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 階段を降ると、店舗部分のカウンターの中だ。

 扉を開けに行こうか迷い、わざわざ出ていくのも面倒だと思い直すと、少しばかり大きな声で扉の向こうの人物へ言った。


「はいはい、誰だか知らねえけど、開いてるから勝手に入んな」


 言いながら、カウンターの中にある丸椅子に腰かけた。


 外にいる人物は何かを迷っているのか、すぐに扉を開けることはなかった。

 エルファヌが、冷めるからコーヒーを持ってくれば良かったか? と少しばかり悔やんでいると、恐る恐るといった様子でやっと扉が開いた。


「何の用だ?」


 エルファヌが言った。とても客を相手にするとは思えない物言いである。


 入ってきた人物は、まだ少年と言ってもいいくらいの痩せた男だった。

 長めの前髪をおろした黒髪に、少し気の強そうな茶色の目。身長はエルファヌよりもだいぶ低いだろうか。

 その勝気な茶色の目が、不安を悟られまいとしながらも落ち着かずにキョロキョロと店の中を見回した。


「何の用だ?」


 何も答えない男に焦れたのか、エルファヌが再び問うた。


「あの……おれ……あんたの、あっいや、あなたの使い走りになれないかと思って……」


「あー、なるほどね」


 エルファヌは頷いた。


 魔法薬屋に限らず、薬屋は扱う材料が多い。

 そのため、それらを買いに行かせたり、危険な場所でなければ採取に行かせたり、危険な場所なら採取の依頼を“時遣組合”という組織に出しに行かせたりするのに、特定の使い走りを雇うことが多いのだ。

 人によるが、研究者気質の者もなかなか多く、外に出たがらず最低限の人との接触で済ませる人間もいるためだ。


 ちなみに“時遣組合”とは、日雇い労働者をまとめる組織であり、エルファヌも登録している。

 保証金を登録者から貰うことである程度の身分を保証し、仕事を斡旋するのだ。


 エルファヌがディムタの近くに住み始めてから、どうしても必要だが採りに行くのはめんどくさい材料があった時、依頼者としても時遣組合を利用していた。

 特定の使い走りを雇わない薬屋は、大体がそのように対応しているようだ。


「お前、よく来たなあ? 俺のこと、街で噂になってねえの?」


 実はエルファヌのところにも、この三か月の間に、自分を売り込みに来たものは何人かいた。

 その誰もが、エルファヌの面接とちょっとした“試験”を通過することが出来ずに不合格となっていたのだ。

 誰も合格しないという話が伝わったのか、最近は誰も面接を受けに来なくなっていたが、街の付き合いのある店の話では、エルファヌのことが噂になっているらしいのだ。


「噂には……ちょっとなってるけど」


「なんて?」


 ニヤニヤしながらエルファヌが聞く。


「その……ちょっと、変わってる、って」


 本当は“相当変わり者の悪魔のような魔女”と言われているのだが、少年はさすがに空気を読んだらしい。

 それに、エルファヌを見てまず性別が違ったので、話に尾ひれがついておかしなことになったのか? とも思っていた。


 エルファヌはそれを聞いて、心底面白そうな笑みを浮かべた。


「少年、今後もし嘘をつきたいなら、顔をどうにかしておけ」


 言われた少年は、焦った様に顔を伏せた。


「まあ別に責めたいわけじゃねえんだ。お前、名前は?」


「ピテル・ミック」


「歳は?」


「14……」


 なるほど、酷い噂に構っていられないほどの理由があるらしい。

 よく見ると、服も清潔にはしてあるが、だいぶ古びていた。


 レングズウィスト王国では、平民でも貴族でも関係なく初等学校に通うことになっている。

 大体10歳から通い始め、最低決められているのが3年間。きっちり卒業まで通えば5年間。

 貧民は3年間通えない者も多いらしいが、ディムタはどちらかと言えば余裕のある人が大半の街だ。

 初等学校は朝から晩まであるわけではないし、どうしても食えないのでなければ、家業や近くの店の手伝いなどをしながら卒業まで通うものだ。

 14歳ならば、恐らくもう1年もせずきちんと卒業できるというのに、わざわざ“酷い噂”の店へ来たことを考えると、何か事情があるのだろう。


 ただ、何か事情があるにせよ、エルファヌはそれを考慮する気は更々なかった。


「よし分かった。本気なら、ちょっとしたテストを受けてもらおうと思う」


「テスト?」


「ああ。と言っても、難しいもんじゃない。俺は、何があっても俺に逆らわない“下僕”だったら雇ってやってもいい。それ以外はいらねえ」


 ピテルは眉を顰めた。

 それを見たエルファヌは、にやりと笑うと言葉を続けた。


「法に触れるようなことはしないから安心しな。お前に犯罪をさせる気はないし、まして奴隷として売り飛ばす気もない。金には困ってねえ」


 ピテルはもう隠さずに嫌そうな顔をしているが、それでも一応小さく頷いた。

 続きを聞く気はあるらしい。


「お前、ここまでどうやって来た?」


「どうやってって?」


「こっち側に来るとき、裂け目があるだろ?」


「あぁ、それはもちろん森の方へ迂回して……」


「やっぱりそうか。そしたら分かんねえかもしれねえけど」


 エルファヌはそう前置きしてから、説明を始めた。


 件の裂け目は、ここから15分ほど歩いたところにあるのだが、恐らく街の人間は気づいてないことがあった。

 それが、こちら側から少しだけ崖を降りると、横穴があるということだ。

 ところどころに生えた木に隠れ見つけ辛くなっているが、ロープを打ち込んで伝っていけばさほど苦労しない程度の位置……人が縦に二人並ばないくらいの距離に入っていける場所がある。

 エルファヌが調べてみたところ、大昔に魔獣が掘ったものではないか、ということだった。


 内部は迷路のように入り組んでいるが、とある道を行くと南の森の深いところに出られる。

 外から見ると、洞窟から出てくる形になるそこは、近くに透き通った池がある。

 その池には、水花という水の中に咲く花が咲いており、これが薬の材料になるのだ。


 テストは、それの青いものと赤いものを一本ずつ採ってくることだった。

 水花は同じ場所で違う色の花が咲き、薬効が色によって違う。

 採取自体は、刃物で根元から切るだけで簡単だが、面倒なのが見分けだ。何故かと言えば、水につかっている状態では全てが白く見えるからだ。

 切り取って水から上げてみると色が変わるのですぐに分かるが、必要のないものまで採らないためにも見分けは重要だ。

 やり方は、花弁を触ってみること。

 青はつるっとしており、赤はふわっとしている。そして今回は採らないが、緑はざらっとしていて、黄は吸い付くような感じだ。

 他の色もあるのだが、この池ではこの4種類しか生えているのを見たことがないので、今のところ問題にはならない。

 そして持ち帰る際には、専用の箱に池の水を入れ、花の切り口をそっと箱の底のくぼみにさせば良い。


「いいか。青と赤を一本ずつだ。後で本物を触らせてやるから感覚を覚えろ。水の中でもちゃんと触れば分かるはずだ」


 ピテルが頷いた。


「崖を降りるのに必要なロープと杭も貸してやる。中に入ってからの地図もだ。寄り道はするなよ」


 ピテルはまた頷いた。


「それと、池についてからの注意事項も話しておく。この池には、魔獣が水を飲みに来ることがある」


「え!?」


「大丈夫だ、俺の言う通りにすれば危険はない。いいか、よく聞け」


 実はその池は、魔獣の生息地に近く、普通に森を進むとすれば何か戦闘手段を持っている人間でないと来られない場所だった。


 魔獣というのは、普通の獣よりも強く、また何かしらの“特性”を持つものだと言われているが、一番の違いはそこではない。

 魔獣は、魔力を持つのだ。

 だからこそ“特性”がある。火を吹くものや、鋼のように固い体をもつものが居ると説明すれば分かって貰えるだろうか。

 ただの獣だったものが、何らかの要因で魔力を帯びるようになり、体が変化する。それが種として定着したものが魔獣だと言われている。

 強い個体になると、倒して解体した際に、中から宝魔晶が出てくることもあった。


「池に来るのは、ほぼ一種類。森大百足という、まあでっかい百足だ。長さは……そうだな、大体でかい馬と同じくらいだ。平べったいけどな。こいつらは、見た目に反して大人しい。こちらから何もしない限り、攻撃されることはまずないだろう。ただ、水辺を荒らされるのとうるさいのを極端に嫌う。だから、もし採取しているときに現れたら、手を止めてゆっくり座れ。そしてなるべく動くな。しばらく静かにしてりゃいなくなるから、後ろ姿が見えなくなったくらいで動き始めると良い」


「分かった……。でも、その……ほぼ、っていうのは?」


 不安そうにピテルが尋ねる。


「ほぼは、ほぼだ。大丈夫、他に遭遇するとしたらジェリーだろう。ただの森ジェリーならば向こうが怖がって逃げてくれるさ。なに“安全な”度胸試しみたいなもんだ。だが、まぁ……怖いならやめておくか? ん?」


「やめない、けど」


 そう言いながらも、ピテルの顔色は良くない。


「さっきも言ったが、俺は俺に逆らわない“下僕”が欲しいんだ。こんなことくらい素直にきけないんじゃ無理じゃないか?」


「無理じゃない!」


「そうか? ならさっさと準備して行ってこい。俺だってそう暇じゃねえんだ」


 少年は内心、全然忙しそうに見えないけど……などと思っていたが、殊勝なことに口には出さなかった。顔には多少出ていたかもしれないが。


 それからピテルは、採取に使う箱の詳しい使い方と、花に触れての見分け方を教わり、出発の準備を整えた。


「じゃあ、行ってくる……」


「あぁ、行ってこい」


 エルファヌは興味もなさそうにひらひらと手を振った。

 ピテルはそれに少しばかり嫌そうな顔をしたが、何も言わずに扉へ向かった。


「そうだ、言い忘れていた」


 エルファヌが呼び止める。


「もし、何かお前の手に負えないことが起きたとしたら、決してその場を動くな。何もせず、じっとしていろ。分かったな?」


 コクリと、納得しきれないような様子でピテルは頷いた。


「それでいい。俺の言うことに逆らわない限り、身の安全は保障してやる。分かったならとっとと行け」


 自分で呼び止めておいて、なんと理不尽な……ピテルはそう思わないでもなかったが、この短時間でエルファヌの性格を理解しつつもあり、何か言うだけ無駄だと割り切ることにした。

 もしも自分が採用されることになったら、長い付き合いになるかもしれないのだから、今のうちに慣れておくのは良いことに違いなかった。


「行ってきます」


 ピテルは返事を聞かずに、今度こそ採取へと向かっていった。


 エルファヌは、少年が出て行った扉をしばらく見た後、階段を上り、丸椅子よりは多少座り心地の良い椅子にどっかり座った。

 そして、小さめの木のテーブルに置きっぱなしにしていたコーヒーをほんの少し口に含み、すぐ置いた。


「冷えたな……まずい」


 しかし、そうは言いつつも淹れ直すのが面倒だったのか、またそれを口に運ぶ。


「さぁて、今度のやつはどうかねぇ……。今までの中では、多少見込みがあるかもしれねぇなぁ……」


 エルファヌは愉快そうに口の端を持ち上げた。

 生意気なのも、とても良い。


「ちゃんと俺の言うことは守れよ、少年」


 冷めきったコーヒーの残りを干し、魔法薬屋は機嫌よく立ち上がった。

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