第14話 転生者と奴隷少女 2-3
オルディア湖まではギルドが手配してくれた馬車で向かう事になった。
水を調べるための道具が多い事も関係あるが、一番は早急に解決して欲しいという要望からだ。
道具は格納できるためシュウが馬に乗れるならそれが速度からしても最善だったのだが、残念ながら乗馬はからっきしなので当初の予定通り馬と言うより調教された魔物の引く馬車を使う事に決まったのである。
多くの人が行き来することもあって道はしっかりと整備されており、たいした問題も無く目的の湖へは辿り着けた。
「これは凄いな。」
日の光りに照らされキラキラ光る湖面。子守歌のような漣と草葉の歌声。遥か向こうに聳えるのは、湖へ澄んだ地下水を供給している山で霞むほどに遠く、青々とした生気の溢れる木々が周囲を縁取るようにして囲う。
御伽噺の世界にでも来たのではないかと目を疑うような美しき光景がそこにあった。
しばし感嘆の思いに耽り、ようやくシュウは我に返る。仕事の始まりだ。
馬車から荷物を降ろして湖の端に腰を下ろし、瓶の中へ水を入れる。
とても澄んだ水だった。深い場所は光の加減で青みがかって見えるも底に沈む岩の輪郭すらはっきり分かるほどに透明度は高く、中心の方に視線を動かしていけば元気に泳ぎ回る魚の姿も見て取れた。特に危険な生物や水質を悪くすると出掛けにクリミナより教えられた魔物の類は見える範囲にはいない。
興味本位で少しばかり掬い、口の中に含んでみる。
変な臭いはしないし、喉に引っ掛かるものもない。飲み下した後の腹も特に異常は現れず、後味もスッキリとしていて気分の良くなる美味しい水だ。
果たして本当にこれは味が落ちているのだろうか?
半信半疑のまま、渡された各種の魔具と呼ばれる魔法の道具を使い瓶の水を調べていく。
そうして出た結果を過去の定期調査の結果表と見比べて変化した部分が無いかを確認していく。
検査自体は非常に簡単に終わるのだが、この結果の確認は非常に目が疲れて大変だ。確認する項目は百近くあり、一つ一つを見比べながら何処までが誤差と言えるかを考えて評価結果をメモしていく必要がある。一通りを終えるまでに太陽は昼を過ぎて、終わりまで町の娘たちがお菓子を楽しむ頃合いとされる時間までかかった。
「そんで結果がこれか。」
異常なし。
非常に喜ばしい事ではあるのだが、苦労した結果が何も無いというのはなんというか複雑な気持ちになる。
溜息一つ。再びオルディア湖を見れば午前の時とは違った薄く透明な姿がとても美しかった。
まるで心が洗われるような光景。
ただ澄んでいる巨大な水たまりだというのに、一目で苦労のかいがあったと思ってしまうのだから不思議なものだ。
――ふいに聞こえたのは藪の揺すられる音。
それは風に吹かれるより明らかに大きく不自然なものだった。
魔物の報告は無かったが怪しい影の噂はある。その正体が何であるにせよ危険がまったくないとは言えない事をこの世界で冒険者になる前からシュウは良く知っていた。
また正体が魔物でなかったとしても、成長しすぎた獣は時に魔物を凌駕する力を手に入れるし、盗賊や野盗などの人が脅威となることも少なくない。
だから音がしたと思われる方向を睨みながらシュウは湖を背にして立ち上がる。
「誰だ!」
大きな声で呼びかける。
獣なら驚いて出て来るか逃げるかし、盗賊なら不意打ちがバレたとしてやはり出て来るか一時退散するはずだ。
予想と違い、何も起きず時間だけが流れていく。
シュウの次の動きを待っているのか、見逃してもらえると考えているのか、どちらにしてもこのままでは埒が明かない。一応は依頼を引き受けてきている以上、異常があれば見逃すわけにいかないし、帰るのが遅くなれば不要な心配を与えてしまう事になるだろう。
「そっちが出てこないなら、こっちから行くぞ。」
やや威圧的に声を低くして脅すように。
一歩、警戒しながら踏み出したところで遂に反応があった。
――バキ。
枝の折れる音がしたのはやや左の茂み。
宣言通りにシュウはソチラの方へと足を進めていく。
この向こうか。一度立ち止まって不意打ちに備え物理的なそれなりに強い力を数度軽減する魔具を起動しておく。以前、ともに活動した冒険者の一人――彼とはそれっきりだが――に教えられた便利な道具だ。
いつでも“開放”が出来るようにポイントを決め、十分に準備を終えたと判断してからシュウは茂みの中へ飛び込んだ。
「…………え?」
その姿は以前見たものに似ていた。
その目は怯えた幼獣と同じだった。
その口は声にならない悲鳴を上げていた。
体を震わせ、次に自分が次にどのような目に合うのか、待ち受ける悲惨な運命を前に絶望した顔を見てしまった。
シュウはただただ唖然とした表情で目の前に座る汚れた少女を見下ろす。
ぼさぼさの髪、ボロボロの服、汚れた足、痩せた頬、背は低くせいぜいシュウの脇に頭の先が届くかどうか。
なぜ幼い少女がこのような場所にいるのか。
その答えは項垂れるように倒れた獣の耳が教えてくれていた。
「君の名前は?」
ビクリと少女は叱られた子供のように体を震わせる。
じっと俯いて答えないのは、何を言われたか理解できていないからだろうか。
「…………サレナ。」
心配していると、かなり時間が経ってから答えと思われる言葉が囁くような声で聞こえた。
とりあえずは言葉が通じないという一番困った事態でない事が分かって、シュウは少しホッとする。
「どうしてこんな場所にいるのかな?」
「ごめんなさい!!」
「いや、責めているわけじゃなくて理由が知りたいんだ。」
「に、逃げて来たんです……。」
サレナは俯きギュッと目を閉じる。
体を縮こまらせたのは、きっと叩かれるとでも思っての防衛本能ゆえだろう。
当然、シュウにその気はない。
「そうか。きっと、とっても怖い思いをしたんだね。大丈夫。僕は何もしないよ。」
「え……? 怒らないのですか?」
「怖いものから逃げてきた子供をどうして怒るのさ。」
「だって、勝手に出てきたから……それにお水も勝手に飲んで…………。」
「水? 何処のお水をかな?」
「あっち。」
サレナが指を指した方に向かうと、水路として作られた人工の川がそこにあった。
ここは――。
何かあったはずだと慌ててシュウは持たされた地図を広げて方角を合わせる。それからオルディア湖から伸びる水路の一本に指を合わせて辿って行けば……。
「あー、なるほど。」
そこは水質の異変を報告した村。
サレナは体も足も汚れているが不思議と手は汚れていなかった。
おそらくは水を飲む際に手が洗われたからだろう。そしてその水に溶けた汚れで村人たちは違和感を持ったのだ。気が付かないのが普通の微細な変化だろうに、毎日飲んでいるからこそ気が付けたのか。
これはどうやって報告したものか。
彼女は見るからに記憶にある“彼ら”と瓜二つ。
肩に焼印こそ無いものの、それも逃げたタイミングが良かっただけだろう。下手に連れて帰って見つかったら今度こそ逃げられないし、先ほどの反応からしてどんな処罰を受けるか分かったものじゃない。しかし、このまま放置してもやがて餓死するのは目に見えているし、人が寄り付かず潤沢な食べ物のある場所など魔物の巣窟と相場が決まっている。
人目のない場所で、かつ食料があり、それでいて安全な場所。
「そんな都合のいい場所がいったい何処に――。」
それは偶然か必然か、それらの条件に適合する場所が一つだけシュウの頭に思い浮かぶ。
しかし、はたして信用できるのだろうか?
先の出来事からしてサレナは元の所に返されてしまうだけなのではないか?
「……うん? どうしたんだい?」
難し顔で悩んでいると、サレナがそっと手を握って来た。
「辛そうだったので。こうすると安心するって“ながれものさん”に教えてもらったんです。」
「そっか。僕は大丈夫だよ。」
そっと手を伸ばすとサレナは反射的に首を竦めて体を縮こまらせる。
そんな頭の上にポンと手を置いて、慰めのお返しとばかりに撫でてやった。
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