第15話 転生者と奴隷少女 3-1

 世の中は常に自分の想定を超えて最悪へ流れていく。

 そんな無慈悲な事実を思い出したのは、本当に久しぶりの事で軽く走馬灯を見た気がした。

 組んだ手の上に額を乗せて、テーブルに模様を作っている木目の数を現実逃避の如く数える。

 二十三本め辺りで良く分からなくなり振り出しに戻っては、再び一から木目の数を数え上げていく無意味な行為をひたすらに繰り返し、今見ているこの世界の全てが嘘で早く現実に戻れないかなどと夢想する。

 「戻りました。」

 現実が戻ってきてしまった。

 虚ろな目を上げた先には、いつものように世界でもっとも無表情であると言える表情のクリュスの姿。そしてその後ろには――。

 「「……。」」

 半ばクリュスの体に隠れながら怯えと不安が混ざり合った瞳でログを見上げる一人の少女。

 現在のログの最大の悩みの種にして、今すぐにでも放り出したいバカでかい爆弾がそこにいる。

 再びログは俯き重く溜息を吐いた。

 この爆弾を邸に持ち込んだ張本人はギルドへ依頼の報告へ向かっているのでこの場にはいない。

 小賢しい事にログが外に出ている時間に戻ってきてクリュスへ少女を預け、そそくさと出発していったらしい。サプライズにしてもこれ以上に心臓に悪いモノはそうそう無いだろう。

 汚れたまま放っておくわけにもいかず確認も兼ねてクリュスに風呂へ入れさせ、衣服も適当な布からクリュスが即席で作り上げた簡素なものを着せた。今はどこからどう見てもごく普通の獣人の村で暮らす娘の姿だ。

 「で、“あったか”?」

 「“ありました。”」

 クリュスは頷く。なんとも現実とは非情なものだ。

 見えたかと思った一筋の希望の光は、しかしまやかしで地獄へといざなう絶望の呼び声なのである。

 諦めに似た表情でログは天井を見上げた。

 最終的な選択を行うのは小僧だが、その結果次第では自分も腹をくくる必要がありそうだ。

 「で、いつまでそこでコソコソしているつもりだ?」

 ――無反応。

 「そういう態度を取るなら、こっちも話を聞く気はないぞ。」

 木の床が軋む音。

 食堂の入り口から恐る恐ると言った様子で姿を現したのは、ログの頭をこれでもかと悩ませる今の現況を作った困った宿泊客。

 シュウは気まずそうな顔で、入り口付近に立ったまま部屋の奥まで入ってこない。

 なんとなくやり辛い距離感だ。

 「まずは、その娘がなんでここにいるのか。その説明を聞こうか?」

 抑揚の少ない優しくも無ければ怒気もない淡々とした声で尋ねる。

 刃でも突き付けられたかのような表情でシュウは少女との出会いの経緯を説明した。

 もっとも何があったかなどクリュスに調べてもらっていて全て把握済みだ。ここで確認しているのはシュウが正直に全てを話すかどうか。聞いた限り細かく抜けた情報はあるが嘘は言っていないようだ。

 一通り事情を聞き終えたところでログは「この娘が何者なのか?」を尋ねた。

 「……獣人の女の子――。」

 「嘘をつくな。その顔を見ればわかる。……小僧、こいつがディクルスだって本当は分かってるんだろ?」

 シュウは外見で見分けることが出来なくとも、その境遇を考えれば当然の帰結として辿り着く答えだ。

 ギルドへ少女の存在を報告しなかったのも、町ではなく最初にこの邸に連れてきたのも、ごく普通の獣人の娘だったなら説明のつかない行動だろうに。

 この場合の無言は肯定と同じだ。

 「はあ……じゃあ質問を変えるか。どうして連れてきた?」

 「それはさっき――。」

 「今聞いているのは経緯じゃない。お前が何を思ってここに連れて来たのか、だ。」

 「それは……。」

 「それは?」

 「ここなら安全だと思ったからです。それにサレナには焼印もありませんし、ほとぼりが冷めれば――」

 「残念だが、印は既に押されている。」

 シュウは信じがたい言葉を聞いたとでも言うようにポッカリ口と目を開き、ログは証拠を示すべくクリュスに指示する。サレナに背を向けさせ、髪を持ち上げさせた。

 「あ……。」

 細かい部分に違いはあっても、うなじに付けられたそれは確かに焼印の痕だった。

 「お前が以前に見たのは、言い方は悪いが粗悪品のものだ。お貴族様や金持ちたちにはとても売れないから、代わりに二束三文で下々に流している場合。そういう場合は手っ取り早くまた分かりやすい肩に焼印を付けるんだが、一方で正規品の場合は何しろ体裁を気にする連中が相手だからな。傍目には分かりにくい場所をわざわざ選んで印を付けるんだよ。」

 「そんな……。」

 「主従関係で拘束する魔法はかけられていないから、まだ売れてはいないだろう。だが印がある以上は既にコイツは商品の一つだ。勝手に攫った日には窃盗だぜ。しかも正規品の場合は取引の値段がバカみたいに高いのが一般的で、場合に寄っちゃお前が一生働いても払えるか怪しい額までいくのもある。」

 シュウは俯く。

 浅はかな知識と行動の結果がこれだ。

 ハッキリ言ってシュウの手で彼女を自由にすることは現時点では不可能である。買う事は当然ながら法律上、匿っている事がバレてもどんな処罰が下されるか分かったものじゃない。互いの身の安全を考えれば素直に拾ったとして町で引き渡すのが最善だろう。多少の報酬も貰えるだろうから“法を知る善良なる民”ならそうする。

 「悪い事は言わない。自分のためにもコイツは“持ち主に返す”べきだと思うぞ。」

 そしてログは黙ってシュウの答えを待つ。

 重い沈黙が世界を支配した。

 呼吸の音すら聞こえなくなるほどに、深い深い海の底に沈められたかのような重圧がシュウにのしかかってくる

 ログのいう事は正しく、賢い者でなくても当たり前のように選ぶ選択だ。それにシュウは既に自分の身の可愛さに彼らを見捨てているのだ。一度が二度に増えたところで何も変わらないはずである。だというのに胸を締め付ける苦しさが口から簡単な一言を発することを邪魔していた。

 呼吸が乱れる。

 眩暈がする。

 鼓動は何処までも早くなり、全身から何処かへ血の気が引いて行くのが分かる。

 永遠に続く苦悩の中、視界の端に映ったものがあった。

 それは、まだ生気の溢れる綺麗な目だ。

 不安に揺れていながらも光を忘れていない瞳だ。

 シュウは一度目を閉じ、大きく深呼吸をする。再び開いた瞳には迷いなど何処にもないように見えた。

 「僕は、彼女を保護します。」

 「ほう? どうやって?」

 「どんな手を使ってもです。帰る場所が無ければ探します。追ってくる者がいれば誰であろうと戦います。飢えに苦しむことになろうと、乾きにもがくことに成ろうと、永遠に安息が訪れなくなっても……僕は彼女の安息となって絶対に守り切ります。」

 シュウは挑むようにログを見返す。

 再びの沈黙が周囲に舞い降りた。それは二つの思いがせめぎ合う喧騒のようだ。


 ――先に音を上げたのはログの方だった。


 体に入れた力も全て吐き出すように大きく息を出し、ぐったりとした様子で額に手を当てた。

 「…………家賃は二人分取るぞ。」

 シュウは意表を突かれ、「え?」と声も顔も何とも間抜けなものになった。

 「家賃は二人分、食事は特別に娘の方は三食用意してやるがその分も小僧の賃料に上乗せだ。それと俺やクリュスの許可なく邸の外に娘が出ることも禁止する。……これが最低限の条件だ。」

 一つ一つ確認していくようにログは言う。

 「ログさん――。」

 「やめろやめろ、そんな顔するのは。俺はタダより自分の懐に金が入ってくる選択をしただけだ。お前が今想像しているような感情はいっさいない。あくまで利己的に考えた結果だから勘違いだけはするな。」

 「それでもです。ありがとうございます。」

 「だから、やめろって。」

 深々と頭を下げるシュウの目には僅かに涙が浮かんでいるように見えたが、きっと気のせいだろう。

 自分はそんな細かい事に気が付くような人間ではないのだから。

 「さて、そんじゃまず部屋だな。とりあえず色々ここの決まりを教えなきゃいけねえが、それは明日だ。今日はクリュスと同じ部屋で寝てもらう。小僧は、明日以降は隣の部屋に移れ。それで開いた今の小僧の部屋に寝泊まりさせることにする。あそこの窓が一番外から見えない位置にあるからな。大丈夫だとは思うが念のためだ。」

 そう言ってログは立ち上がりシュウの脇を抜けて部屋から出ていく。

 向かった先は食糧倉庫。

今晩から夕飯は一人分多めに作らなければいけないから、今準備している量では少し足りない。

 面倒ごとは嫌だと言っていた癖に、一番面倒なものを抱え込む自分の阿呆さに思わず自嘲気味な笑いが込み上げた。

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