時遣組合の赤札

1

「エル、来たぞ」


 ピテルがエルファヌの使い走りになってから、大体2週間が経った。

 テストで行った池や、ツリーハウスの近くで採れる物の採取を習ったり、街での納品や材料の買い付け、その他日用品の買い出しをしたり、少しずつ色々なことを任されるようになってきていた。


 ただ、今のところエルファヌに一番喜ばれているのは、それらのことではなかった。


「おー、ピテル。今日は何だ?」


 カウンターの内側でのんびり本を読んでいたエルファヌが顔を上げた。


「シチュー作るよ。あと、固めの美味しいパン買ってきた」


「いいな!」


 ピテルは慣れたように2階へ上がり、調理を始めた。


 そう。一番喜ばれているのは、これであった。


 雇われ始めて何日かは、言われたように持ち運びできる出来合いのものを買って届けていた。

 しかし、わざわざ飯屋に頼みでもしない限り、メニューの幅があまりないのだ。

 そこでピテルは、家で作っているようなもので良ければと提案してみることにした。なんだかんだ自分もご相伴に与っているし、安く食べられた方が申し訳なく思わずにすむという事情もあった。


「こないだのスープも旨かったけど、俺はシチューも好きだぜ」


「あっそう」


 1階と2階で少々声を張りながら会話をする。


「あ、ちょっとコーヒー淹れてくれよ」


「いいけど、取りに来いよ。っていうか、飯にすんだから本持ってくればいいじゃん」


「それもそうだな」


 そう言いながらも、キリの良いところまで読んでしまうつもりなのか、すぐに上がってくる気配はない。

 ピテルは慣れた様子で薬缶を火にかけた。

 この家の設備にも、だいぶ馴染んだようだ。


「このコンロ便利だよなー。いや、コンロよりも、水の方が欲しいけど……」


「作ってやろうか?」


「うわっ!」


 気づかぬうちに、エルファヌは2階に来ていたらしい。

 突然後ろから声をかけられたピテルは、肩をビクッとさせた。


「お、おどかすなよ……」


「脅かしてねえよ」


 エルファヌは呆れたように片方の眉を上げた。


「それよりも、作ってやろうか? 溜魔晶」


「溜魔晶? ……あ、水を出す魔法石のこと?」


「ああ。水だけなら割と簡単だからな。今あるタンクに一定量たまるようにしてやれば、そのまま使えんじゃねえか?」


 なるほど、この不思議な管を作るよりは簡単そうだ――とピテルは思ったが、ひとつ溜息をつくと、首を横に振った。


「……やめとくよ。普通に買ったら高いんだろ?」


「んー、たぶん?」


 エルファヌはあまり値段を把握していないようだった。


「つーか、簡単ってことは、これエルが作ったのか?」


「まあな。これでもそこそこの魔導士なわけよ」


 エルはふふんと胸を張った。


「ふーん。やっぱ結構すごいんだな。……でもまぁ、国に仕えてないってことは、そんなでも――いてっ!」


 ピテルはおでこを両手で抑えた。エルファヌにでこぴんされたのだ。


「雇い主に対して、ずいぶんな口きくじゃねえか。え?」


「いや、だって……」


「だっても何もねえよ。ま、いいや。とっととコーヒー寄越せ」


 ピテルは唇を尖らせながら、淹れたコーヒーをカップに注いで手渡した。

 少年は生意気ではあるが、エルにもかなり馴染んできているらしい。


 エルファヌは、受け取ったコーヒーを持ってどかっと椅子に座った。

 ちなみに、2階に一脚しかなかった椅子は、今は二脚になっている。と言っても、街で適当に見繕ったためにバラバラな感じは否めないが。


「で、今日はナターリアのところ寄ってきたんだろ? なんか言ってたか?」


 エルファヌはコーヒーを啜った。

 自分で淹れるよりも格段にうまいそれは、最近のお気に入りだ。

 ピテル曰く、今までが“やばい淹れ方”をしていただけで、何も特別なことはしていないらしいというのを付け加えておく。


「あー、それなんだけどさ」


 ピテルは野菜を切りながら口を開いた。


「なんか、おばさんの息子が、来てほしいって言ってたみたいだぞ」


「息子? ……時遣組合のやつか?」


「あっ、そうそう! 頼みたいことがあるらしい」


「なんか面倒そうだな……」


 エルファヌは顔を顰めた。


「詳しく聞いてないから分かんねえけど。おばさんが『エルなら大丈夫だから! 絶対伝えとくれよ!』って言ってたぞ。……あっ! エル、時遣者だったんだろ? もしかして、なんか札とか持ってんのか!?」


 札というのは、時遣組合の中で“ある分野に優れている者の証”として認識されているものだ。

 庶民には、本業として以外にも、副業として組合に登録している者は少なくない。そのため、ピテルが知っていても不思議ではなかった。


「いやー……うん、まあ、そうだな」


「すげー!」


 嫌々答えたエルとは対照的に、ピテルは珍しくキラキラした目をしていた。


 以前“エルはここに来るまで、何をしていたのか”という質問をし、時遣者と答えられた時には“ふーん、そうなんだ”などと反応していたことを考えると、すごい変わり様だ。


 だが、少年がそうなるのも分からなくはない。確かに、札を持っている人というのはかなり少ないのだ。

 そもそも、日雇い労働などをやっている者で、何かに特化した能力を持つ者は限りなく少ない。もしそんな力があるなら、もっと別の仕事に就ける場合が多いからだ。


 組合で“任目”と呼ばれている仕事は、相当評判を落とさない限りは先着順で割り振られるし、特殊な能力はほぼ必要とされない。ただただ誰にでも出来るような仕事を、名前のない“1人の人間”というカウントでこなすことを求められるのだ。

 少々の金で買った“最低限の保証”しかない者に、重要な仕事を任せられるか? と考えれば、当然のことではある。


 しかし、そんな環境でも、能力が飛び出てしまう人間というのは稀に居るものだ。


 誰にでも出来る仕事の中でも、女子供が力仕事をあまり選ばないように、得意な分野を選ぶくらいの自由はある。

 自分の思う優れた分野で実績を作り、積み重ね、それが認められた結果、証明になる札を貰える。それが“札持ち”だ。


 正確には“証札”と呼ばれるそれは、人差し指の第二関節くらいまでの大きさで、分野によって色が違う。 

 札を持つ枚数で“何枚持ち”などと言われることもあるが、かなり少ない“札持ち”の中でも、複数枚持つのは一握りにも満たない程度だ。

 だが、逆に言えばそんな状況だからこそ、日雇い労働者の身分でも有名になった人物が居ないわけではなかった。


「なぁ、色は!? 赤? 橙? 何枚持ってんの!? 見せてよ!」


「うるせーな! 赤だよ、赤! とっとと飯作れ!」


 興奮するピテルに、大声で返すエルファヌ。


「赤! 赤か! すげえな! やっぱ強かったんだな! そういや、狼も一撃だったもんな!」


 赤証札は、戦闘に優れているという証である。


「な、な、見せてくれよ! おれ、見たことないんだ!」


「は? なんでだよ」


「いいじゃねえか! 別に減るもんでもないだろ!? なーなー!」


「うっせえ! 早く、飯!」


「けち! 見せてくれるならすぐ飯にするぞー? な? 見せてよ!」


「うぜえ……うるせえ……くそっ、後で見せてやるから、飯早くしろ!」


 言った直後、シチューをよそった皿を持つピテルが、ニコニコしながら振り向いた。

 エルは思わず右手で顔を覆った。


「食ったらな……」


 ピテルは満面の笑みで頷いた。

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