5

「ティーノさん、なんで出てっちゃったんだ?」


「上のやつに確認しに行ったんだろ。いやー、これは思ってたより面倒かもしれねえなぁ。……あ、茶飲まないならくれよ。喉乾いちまった」


「えー良いけどさ」


 ピテルは、手を付けていなかったお茶をエルの前に滑らせた。


「なぁ、上のやつにーって、これ実は結構やばいの? おれ、居ていいのか?」


 そわそわするピテル。

 良く分からないなりに、何か空気を感じ取ったらしい。


「あー? 大丈夫じゃねえか? ティーノが出て行けって言わなかったんだし。やばいかどうかは分からねえけど、なんか事情はありそうな感じだよな」


「直接頼まれるなんて、今までになかったんだろ?」


「ああ。つっても、それこそもっと有名なやつらが呼ばれたって話は、聞いたこともある。やべーのが出ちまって、軍やら騎士隊やらと協力して討伐しに行ったとかな。ただ、今回のは炎血豹だって言うから解せねえんだよ」


 エルファヌが、今度はちびりと茶を口に含んだ。

 それから、石煙草を取り出して咥る。


「ちょ、良いのかよ? 煙草なんて」


「別に構わねえだろ。灰が落ちるわけじゃなし」


「そりゃ、そうだけど……」


 ピテルは周囲を伺うように見たが、まだ扉は開かない。


「おれは止めたって言うからな!」


「ハイハイ」


 エルファヌは、構わず黄色の煙を吐き出した。


「もー……」


 諦めた顔をしてため息を吐いたピテルは、気を取り直したように頷いて、話を再開させた。


「で、その炎血豹? って、どんな魔獣なんだ?」


「簡単に言や、出た血が燃える豹だ」


「出た血が燃える?」


「そうだ。切ったり殴ったりしたら、血が出るだろ?」


「え、うん、当たり前じゃん」


「それが、出た瞬間燃えるんだ」


「こっわ! なにそれ、怖え……! 倒せるのか!?」


 想像したのか、ピテルは自分の腕を両手でさすった。


「普通に倒せるぞ。一番良いのは、遠距離から仕留めることだが、それが無理なら、一発で首を落とす。で、切った瞬間に水をぶっかける。下手にちまちまやって血を流させちまうと、火をまとった豹みたいになるから厄介だな。近づき辛い。あ、でもその状態だと見た目は結構かっけえぞ!」


「いや、そのかっこよさはいらねえだろ……」


 ししっと笑うエルファヌに、ピテルは呆れ顔だ。


「あ、じゃあ、魔法で倒すのはどうなんだ? 水とか、氷とか」


「それが出来る魔導士は、炎血豹くらいじゃ出てこねえよ。お前、戦いに使える魔導士が、どれくらいいるか知ってるか?」


「知らないけど」


「23人だ。いや、これは俺が学生の頃の数字だから、今はどうか分かんねえけど。ま、大して変わってないだろ。研究職は除いて、軍とか騎士隊に居る戦闘職の魔導士の数は、大体そんなもんだ」


「あんまり居ないってのは聞いたことあったけど……そんなに少ねえんだな」


「これでもましな方だけどな、うちの国は」


「他はもっと少ないってことか?」


「10人超えてりゃ上等だな」


 ほえー、とピテルは気の抜けた声を出した。


「魔法使いって、すげえんだな。すげー。うん、すげえな」


「……その頭の悪い感想やめろ。馬鹿がうつりそうだ」


「なっ!」


 その時、扉がノックされた。

 エルが応えると、失礼しますという声と共に2人の男が入ってきた。1人はもちろんティーノだ。


「エルさん、紹介します。彼は、時遣組合ディムタ支部長のノーベルド・ケイミスです」


 紹介され頭を下げたのは、50手前くらいに見える長身の男性だった。

 黒髪が半分くらい白髪になっており、肩につくくらいの長さのそれをオールバックにして後ろで括っている。黒の目は鋭く、正直かなりの迫力だ。そして、顎から首にかけて何かにえぐられたような形の古傷が見えるのが、顔の怖さに拍車をかけていた。


「初めまして。支部長のケイミスです。どうぞよろしく」


 ノーベルドは、エルの吸う煙草をちらりと見たが、特に何も言うことはなかった。


「ああ。エルだ。こっちは手下のピテル」


「手下!?」


「間違えた。専属の使い走りだ」


「ははは、ピテル君もよろしく」


 ピテルは少し不満げに、よろしくと応えた。


「あっあの、煙草! ごめんなさい……」


 思い出したように謝るピテルに、ノーベルドは優しく笑った。

 いや、本人からしたら“優しく笑った”つもりだったが、傍から見ると獲物を前にした時の笑みだった。ピテルは恐怖から、思わず目を逸らした。


「大丈夫ですよ。もし必要でしたら灰皿を――石煙草ですが。でしたら、いらなそうですね」


「ああ」


 エルファヌは鷹揚に頷いた。


 それから、ノーベルドとティーノも座り、話が始められた。


「ポンテッテから聞きました。やはり、赤札持ちの方は違いますね。よくお考えのようだ」


「それは、嫌味か?」


 エルはノーベルドをぎろりと睨んだ。先ほどのノーベルドの笑みに負けないくらいの迫力がある。


「いえ、とんでもない。ご不快にさせたのならば謝りましょう。ただ、ディムタには他に赤証札を持ってる時遣者は居ないので、素直に素晴らしく思っただけですよ」


「ふん」


 ノーベルドは、ティーノとちらりと視線を交わして苦笑した。ティーノは慣れているのか、凶悪な笑みを見ても特に反応はなかった。


「まあいい。とっとと話せ。ここのトップが出てきたってことは、話してもらえるんだろう?」


「ええ、もちろんです。少々お時間頂戴しますが――」


「手短にな」


「……善処しましょう」


 この時、ピテルは気が気でなかったという。


「リソ近くに出た炎血豹ですが、どうやら上位体らしいという情報が入ってます」


「プラスはいくつだ?」


「確定ではありませんが、2と4だろうと言われています」


「――2体いるのか」


「ええ」


 魔獣の“上位体”とは、認定された種の中で、個体差によるばらつきという程度を超えた強さを持つものに付けられる呼び名だ。

 その種の程度を超えているならば、別種なのでは? という意見ももちろん出ているのだが、上位体は通常の個体と見た目は変わらず、明確な区別がつかないのだ。また、もう1つ理由をあげるとするならば、プラス5と認定された上位体が“変態した”という記録が残されているのだ。

 プラスというのは、5段階で評価される上位体の強さの指標で、最低が1最高が5で表される。高くても3で、プラス5なんて居ないだろうとされているのだが、前述の通り伝説のような話も残されていた。

 もしプラス5が変態したという記録が事実とするならば、上位体は“進化”ともいえる状態の途中なのでは? 進化した魔獣は姿形が変わるので別種と認定したとしても、上位体はやはり同種と捉えるべきでは? いや、進化しても元が同じならばそもそも同種だ――などという議論に決着がついておらず、今のところどんなに強くても同種として扱われているため、便宜上“上位体”という名が使われている。


「プラス4だなんて、本当なのか?」


 殆どの場合、高くても3ということを考えると、もし本当ならばなかなかない状況だ。

 そして、ノーベルドの答えはこうだった。


「残念ながら、本当です」


 エルファヌは眉を顰めた。


「そりゃ……いくら炎血豹と言えど、軍に要請したほうが良いんじゃねえか?」


「そうしたいのは山々なのですが、出来ないのです。その事情が、今回エルさんに来て頂いたことに繋がります」


「なるほどな。……分かった、聞こう」


「ありがとうございます」


 ノーベルドは、それまで全身を固くしていた緊張を少しだけ解すように、ふっと小さく笑んだ――本人としては、笑んだようだった。


「ディムタもリソも、今まであまり魔獣による被害がなかったので、基本的に街に駐在している軍は、警民部隊だけです」


 軍の警民部隊とは、正確には“一科”という部隊で、街の治安維持が主な仕事だ。魔獣が街中に侵入したなどの緊急事態でない限り、魔獣と戦うことはない。

 対魔獣を専門としているのは“三科”で、軍に要請して派遣されるのは、この部隊だ。ちなみに三科は討魔部隊とも呼ばれる。


「栄えていると言えど田舎ですし、そもそもグルナンリーク領自体がそこまでお金のある領じゃないですからね。要請するとなれば、領都に居る三科ということになります」


「到着するのにどれくらいかかる?」


「4日程度でしょうか。少数精鋭が馬で来てくれるとしたら、丸2日といったところです。通常なら」


「通常なら?」


「はい。……実は今、隣の領で魔獣の大量発生が起きているんです。領都の軍は、救援要請を受け、そちらに行っています」


「自領に人を回せないくらい出してんのか?」


「一応残してはいるそうなのですが……いえ、違いますね。正直なところ、主力の大半が向かっており、炎血豹くらいは勝手にどうにかしてくれというのが本音のようです。戦闘経験の浅いものを貸してもらうことは出来そうですが、上位体相手では荷が勝つかと……」


 確かにな、とエルファヌは思った。

 主力以外でも、時遣者の中で戦闘が得意な者と同じか、それ以上の力はあるのだろうが、上位体となると厳しいかもしれない。


「それと、もう1つ」


 ノーベルドが言い辛そうに口を開いた。


「まだあんのか」


「ええ、すみません。エルさんは、リソの手前というのがどんな場所かご存じでしょうか?」


 エルファヌは小さく首を横に振って見せた。


「そこは、林なのですが――リーズイ草の群生地が何ヶ所かあるのです」


「は!? 何だって!?」


 突然のエルの大声に、隣のピテルがびくっと肩を揺らした。


「やはりご存じですよね」


「当たり前だ、馬鹿者」


 馬鹿者と言われたノーベルドだが、迫力のある顔で少し苦く笑っただけで、あまり気にしていないようだ。

 彼自身も、エルが知らないわけがないのだから、不用意な発言だったと思ったらしい。


「これを言うと、よりご機嫌を損ねそうで怖いですが――延焼により、既にいくつかの群生地にかなりの被害が出ています」


 エルファヌは、舌打ちをした。


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