かけ、クリュスは教える事がどれもこれも難解過ぎて混乱しか招かない事から仕方なく勉強の相手をしているのだ。
「“ながれものさん”が教えてくれたんです。」
「ながれものさん?」
「はい。時々村に来て色々な事を教えてくれたんです。皆はつまらないって言っていたけど私はお話が好きだったし、いつも一人だったから沢山お話しして覚えたんです。」
散々褒めた為か、サレナは何処か照れ臭そうに話した。
ながれもの、つまりは旅の者のような人物だろうがサレナをディクルスと知っていて、なお教育していたのだとしたらかなりの変わり者だろう。そうでなければモノを教えるなんて無駄にしかならないだろう行為を行う理由がない。
「他に何を教わった?」
「楽しいお話、悲しいお話、沢山のお話を聞きました。それと私だけに教えてくれた秘密のおまじな――。」
途中まで言いかけてサレナは慌てて自分の口に手を当てた。
「いま何を言いかけた?」
「な、なんでもないです!」
「どうして隠す? 何か理由があるのか?」
「えっと、その……何も隠してません。隠してませんが……ながれものさんが誰にも言っちゃダメだって。だから誰にも見せていないし…………。」
ふむ、とログは考える。
力づくで聞きだす方法はいくらでもあるが、そういうのは全く好みじゃない。
しかし聞き出さないでいるのも、それはそれで潜む危険を見逃す可能性から選ぶべきではない。
どうしたものか。
考えながら視線を巡らせていた時に、ふと一つの瓶に目が止まった。
「そうだな。……その秘密、こっそり教えてくれたらアレを食べてもいいぞ。」
「アレ?」
ログの視線を追っていき、クリュスの目が真ん丸になる。
それは先日の重苦しい空気の中でニナナがお土産として持たせてくれた菓子の一つ。赤、橙、黄、緑、青、紫と様々な色の飴玉の入った小瓶だ。飴玉と言っても普通の硬い砂糖の塊ではなく、クッキーのような触感でかみ砕くことの出来る一風変わったものである。
非常に人気の菓子であり手に入れるのは早い時間から長い行列に並んだりと容易では無いのだが、売っている店でニナナがアルバイトをしていたことがあるらしく特別にこっそり売って貰ったのだ。
実は先日、中々ログがサレナと打ち解けられずにいた時に二人の仲の架け橋として活躍したばかりである。
そしてその日以来、サレナは瓶が視界に入ると思わず目で追ってしまうようになっていた。
ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた気がする。
「どうする? いらないなら別に話さなくてもいいが。」
「……意地悪です。」
「そうか?」
暫しサレナが葛藤の中にあって忙しなく目を動かす様子をログはただ見守った。
こういう時、即座に断れなかった時点で半分負けである事にまだ気が付ける年ではないか。
「分かった。じゃあ教えてくれなくてもいい。代わりに少し見せてくれないか?」
「見せる?」
「ああ。そうしたらアレを一瓶全部やろう。」
なぜ“見せる”なのか、その言葉に対する疑問は浮かばなかったらしくサレナは真剣な顔で天秤にかけている。
こうなればもう勝ちも同然だ。
思惑通り、サレナは覚悟を決めたようで「分かりました。」と期待通りの答えを出した。
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