4

 建物に入ると、ピテルが思っていたより人が多く、がやがやしていた。

 任目を終えて帰ってくる時遣者が、ぼちぼち出てくる時間のようだ。


「へぇ……」


 入ってすぐ、今ピテルが立っている3歩ほど先には、何脚もの椅子が少々列を乱して置かれていた。正面のもっと奥にはカウンターが見えるので、順番待ちの人が座れるようになのだろう。

 そして右手側には、壁一面に多数の紙が貼られているのが分かった。よく見ると、1枚の紙の下の方に、それよりも小さい紙が数枚貼り付けられている。

 何が書かれているのか気になり、近づこうとしていると、声がかけられた。


「おい、ピテル。なに突っ立ってんだ? 早く来い」


 声のした方を見ると、エルファヌが面倒そうに立っていた。


「あ、うん。ごめん」


 ピテルは駆け寄った。


「ナターリアの息子――名前なんてったかな。とりあえず、そいつのとこ行くぞ」


 そう言って、5つ並ぶカウンターの右端を目指してずんずん進むエルファヌ。そこに座るのは、黄味がかった茶色のくるくるした髪の男性だ。

 人をかき分けてどんどん行ってしまうので、ピテルは不安になり声をかけた。


「エ、エル! みんな並んでんじゃん! なあ!」


 確かに、どのカウンターにも10人前後が並んでいる。

 エルは堂々と横入りでもしようとしているのだろうか。


「ちょっと、エルってば! おい!」


 焦るピテルをよそに、後数歩という距離まで来てしまった。

 その時、ふと顔を上げると、右端のカウンターの男性と目が合った。優し気な茶色の瞳だ。

 男性はピテルを見て不思議そうな顔をしたが、何か思いついたように少し視線をずらすと、納得したように小さく2回頷いた。

 そして、後ろに居た職員に声をかけて対応を変わってもらい、何故かカウンターから出てこちらに向かってきた。


「こんにちは、エルさん。お待たせ――は、しないですみましたかね?」


 男性は、礼儀正しくぺこりとお辞儀をして言った。


「おう。呼びつけといて、まさか待たせる気じゃねえよなって思ってたところだよ」


 エルファヌは、にやりと笑った。

 それを見た男性は、苦笑いだ。


「はは、良かったです。こちらへどうぞ。あ、そちらの方も一緒にどうぞ。えーっと、ピテル君、かな?」


「そ、そうだけど」


「母から聞いてます。エルさんのところで働いてるんだって?」


 話しながら、2人はカウンターの横の扉から、奥の部屋へと通された。


「じゃ、座って少しお待ちください。お茶でも持ってきます」


「それは、長くなるってことかね?」


「ははは……」


 男性は、ひとつ礼をすると、そそくさと出て行った。


 案内された部屋は、机に椅子が4脚あるだけのシンプルなものだった。

 圧迫感を感じるほどではないが、あまり広くはない。しかし、丁寧に掃除されているのか清潔感はあった。


「エル、さっき右側にいっぱい貼ってあった紙だけどさ。あれが任目表?」


 座ってから、待ちきれないとばかりにピテルが口を開いた。

 実は先程からずっと気になっていたのだ。


「ああ、そうだ。分野ごとに並んでるから、条件を読んで受けたいやつの券を持って、カウンターに行くんだ」


「券?」


「紙の下の方に、小せえ紙が何枚か付いてただろ? あれのことだ」


「へえ」


「受けられる人数分付いてるから、なくなってればその任目はもう受けられない。人気のやつは、争奪戦になるぞ」


「こんな時間でもいっぱい残ってたやつは、かなり不人気ってこと?」


「不人気で残っちまったやつもあるし、後は夜勤か、明日の分かって感じだな。職員の人数は減るが、組合は一応1日中開いてる」


「へえ! え、じゃあさ、じゃあさ!」


 ピテルは楽しそうだ。

 知らなかったことを知れる喜びもあるのだろうが、札持ちへの憧れから、組合自体にも興味を持っているみたいだった。


「不人気すぎて誰も受けない任目って、どうなるんだ?」


「依頼元との契約にもよるが、元々誰も受けないだろうって分かってるような任目は、保証金が払えてないやつに回されることが多いな。あとは、争奪戦に敗れたやつに話を持っていく。で、多少人数が足りなくても大丈夫なら、現場でどうにかするみてえだけど……完全にゼロだったりとか、明らかに不可能な人数しか集まらなかったりした場合は、組合の職員が出るんだよ――な?」


「はい。僕はもうほとんど行きませんけどね。若手が頑張ってますよ」


 いつの間にか戻ってきていた男性が、2人の前にそっとお茶を置いた。


「あ、ありがとう、ございます」


 男性が入ってきたことに気づいていなかったピテルは、少し恥ずかしそうにお礼を言った。


「いえ。そんなに高いものではないですので、良かったらおかわりもお持ちしますよ。エルさんも、どうぞ」


「おー、ありがとよ。でもさっさと話聞いて、俺は帰るからな!」


 エルファヌは、ぐいっと一息にお茶を飲んだ。

 それを見た男性は、苦笑し頬を指でかいた。


「では、なるべく手短にしましょう」


 男性は、失礼しますと一声かけてから2人の向かいに座った。


「で? 一体、なんの用だ? ナターリアの息子」


「ティーノです。ティーノ・ポンテッテ。ですがまあ、直接応対するのはこれで2度目ですから、覚えてらっしゃらなくても――あ、ピテル君は初めましてですね。よろしくお願いします」


「あ、よ、よろしく」


 ピテルは勢いよく頭を下げた。


「お、そうだな。これからピテルを寄越すかもしれねえから、時間あるときは見てやってくれ」


「はい、もちろんです。それで、エルさん。今回お呼び立てしたのはですね、近くに炎血豹が出たからなんです」


「炎血豹か……そりゃまた厄介な。近くって、どこだ?」


「ディムタから行くと、リソ――隣町の少し手前です。歩いていくなら2日程の距離でしょうか」


「へえ。それで?」


「はい。組合としては、赤証札を2枚お持ちのエルさんに、討伐に行って頂けないかと思っています。任目として出しますが、こちらからお願いしておりますので、多少色は付けられるかと」


「なるほどな。断る」


 エルが断ると言い放った瞬間、えっ! という声が2人分重なった。ティーノとピテルのものだ。


「エル、なんで断るんだ?」


 ピテルが尋ねる。


「いや、俺としてはむしろなんで俺に頼むのか分かんねえんだけど。普通に募集かけりゃいいじゃねえか。直接頼まれるなんて、聞いたことないね」


 そう。時遣組合から、直接依頼があることなどほとんどない。

 というのも、どうしても手に負えない魔獣が出た場合は、軍に要請がいくからだ。少々戦闘が出来る日雇い労働者にお願いするよりも、よほど確実だ。

 それに、確かに炎血豹は“厄介”ではあるが、そこそこの力があれば倒せる。軍に要請を出すまでもなく、普通に任目として戦闘が出来る時遣者を募集すれば、事足りるはずなのだ。


「それは、そうなんですけどね……」


 ティーノは、はははと困ったように笑った。


「どうしても、駄目ですかね?」


「今は本業も別にあるしな」


「いや、大して客いねえじゃん――いって!」


 余計なことを呟いたピテルは、エルファヌに制裁を食らっていた。

 でこぴんされた額が赤くなっている。


「そうだなぁ……。おい、ティーノ」


 完全にピテルを無視したエルが、少し考えた仕草を見せてから口を開いた。


「はい、なんでしょうか」


「もしお前が、俺に頼む理由を正直に話したら――考えてやってもいい。ナターリアにはいつも世話になってるしな」


 エルファヌは、ん? と試すように首を傾けた。


「なるほど……分かりました。少々お待ち頂けますか?」


「おう、いいぜ」


 では失礼します、とティーノは退室した。

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