第5話 逃走

 転校生の祀理が一人暮らしをする部屋に遊びに来た俺は、本棚にあった漫画を借りて読んでいた。

 そんな最中、なにやら物音がするのに気付いた。

 音源は近い場所にあって、でも祀理のいる場所とは違う。

 うるさいってほどじゃないけれど、気になって音のする方を見た俺は、思わず声を漏らしていた。


「は?」


 テレビ台に備え付けられた引き出しが勝手に開閉している。

 スーッ、カタン。スーッ、カタンと誰も手を振れていないのに勝手に、だ。


「なあ、あれって」


 祀理にあれが何なのかを聞こうと声を掛けたが、それよりも早く本人はテレビ台に歩み寄っていた。

 すると何をしたわけではないが引き出しは動かなくなった。

 今のは幻覚でもなんでもない。

 だったらなんだったのかって話だ。


「なあ、それって今勝手に動いてたよな」 

「……建てつけが悪いのかな」

「そんなんであんな動きするか?」

「よくあることだから」

「よくあんの!?」

「うん。だから気にしないで」


 住んでいる本人が言うんならそうなのか―――って考えるのは流石に無理がある。

 今のは所謂ポルターガイストってやつじゃないのだろうか。

 ここが事故物件として有名だってことから、俺の頭ではもうそうとしか思えなかった。

 勝手に物が動くだけなら、それほど怖くはない。

 だけどもしもだ、噂にあるような住んだ人間が死ぬだとか、行方不明になるなんて話が本当だったらヤバイ。


「祀理。他になんか変なことって起こったりしないよな」


 元の位置に戻った祀理に聞く。


「僕にとっては変なことは起きてないよ」

「本当だな?」

「うん」


 根拠はないけど、嘘っぽいと俺には思えた。

 問い詰めるか。

 そんな風に考えた時だった。

 何かが視界の端に引っかかった。

 振り向いても何もない。

 だけど視線を元に戻すと、やっぱり影のように何かがちらつく。

 落ち着かない。

 俺が気にしていたからだろうか。

 祀理がまた立ち上がって、俺が見ていた場所へと歩み寄った。

 そしてまた元の位置へと戻る。

 コップに注がれた飲み物を飲んで、一息つくように溜息を吐いた。

 それ以外になにをしたわけではないが、視界でちらつく何かは見えなくなった。


 ポルターガイストもそうだが、祀理が異変の起きた場所に行くとそれが治まる。


 自然とそういう仮説が立つ。

 どういう理屈なのか分からないが、祀理は何か隠しているのは確かだ。

 疑いの眼差しを向けると、祀理は漫画を読むでもなくただどこかに視線を向けていた。

 俺もその視線を追うように見るが、何もない。

 さっきみたいに影がちらつくってこともない。

 これと似たようなのを見たことがある。

 うちで飼ってる猫の所作に似ている。

 そういう時、猫には霊が見えているなんて聞くがもしかして……。


「なあ祀理。そこに誰かいるってわけじゃないよな」


 虚空を指差し、まさかと思いつつ聞いてみた。


「土屋君には誰かいるように見えるの」


 あくまで惚けるつもりらしい。


「俺には見えねえよ。見えねえけどさあ」

「じゃあ気にしなくてもいいんじゃない」

「無理だろ。なにかあったら怖、困るだろうが」


 ビビってるとは思われたくない。


「大丈夫。害はないから」

「害はないって、やっぱいるんじゃねえか。ここ幽霊がマジでいんのかよ」

「僕がいれば大丈夫だってば」

「は?――いいやもう、帰るわ」

「そう。じゃあまた明日ね」


 ビビってるとは思われたくはないけれど、何かが起こる前に早々に帰ることにした。

 そんな俺に、あっけらかんと祀理は引き留めるでもなく頷いた。

 鞄を手に取って出口へ向かう。

 玄関までの見送りを受け、俺はアパートを出た。

 階段を下りて敷地も出たところで、

「カアッ」

とカラスの鳴き声がした。


「ぅおうっ」


 思わずビビッて変な声が出た。

 いやに周りが静かなせいで、鳴き声がより大きく聞こえたせいだ。


「くそが」


 悪態を吐き、原因のカラスはどこにいるのかと周囲を見渡す。


 馬鹿な事をした。


 カラスなんて放って置いて、普通に帰っていれば良かった。

 なんで俺は振り返ってしまったんだろう。

 パラダイス寿の二階廊下。

 そこに髪の長い女が立っていた。

 うつむいているせいで俺を見ているとは言い切れないし、ただの住人って可能性だってある。

 だけど気付けば一目散に駆け出していた。

 もう祀理の家に行くのは止めよう。そう心に誓いながら。

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