第35話 それでも悲しみは晴れない
新咲ユリはハジメさんのクルマの方を追った。僕の荷物の中に追跡タグが入れられていたのは間違いなさそうだ。でなければ正確に行き先をトレースできるわけがない。
斎庭リエまで連れてきた理由は、単に他の助っ人がいなかったからだろう。といっても彼女が新咲ユリに積極的に協力する理由は無い筈だ。もしかして脅しでも受けたのだろうか。例えば、協力を拒否すれば世間に居場所を公表するとか、煌煌館に引き渡すとか……
海辺にあるノコギリ屋根のペンションには、僕の荷物だけが置かれている。
灯りとテレビは付けておいたので追跡タグ含めてダミーになってくれたことだろう。釣られた新咲ユリは受付で宿泊手続きを済ませ、1番端にある建屋に入っていく。
僕とハジメさんは、その様子を駐車場に停めてあるワンボックスカーの中から確認していた。なんてことのないレンタカーで、近くの駅前で借りてきたものだ。ハジメさんのクルマはどれも目立つものばかりなので仕方ない処置である。
「それで、作戦は?」
「実はまだ考えていないって言ったら怒ります?」
「怒りはしないけど呆れるかもね」
「すいません、呆れてください」
ワンボックスカーの後部座席に身を潜めているのでハジメさんとの距離が近い。結構、長い時間こうしているから暑苦しい状態に申し訳なさすらあった。
ハジメさんは宣言通り呆れたらしく、ため息を吐く。
「わざわざディアブロの行き先を指示した後で追いかけて、レンタカーまで用意して身を潜めたから何か作戦があるかと思ったわ」
「作戦は無いんですけど考えてはいました」
「どんなことを?」
「新咲さん、僕に危害を加えるつもりならいつでもできたんですよ。まぁ、煌煌館に追跡されていると嘘を付いたのも害が無かったといえば嘘になりますけどね」
「楽観的ね。不必要にビクビクさせられて怒ったりしないの?」
「怒るというよりは『何故』といった興味が湧いてきます。あれだけの頭脳を持った娘が一体、何を画策しているのか……って。咄嗟についた嘘から余計なストーリーを付け足して、事をどう運ぼうとしたのか」
「ねぇ、鏑木くん。私の率直な意見を言ってもいい?」
「どうぞ」
「多分、あの子はあなたにかまってほしいだけよ。だから無理矢理、斎庭リエのインタビューに首を突っ込んだの。断言してもいいわ」
「まさか」
ハジメさんにしては珍しく外した意見である。
新咲ユリがそんな些細なことのために、ここまでのことをするとは思えない。
彼女もまた興味の人なのだ。でなければ道具箱殺人事件を解決してなお、探偵の真似を続けるわけがない。
臓腑を切り分け、箱に詰め、学校の机の引き出しに仕舞った狂気の殺人鬼を卓上のみで追い詰めたのが新咲ユリだ。
「かまってもらいたいだけで、ここまでやるのは普通じゃない。ブレーキが無いんだと思う」
「それなら危険は無いんじゃないですか? わざわざ逃げる必要性はゼロで、全部が杞憂ということになりますよ」
「わかってない。鏑木くんに関与するためなら何でもやるんじゃない? そのうち自分で殺人事件でも起こして、鏑木くんと一緒に追いかけそう」
「それは流石に言い過ぎですよ」
「斎庭リエが人間を食べた理由はもう分かったでしょ? 与野村誠の死に報いるためよ。インタビューはできたし、当初の目的はほぼ達成している。新咲ユリの出番は本当ならもう無くなっているの」
「つまり、探偵が自分の出番を作るための演目がこれだと」
「自分のアイデンティティのためなら理屈も筋も曲げるなんて珍しくないことよ。こんな世の中だとね」
そうなると、ハジメさんがわざわざ僕の手を引いて逃亡した意味が分からなくなってくる。身の危険を感じてのことだろうけど、問題解決に至ったわけじゃない。
物理的な距離をとったというだけで全てを先送りにしただけだ。
もしかしてハジメさんも自分のアイデンティティのために、何かを曲げてここにいるのだろうか。
僕だけがやりたいことをやりたいようにやっていて、ある意味で自由にふるまっているんじゃないだろうか。
妙な不安が胸を過ぎる。しかし、だからといってこのまま身を潜めているわけにもいかない。
次の言葉に迷っていると、ポケットの中でスマートフォンが震えた。このペンションに来てからは電源をONにしてある。新咲ユリの方から連絡を入れてくると踏んだからだ。
しかし、ディスプレイに表示されていたのは意外な番号だった。
「煌煌館のG県支部から電話?」
「え?」
思わず声に出てしまうと、ハジメさんと顔を見合わせてしまった。
急いで電話に出ると柔和な男性の声がする。支部長の船越だった。
『こんばんは、鏑木さん。突然すいません』
「いえ、大丈夫です。お久しぶりですね船越さん」
スピーカーモードに切り替えるまでもなく、ハジメさんはスマホの背面に耳を付ける。おかげでスマホを二人の耳の間で挟む形となった。これだけ顔を近づけられると気恥ずかしいが、続けるしかない。
『鏑木さんのアシスタントの方から、こちらに電話がありました。それで気になって直接連絡を取ることにしたのです』
アシスタント……と、新咲ユリを紹介したことがあった。船越が誰を指しているのかはすぐに理解できる。
しかし、新咲ユリから彼へ電話があったということは、これ自体が何かを意図してのことだろう。
予想していない絡め手から入ってきたことに驚き、しかし声にはその気配を出さないように努める。
『今、斎庭リエさんの所在を掴んで追っているそうですね』
「あ、はい。捜索中です」
この会話から新咲ユリが船越に電話した内容を大体察する。おそらく、斎庭リエが滞在していることまではバラしていない。ギリギリのところで情報をコントロールしたつもりだろう。
『話そうか迷っていました。しかし、鏑木さんに危険が及ぶのは忍びない。だからお伝えします』
「危険?」
『はい。斎庭さんが、こちらの施設に滞在している間にカウンセリングを受けていたのはご存知ですね?』
「えぇ、カウンセラーの川岸さんが間に入っていましたから」
『……近くに斎庭さんはいますか?』
「接触はしていませんが接近はしています。ちょうどこれから声をかけようとしていたところです」
ワンボックスカーのプライバシーガラスから、ノコギリ屋根のペンションをチラリと見る。問題の斎庭リエは、さらに問題となりそうな新咲ユリと一緒の建屋に滞在していた。
『間に合ってよかった。率直に、斎庭さんの症状を申し上げます。彼女、多重人格症を患っています』
「多重人格?」
勿論、知っている。僕自身も彼女の人格が切り替わるのを何度も目にしているし、別人格にインタビューもした。実りはなかったけど。
いかにも初耳だと言わんばかりのトーンで聞き返すと、船越はタップリと間を置く。電話越しに迷っているのが伝わってきた。
『はい。こちらの設備にいた頃の話ですが、確認されているだけで本人含めて6人の人格がありました。そのうち5人に実害はありません』
「待ってください、船越さん! 6人ですか?」
『えぇ、そうです。カウンセラーの見解ではキルレシアン航空211便墜落事故による極度のストレス環境と帰国後に受けたバッシングが原因で分裂したとのことでした』
いや、そこじゃない。
僕の家で斎庭リエにインタビューしたときは5人分の人格しか出てこなかった。念のため
「今、実害とおっしゃいましたね? 危険な人格が潜んでいるということでしょうか?」
『……お察しの通りです。手荒な真似はしないように努めていましたが、こちらの施設でも軟禁せざるを得ませんでした』
「詳しく聞かせてもらえますか? 少なくとも、僕が見張っている斎庭リエさんがどこかへ行ってしまわないうちに」
『おおよそ科学的な話ではありません。脳という器官が未だ神秘に満ちていることは認めますが、それでもなお有り得ないことが斎庭さんの頭の中で起きています。信じてもらえるかは分かりません』
「信じます。こうして連絡をくれたのですから」
『その前にひとつ、鏑木さんの気持ちを確認させてください』
「僕の気持ちですか?」
船越の声は弱々しかった。
悲壮なものを背負い、それを僕にも負わせるべきか迷っているようだ。
『斎庭さんは雪山で生き永らえるためにマネージャーの死体を食べました。そのことを世間から厳しく責められた彼女はとても苦しみ、マネージャーの生前のツテを辿って両親ともども煌煌館に避難してきたのです』
「そのマネージャーというのは与野村誠さんですね?」
『はい。煌煌館の創始者、与野村宗一氏の御子息です』
「……僕の気持ちを確認したいというのは?」
『鏑木さんは、斎庭さんは救われるべきだと思いますか? それとも食人の罪で罰せられるべきだと思いますか?』
「法律上は死体損壊ですが不起訴となりました。世間からのバッシングは法とは別の感情論です。僕はどちらでもありません」
『と、申しますと?』
「帰国後の会見で斎庭リエさんは誤解されてしまいました。世間の感情が彼女を迫害したのなら、彼女はそれから身を守ってもいいと思います。そのためには本人の言葉が必要です。その言葉で世の中に問いたい。これが僕の真の気持ちです」
『私にはそこまでする理由が分かりません。鏑木さんも、何か迫害されたことがあるのですか?』
今度は僕が間を置く。たっぷりと空気を吸い込まないと答えられそうになかった。心臓が脈打つペースが上がる。
ここは本音をぶつけるべきだと、そう直感した。
「父が人を殺しました。裁判では正当防衛と認められています。けれど世間はそれを良しとせず、僕と母は迫害された。尺度の違う正義をぶつけられた母は疲れ切ってどこかへ消え、絶望した父は出所後に自ら命を絶った。僕は人殺しの子として親戚をたらい回しにされました。誰も僕の言葉を聞こうとはしなかった」
ハジメさんの呼吸の音が聞こえた。
彼女は目を伏せている。感情は読み取れなかった。
けれど、膝の上で握った拳の上にそっと手を添えてくれる。温かい手だった。
『胸の内を聞かせてくれて、ありがとうございます。お話しいたします。斎庭さんの頭の中で何が起こっているのかを』
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