第6話 冒険者と転生者 3-1
風が吹く、巻きあがる砂はここには無い。
太陽はまだ高く、しかし今日の仕事の六割は既に終えたであろう下り坂の始まり。
ポツンと舞台に立つのは青年が一人。
――バサリ。
到来を告げる音が一つ。
風を力強くあおぐ翼のものであることは、見上げずとも分かった。
――バサリ、バサリ。
始まりはそよ風のように、次第に力強く大気を震わせ、ついには思わず手で目を守らねばならないほどの風圧が舞台の上に渦巻き始めた。
青年はようやく顔を上げる。
そして煌々と輝く光の中に、光を纏ったものの正体を見た。
黄金の瞳が見下ろしていた。気高き巨大な翼を一対持つ四つの足を持つ空の獣。体躯を包む鳥のような柔らかな毛はしかしあらゆる敵意を払いのけ、その鋭き爪は例え鉄門でゼリーのように切り裂くと恐れられる。
それはグリフォンと呼ばれる強者の姿だ。
竜が現れてからもなお、空の覇権をめぐり戦いを繰り広げているもう一つの覇者。
目の前の個体はその中でも種としては最弱、さらに年齢もかなり若く力も知識も成熟しているとは言えない最弱に近いものであるとガロンは話していた。
まったく、良い冗談だ。
『キィィィィィィィィィィィイ!!』
開いた嘴の合間から耳をつんざくような甲高い声が発せられ鼓膜へと押し寄せる。
事前にガロンから受けたアドバイス通りに耳栓をしていなければ、今この瞬間にも意識は飛ばされていただろう。
ただの鳴き声ですらこの威力と威圧感を与えてくる。到底、弱いなどという言葉は信じない方が良いだろう。もし本当にこの目の前の覇王の血族が最弱だというのならば、上はきっと神の領域に踏み込んでいるに違いない。
微妙な動きの違和感、宗派直観的に体を右へと投げ出した。
風を切る音が続けて左側を抜けていき、それまでたっていた地面に一本の線が生まれる。
太さは爪の先程度、深さは親指の長さほど。
恐らくは風を刃に変化させた攻撃。これは鉄の鎧だろうと何の役にも立たないだろうし、一番頑丈な盾であっても大した時間はもたなそうだ。
レッサーグリフォンは最初の不意打ちを回避された為か警戒しているようで、上空から降りてくること無くこちらの次の動きを伺っている。
きっと力量を見極めようとしているのだろう。相手が弱ければ即座に仕留め、逆に強者ならば慎重に隙を伺って確実にダメージを蓄積していく。力だけでもその辺の魔物とは別格だというのに、それなりに知能もあるとなると厄介極まりない。
「アイツらもこんな気持ちになってたのかな。」
一瞬も気を抜けない命のやり取り。胸が締め付けられるような緊張と、一秒一秒が長く引き伸ばされたように感じるほどに高まる集中力。
シュウは目を離さず立ち上がる。
同時に背中に回して見えなくした左手を軽く動かした。
――それは完璧な不意打ちだった。
グリフォンは相手が何を考えているか、何をしてくるつもりなのか、魔法か、物理か、いかなる動きも兆候も攻撃も見逃さない自信があった。この場にいるのは目の前の人間一人だけであることは上空から見下ろして確認しており、もう一人の強そうな男は到底間に合わないほど遠くにいると分かっていた。
だからこそ、自らの背後より迫る脅威に関してはまったく想定の範囲外だったのだ。
一瞬、頭の中に響いた本能と言う名の警報、事態に気が付いたのは唐突に生じた激痛によって。
突如として発生した神速の牙は認識するよりも早く首元の脇を通り抜け、左の肩をザックリと切り裂きながら大地に突き立つ。同時に受けた衝撃に半ば吹き飛ばされるようにして体をグルグルと回転させながら降下しかけるが、大きく翼を羽ばたかせ体は寸でのところで大地との激突を回避する。そして混乱の中にある己を鼓舞せんと先ほどとは比べ物にならないほどに巨大な咆哮を行った。
間隔からいって深手ではあるが致命傷までは至っていないと判断。
飛び方がややギコチナクはなるが、しかし地に足を付けなければならないほどではない。
――コイツは自由にさせておいては不味い。
未だ理解が追い付いてはいないながらも、その直観は正しいとグリフォンは判断する。
翼を強く動かし、同時に風の刃を無数に生み出した。
「今のでダメなのか、マジか。」
シュウはあっちへコッチへと身を投げ出すように飛びながら逃げ惑う。
不意打ちは確かに効果があった。しかし偶然か本能か、当たるより前に僅かにグリフォンが体を逸らせ位置がズレてしまい必殺の一撃とはならなかったのだ。そのうえ中途半端に大きな傷を負わせてしまったが故に、かえってやる気を与えてしまったのは不幸としか言いようがない。不意打ちは仕留めきるか、反撃の意思を挫くか、攻撃がおぼつかなくなる程度までいかなければ全く逆効果なのだ。
これは困ったことになる。
今回準備した中では一番威力の高いものを叩きこんだのだが、それでもまだこれだけ元気となると他で仕留めきれるかやや怪しいところだ。
神から与えられた力、“収納と開放”。
異空間とやらに自由に道具を仕舞い、ある程度の距離までなら好きに取り出すことの出来る魔法の力。
もっとも出口や入り口を指定するだけで、便利な道具ポケットのように好き勝手に任意の状態で取り出せるような代物ではない。例えば“仕舞った時の状態を保存する”という特性から、仮に熱いもの等はいくら長時間にわたって入れておいても熱いまま。それに空気などの気体は入れることができないし、動いていない物を入れる場合には自力で動かし中へ運び入れる必要がある。
今回はその特性を利用して入り口と出口を上下に配置し最長五分ほども“落下し続けた”状態を作った一番ゴツイ長剣をブツケタのだが、まさかそれで仕留めきれないとは思わなかった。
当たり方もあるだろうが、それにしてももう少しダメージを受けていても良いはずなのだが。
あの柔らかそうな羽毛は見た目だけで鉄のように強いのか、それともその内側にある筋肉が鎧のように発達しているのか。
何にしても最大のチャンスを棒に振った。その上にこれほどに苛烈な攻撃が続けられると非常にマズい。
「ちっ!」
僅かに不可視の刃がカス、頬から少しばかり血が流れる。
「錯乱して無差別に攻撃してくれてるなら、やりようもあるんだけど――な!」
グリフォンは大雑把ではあるが明らかに狙いを付けて攻撃を行っている。
困った事に神から与えられたこの魔法には集中力が必要だった。
三次元的に空間を把握し、狙った場所に向きや角度を合わせた出口や入り口を作り出す。距離が離れれば離れるほどに当然ながらコントロールは難しくなり、より高い集中力が要求されるようになるのだ。
再び、今度は頭をかすめる。遅れた髪が僅かばかりハラリと空に舞った。
攻撃を避けるのにいっぱいいっぱいでは、とても狙いを付けるのに集中力を割いている余裕はない。
せめてもう少し近づくか、僅かな時間でも注意を逸らすことが出来れば或いは――。
そんな考えを見透かしたのか、それとも本能によるものかグリフォンは距離を取るよう更に高く空へ上がった。
鍛えた戦士ならば投擲などで十分攻撃できる距離なのだが、シュウの身体能力ではとても不可能だ。相も変わらず魔法を使う余裕も与えてくれない。
そのくせ高く上がることでより広範囲にグリフォンは攻撃を仕掛けやすくなったようで、先ほどよりも一撃の範囲が明らかに広くなっている。不可視の刃は風らしく遠くへ行くほどに範囲が広がる性質があるらしい。
「……風……広がる………………?」
引っ掛かるものが頭の中に。
しかし確認している余裕がない。
次の瞬間にピシリとシュウの先ほどまでいた大地は裂かれ、いくつめか分からない傷を作った。
ジリジリと体力は削られ、動きは徐々に鈍り、着実に肉体に刻みつけられる傷は増えていく。
最初に致命傷を与えられなかった時点で長期戦になれば勝ち目はない。その事が向こうも分かっているのか攻撃の手法を変える気は無さそうだ。
「そうか……なら、どっちにしても同じだな。」
吹っ切れたようにシュウは笑みを浮かべ、次の一撃を屈むようにして躱しつつ背後に出来た新しい地面の傷跡を素早く確認する。当然ながらグリフォンから視線を外すことになり、次の攻撃が来るタイミングは分からなくなった。
――だがこれでいい。
引っ掛かりの原因が分かった。
動きを見極めて回避に専念する必要も、もう無い。
背を向けたままにシュウは飛び出し――背後で地面の切られる音がした――全力で走った。
それは傍から見てもただの逃走にしか見えない。敵に背を向け、息を切らしながら全力で足を回転させる姿は清々しいまでに敗者の姿をしている。
グリフォンは勝利を確信した。
もはや狙いを定める必要すらない。その背中と移動先へとどめとなる風の刃をいくつもいくつも飛ばす。
――吹きすさぶ風と競争して勝てる人間なんかいない。
特に何者かが魔法的な力を使って作り出した風ならば尚更の事だ。
しかしそんな風であっても、やはり風は風だ。遠くに行けば広がり――威力は弱まる。
かなり離れた位置まで来たと思うと同時に半ば転がるようにしてグリフォンの姿を視界に収めながら、その視線を阻むように大きな盾を虚空から落とすようにして取り出した。当然のように、しかし緩めに加速を施されていた盾は一瞬にして地面に突き刺さり一つの壁となる。
瞬きほどの時間の後にピシリとその頑丈な鉄の表面に傷がつけられたが、しかしそれだけだった。
シュウは己の考えが正しかった事を確証し、同時にホッとする。
あの風の魔法のようなものは、遠くに行くほどに“拡散し威力が減衰する”のだ。
まったく未知の攻撃であるから、もしかしたらそんな気がしているだけかもしれないと不安はあった。しかし確かめた地面の傷の深さはグリフォンが遠ざかる前後で微妙に変わっていた。だからこそ賭けるだけの価値はあると判断したのだ。
取りあえず緊張と走った事による息切れ、激しく打つ鼓動を落ち着かせる。
盾の脇からグリフォンを見てみれば、苛立たし気に風を打ち付けるばかりでまだ近づいて来る気は無さそうだ。
「よしよし、こっちの賭けにも勝ったみたいだな。」
こんな状態で近づいてこられても反撃の余裕などないし、上に回られたら風も爪も防ぎようがない。
かなり警戒してくれているから安易に突進してくるような可能性は低いと思っていたが現実は時に非情なものだ。信用などまったくできたものではない。
ようやく呼吸が落ち着き、額の汗を拭りつつ次に行う行動を思って苦笑いを浮かべる。
危ない橋をあと幾つ渡れば良いのか。
大きく息を吸い、吐き、覚悟を決めて行動を始める。グリフォンに考える時間を与えないために。
――ズン、と衝撃が大地に空に響き渡る。
それは一つではない。
何度も、何度も、何度も。
全てで九つ衝撃があり、気が付けば舞台の上は僅かながら様変わりをしていた。
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