7
そして時は進み、ディムタの街に到着した二人は、傷薬を納品するために雑貨屋へと向かっていた。
ここに来るまでに、移動手段で一悶着あったからか、ピテルは心なしかげっそりしていた。
普段エルファヌが一人で来るときには、文字通り“空を飛ぶ”のだが、ピテルは抱えて飛ばれるのを拒否したのだ。というより、当然森を迂回するルートで行くものだと思っていたので“どうせ裂け目を越えなきゃならない”というエルファヌの言葉に、ポカンとしてしまった。
では、森から帰ってきたときの魔法は使えないのか? と訊くピテルに、今転移したら絶対変なところ飛ばされまくるぞ! と答えるエルファヌ。やはり大変な術だったのか、それなら歩こうと提案するピテルに、それじゃ時間がかかりすぎる! もう腹も減ったんだ! と子供のようなことを言うエルファヌ。意見は完全に食い違っていた。
とはいえ、もうそろそろ夕方になろうかという時間で、エルファヌの言うことも分かる。森を迂回するとなると、1時間半――どんなに急いでも1時間以上はかかってしまうのだ。
最終的に、ピテルが折れた。
人に抱えられて命綱もなしに空を飛ぶなんてぞっとしないが、エルファヌは“だったら先に行く”とでも言いだしそうだった。
ちなみに、何故ピテルがここまで不安がるかと言えば、庶民の魔法の知識でも“生身で空を飛ぶ”なんてのは聞いたことがないからだ。
“魔法使いは道具を使って空を飛ぶらしい”というのは知ってる者も多く、少し大きな街に行けば実際に見かけることもないではない。
エルファヌにそれを言うと、道具を所持していないわけではないが、使わないのでメンテナンスをしてない、ということだった。
ピテルはよく理解できなかったが、溜魔晶の回路がいかれていて、もし飛ばすなら何の役にも立たない荷物が一つ増えたのと同じらしい。だったら、魔力の節約にもなるし、自力で飛んだ方が早いというのだ。
そんな経緯があり、無事に街に降り立ったピテルはふらふらしているのだった。
空の旅は、少年の心を躍らせるものではなかったみたいだ。
「とりあえずナターリアのとこに行ってから、飯食うぞ。おごってやるから安心しろ」
「それは、どうも……」
まだ回復しきれないピテルはぼそぼそと応える。
「あ? なんだよ?」
「いや、なんでも……それより、ナターリアのとこって?」
「あぁ、雑貨屋だよ。大通りの」
「ポンテッテ雑貨店か。かなり前に行ったっきりだなぁ」
エルファヌが納品する雑貨店は、庶民向けではあるのだが、大通りに面していることもあり商品の質としては中から上のものを扱っている。
普通に暮らせる家庭ならばお世話になっているところも多いのだが、ピテルしか働けていないミック家では、もっと安いものを扱う店に行くのだそうだ。
「これからは俺の代わりに行ってもらうこともあるだろうし、行儀良くしろよ」
「分かってるよ」
エルファヌには言われたくない、という言葉は辛うじて飲み込んだ。
街の外れに降り立つくらいの常識はあったらしく、大通りの店まで少々歩いた。
到着すると、普段来ない場所に戸惑うピテルを気にすることなく、エルファヌは店へ入って行った。
ドアに付けられたベルが、からんからんと音を立てる。
「いらっしゃい! おや、エルじゃないか」
奥から出てきたのは、恰幅の良い女性だ。声が大きい。
ピテルは圧倒されてしまった。
「ナターリア。今日も綺麗だな」
エルが笑いながら手をあげた。
「嫌だよ、こんなおばちゃんつかまえて!」
どうやら、彼女がナターリアらしい。黄味がかった茶色の肩までのウェーブヘアはボリュームたっぷりで、まん丸の茶色い目はチャーミングだ。
50は過ぎていそうだが、態度も声も若々しい。
しかしそれよりも、ピテルはエルがやわらかく笑っていたことに驚いてしまった。これは、女性相手だからなのか? ということは、女ったらし……!?
「おい、ピテル」
思考がとんでもない方に行く寸前、声がかかった。
ピテルは急いで、エルの横に並んだ。
「こいつ、雇うことにしたんだ。使いに寄越すこともあるだろうから、よろしく頼むよ」
「あら? 坊や、確かマイケのとこの……」
“坊や”なんて歳じゃないと、思春期特有のことを考えながら、ピテルは応えた。
「うん、マイケ・ミックはおれの母ちゃん、です」
「そうかい、そうかい。大きくなったもんだねぇ……」
「えっと……はい、ありがとうございます」
ピテルは何と言ったら良いのか分からなかった。まさか、幼い頃に何度か会っただけの自分を覚えているとは思わなかったのだ。もしかしたら、噂を聞いて気にしていてくれたのかもしれない。
その予想が正しいのを裏付けるように、ナターリアは言った。
「エル、良くしてやってよ」
「ああ。精々こき使ってやるつもりだよ」
「坊や――いや、ピテル。エルはこんなだから噂も良くないかもしれないけどね、そう酷い子じゃないからね。頑張るんだよ」
「おいナターリア。子って歳かよ、俺は」
先ほどピテルが内心で思ったことを、エルファヌは口の片側を上げて笑いながら言った。
「あたしからしたらね、あんたも子供みたいなもんだよ!」
ナターリアは笑った。
確かに、彼女の長男とエルは同じ歳なのだ。
「敵わねえなぁ……まあいい。ほら、いつもの薬持ってきたぞ」
エルファヌは強引に話題を変えることにしたらしい。
「確認してくれ。代金は、日用品ちょっと買っていくから、いつもみたいにその分引いてもらえるか?」
「分かったよ。じゃ、納品書も一緒によこしな。見とくから、商品決めたら言うんだよ」
「ああ」
エルは、迷いなくいくつかの商品を手に取った。
髪用の石鹸と、普通の石鹸、そして保存食の燻製肉、果物のジャム、野菜の酢漬けだ。雑貨屋なので食料品の数は多くないが、保存食の類は多少置いてある。
「あんた、まだそんなもんばっか食べてんのかい?」
呆れるナターリアに、エルは平然と答える。
「パンはちゃんとしたのを買うし、果物もたまには買ってる。十分だろ?」
「十分なわけあるかい! ちゃんとしたもの食べないと、体壊すよ。ったく、金に困ってるんじゃないだろうし、もうちょっとやりようもあるだろうに」
ナターリアはため息を吐いた。
それを見ていたピテルは、正直“ダメな大人を見た”という気分だった。思えばあのツリーハウスの時点で予感はあった。店はまだしも、2階の居間は汚れた布がそのままになっていたり、使った食器が洗われずに置かれたりしていた。
「料理、出来ないの?」
ピテルが控えめに尋ねる。
「出来ないんじゃなくて、やらないだけだ」
エルファヌは何故か堂々としていた。
ピテルは、思わずナターリアと目を合わせてしまった。
それから、言っても聞かないと諦めたナターリアは、手早く計算し、薬の代金から商品の分を差し引いた金額を渡してくれた。諦めたと言っても、お小言をこぼしながらではあったが。
「じゃあ、また来る。なんもなかったら来週も同じで良いんだな?」
少々げっそりしたエルファヌが訊く。
「ええ。もし何かあれば、店まで行くよ」
「そうしてくれ。……あ、いや、こいつに2,3日に一回来させよう。何かあれば伝えてくれ」
エルはそう言って、ピテルの肩に手を置いた。
ピテルもそれを受けて、しっかりと頷いた。
「それは助かるねぇ! じゃあピテル、よろしくね」
「はい」
そして店を出た2人は、エルファヌがたまに行くという飯屋へと向かった。
大通りから少し外れたその店は、良心的な値段の割に量が多く、そこそこ美味しいと評判だった。
食事をしながら、今後の予定として“2,3日に一度雑貨屋に顔を出してから店に来ること”など、新しく決まったことを確認する。
また、例の裂け目についてであるが、ピテルが森を迂回して通うと主張したのに対し、エルは時間がかかり過ぎるから、何か方法を考えると返した。とはいえ、とりあえず何日かは迂回して通うしかないので、そうしてくれとのことではあった。
それから、ピテルの前に面接に来た人達についての話も聞いた。ピテルのように“フルコース”に遭遇した人は居なかったらしいが、森大百足を見て叫んだ者や、そもそも森にたどり着けなかった者。パニックを起こし、逃げていくジェリーを誤って蹴ってしまい攻撃された者、指定された水花を採取できなかった者等々――エルに言わせれば“酷いやつら”ばかりでお眼鏡にかなう人は1人も居なかったそうだ。
聞いていたピテルは“そりゃ叫んでも仕方ないと思う”だとか“なんて自分は不運だったんだ”などと思ったが、良い給料で雇ってもらえたんだから結果オーライと思うしかないと自分を励ました。
ちなみに、着いてきている気配はなかったのに、何故そんな詳細を知っているのか? という問いには、追跡の魔法の応用で見ていた、という答えだった。
転移もしていたし、どうやらエルは結構魔法も使えるらしい、とピテルは思った。
実は“結構使える”どころの騒ぎではなかったのだが、魔法にほぼ関わりのない庶民であるピテルは、知らなくても当然だった。そのせいで、後々意識が遠くなるほど魂消ることになるが、それはまだ先の話である。
「じゃ、飯も食ったし、お前んち行くぞ」
「え? なんで? あ、ごちそうさまでした」
「何でもだ。ほら、案内しろ」
店員に声をかけて、代金をテーブルに置いたエルは、さっさと店を出た。
「あんまり綺麗にしてないけど……怒んないでよ」
ピテルはそう言い、渋々エルを案内した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます