少年はその日下僕となった
1
グルナンリークのそこそこ栄えた街は、どちらかとすれば田舎と言って良い場所であった。
自然豊かで、人口も多くはない。
しかし比較的大きな支流の恩恵か、物流の支点として人が行き交い、珍しい物や食事、娯楽などが集まった。
ファッションも王都の流行りの最先端というわけではないが、取り入れるのは早いし、逆にちょっとした発信があることすらあった。
そんな街の名を、ディムタという。
ディムタは街の二方向を山と森に囲まれた場所で、西に位置する山を避けるように北から南へ支流が流れる。
流れた先の森を突っ切った所にはまた別の街があるが、グルナンリーク領は森の途中までなので、ディムタは東にある隣町と共に、領の端の街であった。
西から南にかけてある山は、なかなかに険しく、また登っていくと途中で山が裂けたかのような崖があった。
崖の向こうにはまた山が続くのだが、飛び越えられるような裂け目ではないし、降りて登るにはあまりにも険しい。
もしどうしても向こうの山へ行きたい時には、森の方へ迂回する必要があった。
そんな状況のため、その山へ入ろうという人はなかなかいない。
なかなかいないのだが、たまには入ってみようという変わった人間もいた。
その一人が、旅人だったエルファヌ・ニカモである。
裂け目を越え、しばらく歩いてみる。
すると、少し開けた場所があるのを見つけたエルファヌは、そこにある立派な木をまず気に入った。
さらに周囲を散策したところ、半円状の崖から流れる美しい滝と、その下に透き通った湖を見つけ、ますます気に入った。
そして、ここに住もうと決めてしまったのだ。
3年ほど日雇いの仕事をこなしながら放浪していたが、幸いと言って良いのか、エルファヌには魔法薬屋を開けるだけの技術と資金があった。
ぎりぎりグルナンリーク領の山の土地を必要なだけ買い上げると、知り合いの技術者を呼び、開けた場所の2本の木で大きなツリーハウスを作らせた。
その完成を待ちながら、魔法薬屋組合に開業届とランク査定用の薬や書類を提出し、無事にDランクでの開業許可をもらう。
必要な道具や材料を街で買ったり、取り寄せたり、近場なら自ら採りに行ったりして待つこと約一か月。
立派な魔法薬屋が、山の中の静かな場所でひっそりと開業したのが、今から大体三か月ほど前のことだった。
「あー今日もだりぃな……」
向かって左側の木の上の小屋から、手に何かを持ったエルファヌが大あくびをしながら出てきた。
腰まであるボサボサの赤髪に、猫のような金色の目。そして、よれた白いシャツにくたびれた黒の細身のパンツ姿で、山の中には滅多に人は来ないと言っても、あまりにも気にしていない格好であった。
今エルファヌが出てきたのが寝室として使っている小屋で、幹のほぼ真上にあり中くらいの大きさだ。
他にも、薬を作るための小屋、図書室として使っている小屋、温室、風呂、テラス……などなどが木の上に作られている。
ちなみに店として使っているのは、左の木の中だ。
「今日の定期の納品は何だったか」
そう言いながら、エルファヌはテラスへと出た。
寝室からは右下……正面から見ると、一番左の太い枝と下からの螺旋階段で支えられた場所にあるそこは、屋根がない代わりに布のようなもので半分ほどが覆われている。
そして、透明の素材でできた小さな机と、白い木に白の革が張られた安楽椅子が一脚あった。
エルファヌは、手の中で遊ばせていた細長い棒を口に咥えた。それからパンツのポケットをごそごそとあさり、咥えた棒の半分ほどの長さの棒と、平たい八面体のような形の透き通った青い石を取り出した。
口に咥えた棒の先には、先ほど取り出した石が入りそうな形の受け皿と、それよりも少し大きな透明の八面体が並んでくっついている。棒はちょうど中間くらいがくびれており、色は透明と白がまだらに混ざっていた。
咥える部分は青みを帯びた金属でできているようで、大体手を広げた時の親指と人差し指の間くらいの長さのそれは、エルファヌが主食と言って憚らない“石煙草”と呼ばれるものだ。
これは、普通の煙草よりも高級品とされ、また中毒性も高いとされている。
何故かというと、その正体をざっくり説明すれば、魔法薬に使われることもある“宝魔晶”という魔力の塊みたいな石を薄めて味をつけたものだからだ。
味も香りも豊富な種類があり、吸えば軽く酔ったように心が軽く感じる。ついでに見た目も綺麗でついつい取り出しては色々な味を吸ってみてしまう……という人が後を絶たないのだが、魔力を持たない者にとっては、それがちょっとした中毒性の高さで終わらないことも間々あるのだ。
吸う頻度が高くなったり、手放せなくなったりなどの問題ではなく、大量に摂取すると“強魔毒”という魔力に当てられた状態になり、高熱にうなされることになる。
そこまできてしまうともう中毒症状として医癒院送りだ。
エルファヌはというと、普通の人で考えればとっくに中毒になっていてもおかしくないくらいのチェーンスモーカーなのだが、本人曰く“こんなもんで中毒になるかよ”とのことであった。
「朝の煙草はたまらんな」
そんなことをつぶやきながら、取り出した青い石を受け皿にはめ込む。
そして、短い方の棒の先についた美しいカットの石を、カツっと軽く当てた。
短い棒は、白い木のようなのになぜか半透明で、先についている石は紫と桃色が真ん中で交じり合っており、当てた青い石と相まってとても綺麗だ。
一呼吸の後、青い石は水に溶けていくように、透明な八面体にするりと移動した。
エルファヌが口角をあげて、息を吐きだした。
青い石は、エルファヌの呼吸に合わせて透明の中でゆらゆらと踊る。
石煙草は、この透明の八面体の中に石がある間、味や香りを楽しめるのだ。
煙草自体からは煙などは出ないが、吸った後に吐き出す息には、石の色が薄まったくらいの煙が出る。
そのため、女性で石煙草を嗜む人には、桃色や橙色などの可愛らしい色が好まれているようだ。
ちなみに、火がついているわけではないものの、普通の煙草に合わせてなのか、短い棒は“石ライター”と呼ばれている。
しばらく煙草を楽しんだエルファヌは、色がすっかりなくなりきってから、ポケットに石煙草をしまった。
それから、なんともめんどくさそうに店の方へ歩き出した。
店は幹の中なので、テラスからは内部の2階部分に取り付けてある扉を使うのが早い。
中に入ると吹き抜けになっており、1階部分の半分ほどの面積の2階があった。テラスから来られる扉は、そこにつながっている。
1階が店で、2階が小さなキッチンのついた居間だ。幹をくりぬいた内側に沿うように階段が作られていて、そこから降りられるようになっていた。
エルファヌはキッチンに入ると、適当に置いてあった薬缶を手に取り水を入れた。
陶器の広い受け皿の上に、立方体から伸びた不思議な形の管が2本あり、水はそこから出るようになっている。
2本のうち、左が水で、右が熱めの湯だ。
立方体には溜魔晶という魔法の効果を持たせた石が入れられ、ここに使われているのは水を生む効果と、湯を生む効果のものだ。
ちなみに受け皿の底にも立方体があり、そちらには流れてきた水を消す効果の溜魔晶が使われている。
これらの溜魔晶を活用した道具を、溜魔具や魔法具といった。
この3つの溜魔晶の中では、湯のものが一番高価で、所有している者は中々いない。
そもそも、庶民にはあまり魔法に親しみはなく、高価なこともあり溜魔晶を使った製品はあまり普及していないのだ。
ここのキッチンには、他にも普通の竈の代わりに火が出る溜魔具が使われているが、もちろん一般家庭などでは使われていない。
とはいうものの、全く魔法の恩恵を受けていないかと言われればそんなこともなく、竈にしても外に熱を通しづらく中ではよく燃えるように、そして火力の調節がしやすく作られるようになってから、必要な薪の量はだいぶ減り、見た目もかなり小さく出来た。
そして、一番分かりやすく恩恵があるのがトイレだ。都市部ではまた別の処理がされているのだが、上下水道の設備がしっかりしていないようなところでは、今まで汲み取り式だった。しかし、エルファヌのキッチンにも使われている“液体を消す溜魔晶”の技術を応用し、ゆるやかに固体や液体を消していくものが作られてから、水洗式でなくてもかなり清潔が保てるようになったのだ。
液体を消す溜魔晶は消していくスピードが早く、効果が切れるのも早いのでコストが高い。一方、一般に普及したゆるやかに消していくものは、消すスピードを捨ててコストを下げる工夫がされたので、大体1年に1度交換すれば良いようになっている。
出来るだけ安くすることを目標に作られただけあって、この溜魔晶は広く使われるようになった。庶民の間では、“溜魔晶”という正式名称ではなく、“魔法石”や“魔石”などと呼ばれていた。
さて、このキッチンには、先ほど紹介したように高価な竈の溜魔具……小型なので、溜魔コンロとでも呼ぶべきものがある。
エルファヌはそれを使い湯を沸かすと、コーヒーを淹れた。
“めんどくさい”が口癖なだけあり、豆から挽くなんてことはせず、粉で売られているものを瓶を振って直接カップに入れ、湯を注いだ。
「相変わらず、まあまあだな」
美味いものは嫌いではないが、自分でやるとなるとどうしてもめんどくささが勝ってしまう。
コーヒーだけでもそうなので、今も多少腹が空いている気はするが、まあ食べなくてもまだ大丈夫かと判断したところだった。
一脚しかない椅子に座り、ボーっとしながらコーヒーを啜る。
陽の月である今は、少々暑い日もあるが、朝の一杯は必ずホットだ。
今日の定期の納品は、ディムタの雑貨屋の傷薬が10個と、以前半年ほど滞在した街の医癒院に回復薬と毒消しと熱さましと……
そんなことを考えていたら、店に取り付けてある呼び鈴が鳴った。
この呼び鈴は、花の形をしたガラスで出来ており、中央から垂れる紐を引くとリィンときれいな音がするのだ。いくつかある小屋の全てに同じものが取り付けてあり、どれか一つを鳴らせば連動してどこに居ても聞こえるようになっていた。
「こんな時間に客か?」
エルファヌは渋々立ち上がった。
こんな時間と言っても、実はもう昼も近い。
確かに客が直接ここに来ることはめったにないのだが、あまりにもやる気が感じられない仕草だった。
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