3

 その頃、黒髪の少年ピテル・ミックは、裂け目に到着していた。


「分かりやすいとか嘘じゃんかよ……」


 文句を言いながらも、エルファヌから聞いていた横穴の目印を探す。

 横穴は、上からではどこにあるのか見えないのだ。


「2本の木の間に、白っぽい石……あ、ここかな?」


 近寄ってよく見ると、聞いていた赤いインクの印と、杭を打ったような穴が開いている。


「ロープ、付けっぱなしにして置いてくれたら良いのに」


 年齢の割に体の小さめなピテルは、身軽さには自信があるが、力仕事は少々苦手だ。

 自分の体を支えるためのものを作らなくてはならないことに、どうしても緊張してしまう。


 だからと言って、ここまで来てやめるつもりはないピテルは、よしっ、と気合を入れると作業に取り掛かった。


「俺の言うことに逆らわない限りは……って、もしここでおれが落ちたら、どうやって保証してくれるつもりなんだよ。力がないのは自己責任って?」


 緊張のせいか、文句が止まらない。


「出来もしないこと言うなよな。……まさか、着いてきてるとかっ!?」


 ピテルは周囲をキョロキョロと見る。

 しかし、エルファヌどころか、動物すら一匹も見つからなかった。


「……そりゃそうか。あほらし。もうさっさと済ませて帰ろう」


 杭を打ち終わり、体にロープを結びつける。

 壁を蹴りながら降りるので、落ちるつもりなどなかったが、念のためだ。


 横穴の地図や採取用の道具類もしっかり斜めかけの鞄に入っていることを確認し、魔獣の革が使われているらしい青と灰色の手袋をはめた。

 エルファヌからの借り物のそれは、少しばかり大きかったが、手首で締められるようになっているので問題はなさそうだ。

 ちなみに、草臥れた鞄も借り物である。手ぶらで来たピテルは、必要なもの一式をエルファヌから借りていた。


 一式売ってしまえばそれなりの金になるのでは? とほんの少しだけ思わないでもなかったが、もし採用されれば定期的にお金が入るわけだし、何より“相当変わり者の悪魔のような魔女”の報復は恐ろしかった。

 それに、家族に胸を張れないようなお金の稼ぎ方はまだしたくなかった。


「よし、いくぞ」


 ピテルは裂け目を降り始めた。

 まもなく、覗き込んだ下に穴があるのが見えた。

 木や草で分かり辛かったが、なるほど確かにさほど苦労しない位置だ。


 降りてきた位置からでは、横に逸れて足場を辿っていくよりも、そのまままっすぐ降りた方が良さそうだった。

 ピテルは改めてロープを握り直した。


 体がぶれると余計に負担が大きくなるので、なるべく揺れないように降りる。

 そして、横穴の下の部分に足をかけ、ロープをぐっと引き、なんとか無事に降り立った。


 ピテルはほっと息を吐いた。

 しかし、まだまだこれからである。


 気合を入れ直し、先に進むことにしたピテルは、手袋をとり鞄にしまった。

 ロープは風などでどこかに飛ばされても困るので、横穴に引き込んで石を重りに置いておくことにした。


 帰りはこれを登っていくことになるのかとちょっとげんなりしたが、それはまた後で考えるべきことだと思い直す。

 地図を取り出し、そこに描かれた印を頼りに進んで行った。


 内部は聞いていた通り、中々に入り組んでいた。

 人間が計画的に掘り進んだわけではないようなので仕方ないと言えば仕方ないのだが、それにしても分かり辛い。

 迷った時のために、何かしらの目印を残していくべきかもしれない。


 しかし、ピテルはそれに関してはあまり心配していなかった。

 何故なら、多くはない得意とすることの一つに、地図を読むことがあるからだ。

 初等学校でも習いはするが、それだけでなく、ピテルはかなり幼いころから家にあった地図を眺めて遊んでいたのだ。自然と得意にもなるだろう。


 心配していないと言えど、油断は禁物だ。

 ピテルは慎重に歩を進めた。


 道は、ゆるやかに下っているように思えた。

 そして、何回も分岐があって分かり辛いが、地図によればやはり南に向かうようだ。

 森に出るとのことだったので、正しいのだろう。


 薄暗い横穴の中を、心細く思いながら進む。

 光源は、これもまた借り物の古ぼけたランタンだ。

 初めにエルファヌが取り出したランタンは、変わった形をしており、もう少し綺麗だったのだが、少し迷った後“やっぱこっちでいいか”と渡されたものだ。

 ピテルとしては、明かりがつけばどちらでも構わなかった。


 何回目かの分岐の後、今まで下っていたのが、少しずつ上っているように感じた。

 地図を確認すると、この道の先が目的地らしい。

 しばらく進むと、うっすら明るくなっているのが分かった。


 ピテルは、持っていた地図をしまい、少し迷ってランタンも火を消して鞄に入れた。

 出口の少し手前まで行き、胸に手を当てて一度大きく深呼吸をする。

 ここから先は、もしかすると魔獣と出会うかもしれないのだ。今まで以上に緊張するのも普通と言えよう。


 もしも採取中に森大百足と遭遇してしまったら、絶対にうるさくしてはいけない。エルファヌの教えを頭の中で確認する。

 とりあえず出口から少し覗いてみて、何もいなかったら出ていこう。もし何かいたら、いなくなるまで息を潜めていよう。

 ピテルはそう決めると、なるべく静かに歩き、外を見た。


 とてもきれいな場所だった。

 深い森なのに、木々の間からやわらかい陽がさしている。森の外の昼間ほど明るくはないが、暗いわけでもなく、不気味さよりも温かさが強い気がした。

 左側に視線を向けると、池が見えた。


「あの池か……」


 ごつごつした岩と見たことのない植物で囲われたその池は、確かにとても透き通っていた。

 目を凝らすと、浅瀬の砂利の間から白い花が生えているのが見える。形までははっきりと分からないが、おそらく水花だろう。


 ピテルはもう一度念入りに周りを見た。

 今のところ、何かが近くにいる気配はない。


 意を決して、横穴から出た。

 数歩歩いて振り返ると、今自分が出てきたところは洞窟のようだった。付近には、大きな岩がいくつか転がっている。

 空気が澄んでやわらかい気がした。


 ピテルは、そっと池に近づく。

 先ほど見えていた花は、やはり水花で合っていた。エルファヌに見せてもらった花と同じ形をしていた。


「あとは見分けか。……よし」


 ピテルはまた自分の周りをぐるっと確認してから、採取用の箱と刃物を取り出し、池のそばに膝をついた。花は少し手を伸ばせば届きそうだ。


 まず、箱に池の水を入れた。

 それから恐る恐る水に触れてみる。心地よい冷たさだった。

 森の中はそもそも気温が低かったが、緊張でうっすら汗をかいていたピテルにはちょうどよかった。


 シャツの袖が濡れないようにまくり上げ、手を伸ばした。

 花弁を親指と人差し指でやさしくつまみ、感触を確かめる。


「んー……ざらっとしてる、気がする。これじゃないな。次のは……お、つるっとしてる。青かな?」


 ピテルは花を左手に持ち替え、右手にナイフを持った。

 利き手で切ったほうが良いと思ったからだ。


 切り取って水から上げてみると、鮮やかな青色になった。


「よかった、合ってた」


 安心したように息を吐いてから、水を入れた箱の底にそっと差し込む。


「あとは赤だな」


 ピテルはもう一度、水の中に手を入れた。


 次に触ったのは、また青だった。そしてその次に触ったのが、なんとなくだが吸い付くような感じだったので、おそらく黄色だろう。そのあとは3つ連続でざらっとしていた。


「赤がなかなかないなぁ……」


 そう言って、一度手を引き抜く。

 瞬間、右側に何か気配を感じた。


「っ……!」


 急いで顔を向けると、大きな百足がいた。これが例の“森大百足”だろう。


 声をあげそうになるのを必死にこらえ、そのままゆっくり尻をつく。

 緊張で、引いたはずの汗が一筋流れた。


 森大百足は、大きかった。

 しかし、地面を踏むわずかな音が時折する以外はとても静かだ。


 ピテルは、音がするはずもないのに、注意深くゆっくりゆっくり首を動かし、森大百足を観察する。

 恐ろしい気がするのに、どうやら好奇心が勝ったらしい。


 こうしてみると、とても百足には思えない。

 確かに姿形は百足なのだが、ここまで大きいとなんだか全く別の生き物のように感じられる。エルファヌの言うように、大きな馬と同じくらいの長さでも、もっと大きいように見えた。

 虫が苦手な人にとっては、地獄のような図だろうな……と、ピテルはどこか他人事のように思った。幸い、彼は虫が苦手ではなかった。


 森大百足は、静かに口元を池につけ水を飲んでいる。

 段々落ち着いてきたピテルは、じっとしていれば危険もないようだし、初めての経験も出来たので、そう悪くない気分だった。


 薄く風が吹いて、木々がさわさわと音を立てる。

 どうやら、森大百足は満足したようだ。

 水から離れ、静かに森の奥へと帰って行った。


「まさか、ほんとに出会うとはなぁ」


 ピテルは、森大百足の後ろ姿を見送りながら、深く息を吐いた。

 やはり、完全にリラックス出来ていたわけではなかったらしく、それを意識すると体のこわばりが段々取れていくのも分かった。


「さて、じゃあ続きをやりますかね……って、うわぁ!」


 ピテルが袖をまくり直していると、木の陰からプルプルとした液体のような何かが出てきた。

 が、その何かはびっくりしたように飛び上がると、すぐに方向転換して木の陰へと逃げて行った。


「今の……森ジェリーか?」


 ジェリーというのは、魔獣の中でも特に弱い部類のもので、倒そうと思えば何の訓練も受けていなくても倒せると言われている。

 ただ、今のように出会うとすぐに逃げてしまうことがほとんどで、一撃目を早く入れることが必須となる。


 そんな弱い魔獣でも、森の浅いところでは出会うことはなく、ピテルもしっかり見たのは初めてのことだった。

 ただ、それでもなんとなくの知識を持っていたのは、浅いところでもたまに見かけることがあるため、一応の対処法を合わせて教えられているのだ。


「自由に動いてるっぽいから液体のはずないけど……プルプルして面白かったな。あれって捕まえられるのか?」


 もちろん捕まえられるし、実はジェリーはその性質から、生活の中で使われてもいる。

 代表的なところでは、都市部などのトイレだ。

 ジェリーは、生息している場所により生態がかなり違い、その中の一つに“なんでも溶かして取り込む”というジェリーがいるのだ。

 餌の代わりにゴミを与え、大きくなったら分裂させてまた別の場所で使う。

 問題としては、扱いをしっかりしなくてはならないので、専門の業者が必要ということだろうか。そのため、お金がなかったり専門職が居なかったりする地域では、ジェリーを使った方法は導入されていなかった。

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