第41話 ヴォイド・シェイプ

 心療内科へ通院しつつ、僕は原稿を仕上げることにした。夜は薬がなければ眠りにつけないし、たまに斎庭リエの幻覚が話しかけてくる。不思議なもので、幻覚はだんだんと態度が軟化しているように思えた。

 最も、全ては僕の主観から語られることだから過信しちゃいけない。新咲さんを助けるという大義名分のもとで彼女を追い詰めた事実は動かしようがなかった。


 さて。斎庭リエの取材を完成させるにあたってどうしても必要となるものがある。

 それを手に入れるため、僕はまた煌煌館の船越に電話した。彼には事の顛末を正直に話し、その上で判断をしてもらう。身構えていたが僕の望みはOKされ、いよいよ面会となった。


 場所はG県の県庁所在地にある駅近くのホテル。今回は新幹線でここまで来ている。精神がおぼつかない状態でクルマを運転したくなかったのだ。

 隣にはアシスタントとして同行した新咲ユリがいる。ロビーで待っていると船越が姿を現した。灰色の髪をビシッとまとめ、今日は白い信者服ではなくスーツ姿である。パッと見た目では大きな企業の社長のような風格が漂っていた。

 少し離れた場所では、ラフな格好の銀髪女が柱に背を預けて外を眺めている。僕にしか見えない斎庭リエの幻覚だった。


「お待たせしました、鏑木さん。それから新咲さん」

「ご無沙汰しています、船越支部長」

「……かなり痩せましたね」

「はぁ。あまり自覚はありませんが……」

「失礼しました」


 体重が落ちたというのは事実だ。しかし自分の顔なんて、朝の洗顔で毎日見ているのだから変化は分かりにくい。

 ラウンジの1番隅を選んで座ると、船越は胸ポケットから封筒を取り出してテーブルの上に置いた。


「例のものです。しかし、斎庭さんの件は残念です」

「本当に申し訳ありません。僕は、煌煌館あなたたちに偏見を持っていました。そのせいで然るべき情報共有を怠りました」

「それはこちらも同じです。胡乱うろんなフリージャーナリストがいきなり斎庭さんの所在を嗅ぎ付けた……邪険にするわけにもいかず取材を許可しましたが内心穏やかではなかった。我々が信頼関係を築けていれば斎庭さんの自殺は防げたと思います」


 横目でチラリと新咲ユリを見る。

 彼女が煌煌館の監視をでっち上げなかったら……いや、結果は何も変わっていなかったか。

 新咲ユリの真意は聞き出している。その真意を述べた言葉すら彼女にとっては目的を果たすための道具に過ぎない。

 彼女は僕と一緒に仕事をしたいそうだ。そのためにワザと騒ぎを起こしていることを認めている。

 『道具箱殺人事件』を解決したときに得た至上の快感……とやらをまた味わいたいのだという。

 彼女と距離を置いた方が安全だと勘違いしたのは僕のである。傍に置いておかないと危険人物と化す新咲ユリだが、その頭脳が極めて優秀なのは今更言及する必要もない。

 こうなってしまっては活躍してもらう他なかった。


「鏑木さん?」

「あ、すいません。少しボーッとしてしまって」

「お疲れのようですね」

「大丈夫です。それよりも……電話では承諾をいただきましたが、その封筒の中身を僕に預けもいいんですか?」

「もちろんです。記事にするのもよし、燃やしてなかったことにするのもよし、全てはあなた次第です」

「分かりません。どうして、そんなに……」

「斎庭さんが煌煌館を訪ねてきたとき、与野村くんの人格を宿していました。恐ろしい事実と向き合わず、かといって追い返すほど非情になれず、知り合いのツテでカウンセラーの川岸さんを紹介してもらいました」

「与野村誠は川岸さんに暗示をかけたことは認めていません。彼の自殺が仕組まれたものかは……」

「自殺はあり得ません。川岸さん、お子さんが生まれたらしいんです。勤め先に秘密で我々の仕事を受けたのは、少しでも収入を増やすためでした。それまではあちこち遊び歩いて借金を作っていたようですが心を入れ替えたのでしょう」


 言葉が出なかった。

 ハジメさんは、一瞬映った姿だけで川岸涼太の勤め先まで瞬時に調べ上げることができた。

 しかし、彼がどんな感情で動いているかは調べられない……とハジメさん本人も調査能力の限界を認めている。

 もしも与野村誠の暗示で自殺に追い込まれたのだとしたら、切っ掛けを作ってしまったのはやはり僕だ。


「船越さんは、川岸さんの死に報いるつもりですか?」

「いえ。それはおごりというもの。私が求めているのは心の安寧と、その共有です」


 驕りという言葉を最近になって他の場所でも聞いた。

 僕が斎庭リエの幻覚を振り返るが、彼女はこちらを一瞥もしない。


「鏑木さん。もしかしてまた

「あぁ、ごめん」

「お薬、飲みます?」

「大丈夫」


 アシスタントらしい気遣いだけど、あまりありがたくはない。ことごく心中を見透かされているから落ち着かないのだ。

 ともあれ、こうして顔を合わせたのだから船越にも聞いておきたいことがある。


「この封筒はお預かりします。それと船越さんにお聞きしたいことがあるのですが、いいですか?」

「私に答えられることであれば、何でも」

「船越さんの目から見て、与野村誠はどんな人物だったんですか?」

「厳しいことを言えば、コンプレックスの塊です。自分の人生を生きていない若者でした。偉大な父親に認めてもらうと必死で……創始者の与野村宗一の背中をずっと追いかけていました。だからといって女癖の悪さまで真似する必要なんてなかったんです」

「女癖の悪さ?」

「宗一氏には愛人が何人もいました。煌煌館最大の秘密です。与野村くんは正妻の子ですが、教主の跡取りに選ばれたのは不貞の子でした」

「そんなことが……」

「彼には人徳も能力も足りなかった。その辺り、宗一氏は非常にドライでした」

「では、斎庭リエの身体を手に入れて戻ってきた与野村誠は……」

「えぇ、教主の地位を奪おうとしました。そして、悟りを開いて会得した特別な力としてを披露したんです。しかし幹部連中は受け入れ難い現実に顔を見合わせた。斎庭さんを治療し、人格を統合しようという意見が出たのは自然な流れでした」


 与野村誠のことを語るとき、船越は遠い目をしていた。何か思うところがありそうだが、それが何なのかは語ってくれない。


「鏑木さん。当事者でない限り、この世の中の出来事は切り取りトリミングされた情報に過ぎないのでしょうか?」

「……と、おっしゃいますと?」

「例えば鏑木さんが、キルレシアン航空211便墜落事故の記事を発表したとします。その記事をまでの範囲で切り取れば、死を乗り越えた愛の物語として読まれるでしょう」

「そうかもしれません」

「ですが、斎庭さんの多重人格症と自殺のことまで含めてしまうと不出来なミステリとして世間は受け止めてしまう」


 僕は視線をテーブルに落とす。

 それからゆっくり息を吸って顔を上げた。

 律儀にも船越はその間、待っていてくれたらしい。


「多くのマスコミはという部分だけ切り取り、悍ましいホラーとして喧伝しました。その結果、斎庭さんには居場所がなくなった。与野村くんの死に報いようと険しい道を選んだのに、最初から裏切られていたと知って自殺してしまった。これではあんまりです」

「……」

「ねぇ、鏑木さん。あなたは一体、斎庭リエの物語を紡ぐつもりなんですか?」


 耳の痛い話だった。

 僕は斎庭リエの記事を書くために取材を重ねてきた。

 事件にも巻き込まれた。

 最期は彼女を追い詰めてしまった。


 船越は怒っているのではない。終始、穏やかな様子だ。

 宗教者とはこういうものなのかと感心する。

 隣の新咲ユリは交互に僕と船越を見ているが、口を出す様子は無い。


 そのとき、柱に背を預けていた斎庭リエの幻覚が動いた。船越の横まで歩き、何を思ったのか右手の人差し指をピンと伸ばして拳銃の形を作る。

 当然、船越にも新咲ユリにも姿は見えていない。僕にしか見えないのだから。


 ベリーショートの銀髪女は気怠そうな目を僕に向けてくる。拳銃はニセモノだし、そもそも彼女自身が実在しない。船越に危害が及ぶことは無いのだ。


「最初から変わりありません。極限状況下での食人が本当に許されざることかを世間に問います。そのために、この封筒の中身を使わせてもらいます」


 指で作った拳銃はいつの間にか鈍い銀色の実物に変化していた。

 斎庭リエの幻覚は引き金を引く。硝煙が立ち登り、薬莢が排出され、炸裂音がホテルのラウンジに響いた。

 頭を撃ち抜かれた船越からは血の一滴も出ていない。

 斎庭リエは苦々しそうに舌打ちすると、霧が晴れるように霧散して姿を消す。


 どうやら僕の回答が気に入らなかったらしいが、彼女はもう現実に干渉することはできない。あれが精一杯の抵抗なのだろう。


「ありがとうございました、船越さん」

「いえ、こちらこそ」


 船越と握手を交わして、僕と新咲ユリはホテルを後にした。

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