第36話 絞首刑台

 船越との電話を終えた後、僕はよく考えなければならなかった。新咲ユリがどこまで現状を把握しているのかを。斎庭リエを一緒に連れてきたということは危険性を把握できていない可能性が高い。おそらく手軽に使える駒くらいに捉えている。

 一方で、僕を追いかけているというシチュエーションからがどんなアクションを起こすのかも考慮に入れなければならない。移動中に何もしなかった点から察するに、ペンションに腰を落ち着けた今は行動に出ても不思議じゃなかった。


「私の言ってたこと、そこまで間違ってなかったわね」

「えぇ、そうですね。僕は爆弾を抱えながら生活していたようです。運が良かったのか、あるいは見逃されたのか、爆発しなかったみたいです」


 スーツ姿のハジメさんも頭を抱えている。通話に聞き耳を立てていたのだから当然だろう。

 ワンボックスカーの車内の温度が下がった気がする。単に夜が訪れたからではなく、心から底冷えするようだった。


「煌煌館の船越ってヒトが、ひどい被害妄想の持ち主だったってオチを期待しましょうか」

「それは楽観的な考えで、危険側の行動です。安全側で考えるなら新咲さんをすぐに助けないと。助けた後で、そのオチだったら斎庭さんに謝りましょう」

「ぜんぜん専門家じゃないけど、流石にそれはナイでしょ……って話だったわね。でも真剣味だけは本物。もしも演技だったら役者になれるわよ、船越って男」

「僕は信じますよ」

「じゃあ、記事にするの?」


 率直な質問だった。それ故、返答に困る。

 僕は窓の外を一瞥し、それからハジメさんに向き直った。駐車場の外灯に照らされたハジメさんの顔は曇っていたけど、いつもよりも綺麗に思えてしまう。


「記事にはしません。僕が興味を持っていたのは、斎庭さんの動機です。は正直、どうでもいいです」

「あれだけ煌煌館に関わっておいて宗教には関心がないのね」

「あくまで今の斎庭さんを構成する一つのファクターとして関わっただけですし」

とやらも今の斎庭リエを構成するファクターなんじゃない?」

「それはインタビューしてから決めましょう」

「鏑木くんらしいわ」


 今度は笑われてしまった。

 どちらかというと乾いた笑いだったけど。

 そんなこんなで本格的に作戦を考えなければならないのでハジメさんと話し合った。

 ハジメさんがを呼ぶこともできるけど、どんなに早くても30分かかるという。その30分が致命傷にならないとも限らない。

 それに、このタイミングで新しくクルマで乗りつける連中を見かけたら向こうが行動を起こす引き金になりかねない。

 となると、元からこのペンションにいる僕が動くのが妥当で手っ取り早い。

 最悪、新咲ユリと斎庭リエを引き離せればいいのだから。


「……で、鏑木くんが単身で乗り込むってワケ? もうちょっと考えたほうがいいわよ」

「すぐ行動に移せるベストアンサーだと思いますよ」

「目の前にもうひとりいるんだから頼ってみれば?」

「ハジメさんにはこのクルマを運転してもらう必要があります」

「私、右ハンドルの車って殆ど運転したことないの。教習所の時くらいね。ちょっと自信がないわ」

「何年くらい前の話ですかそれ」

「えっと、もう10年くらい……ってもう!」


 これは重要な情報を引き出せた。ハジメさんは顔を真っ赤にして軽く握った拳をポカポカ叩きつけてくる。これまで断固として年齢のことは口に出さなかっただけに、己の迂闊さを呪っているようだ。


「最悪。次から情報料を値上げするわ」

「ごめんなさい。ついつい。でもまぁ、ハンバーガーやカラオケってのは格安過ぎでしたから」

「最悪。知られたくなかった」

「そんなに大袈裟に凹まなくても……」


 ちょっと涙目になっているハジメさんを前にして罪悪感を覚えてしまう。ここまで嫌がるとは想像していなかった。

 我ながら踏み込む場所を間違えた感が否めない。


「さっさと行っちゃいなさい。お望み通り運転してやるわよ」

「いやもうホントごめんなさい……」

「言うこと聞いたら許してあげる」

「えっと、何でしょう?」


 恐る恐る尋ねると、ハジメさんはおもむろにジャケットを脱いだ。そして隠していた拳銃をホルスターごと僕に渡してくる。薄明かりが銃身に反射して艶かしく光っていた。


「持っていきなさい」

「必要ありませんよ。っていうか、いつも拳銃なんて持ち歩いていたんですか?」

「護身用にね」

「ここ、日本ですよ」

「そういう鏑木くんも靴に鉄骨仕込んでいたり、ベルトのバックルにワイヤー入れてたり、物騒じゃないの」

「護身用ですよ。怖い人に囲まれたときのために」

「じゃあ、拳銃これも護身用でしょ。使い方は分かる?」

「海外取材の時に射撃場で遊ばせてもらったことがあります。だから一応程度に」


 苦笑いするしかない。仕方なく拳銃だけ受け取り、ズボンの尻ポケットに捩じ込んだ。金属の冷たさが生地越しに滲み出て心地が悪い。銃器に詳しくないけど、刑事ドラマに出てくるようなゴツい代物じゃなかった。かなりコンパクトで女性の手で扱うのにちょうどいいサイズである。

 シャツの裾でグリップが隠れるから都合がよかった。


「幸運を」

「ハジメさんにも」


 また手を握られた。その手を額の前に持ってきて、ハジメさんは祈るようなポーズをとる。ちょっと心強い。

 僕はワンボックスカーの後部座席のスライドドアに手をかけ、もう一度、フロントガラス越しに前方を確認した。

 ノコギリ屋根のペンションよりも手前の駐車場エリアに誰か立っている。

 僕たちの乗っているクルマから近いが、顔は闇に隠れて判別できない。


 一歩ずつゆっくりと近付いてくると、そいつは外灯の下に出た。

 ベリーショートの髪を銀色に染めた、スラっとした体型の女である。いつものダサいご当地Tシャツではない。足のラインをピタッとなぞったジーンズに無地のシャツを着ていた。

 これまで一度も見せたことのないような、穏やかな笑みを浮かべている。そのことが不気味さを際立てていた。


「斎庭リエ……」

「ダミーのペンションじゃなくてこっちに来たってことは、最初から気付いていたのかしら?」

「おそらくは新咲さんの推理でしょうね」

「どうするの?」


 踏み込むつもりが完全に先手を打たれた形になってしまった。しかし、側に新咲ユリがいないのは好都合である。あの二人を引き離して安全を確保するのが最低条件だったから、この状況は悪くない。

 いや、本当に悪くないのだろうか?

 ここにいないことで難を逃れたと言えるのだろうか?


 背筋に冷たいものが走った。

 まさか……


 息を呑んでいるとスマートフォンに着信が入る。新咲ユリからだった。

 クルマの前方5メートルほどの位置に立つ斎庭リエはスマホを手に持っている。


「もしもし」

『キミが鏑木くんだね?』


 斎庭リエの口が動いている。声も彼女のものだが、口調もトーンも違っていた。

 あのスマホは新咲ユリのもので間違いないだろう。

 

『降りてこない? 海でも見ながら話をしよう』

「あなたはハズレジョーカーさん? それともキングさん?」

『ははっ。まぁ、そんなところかな』


 敢えて別の人格の名前を挙げる。どれも違うだろう。

 僕は新咲ユリみたいに人格の切り替わりを見切ることはできないが、このシチュエーションから類推できる。

 目の前に立っているのは斎庭リエの第6の人格だ。


『二人だけで話がしたいから、そっちの綺麗なお姉さんには待ってもらうように言ってくれるかな』

「分かりました。でもその前に教えてください」

『ボクに答えられることなら』

「そのスマホ、新咲さんのものですよね? 今、彼女はどうしているんですか?」

『どう……と言われてもなぁ。ペンションの中にいるよ。悪いけど、どうなっているのか現状は把握していない』

「そうですか」

『地図で確認したんだ。向こうに公園がある。そこで待っているよ。あぁ、写真を送ってあげるね。彼女とはをしていたんだ』

「ゲーム?」

『そうそう。だからボクがOKするまでペンションの中には入らないほうがいいよ。ノックもダメ。じゃないと新咲さんは一歩を踏み出してしまう』


 通話を切って、第6の人格はにこやかに手を振って去っていく。

 待ち合わせ場所の公園とやらに行くのだろう。

 すぐに追いかけようか迷ったが、直後に僕のスマホに写真付きのメールが入った。


 ペンション内部の様子を撮影したものが数枚。

 テーブルの上には2個の椅子の背もたれを違い違いに組み合わせた危ういバランスの構造物が置かれている。使わない椅子を片付けておくときに似たような形にするが、座面に背もたれを乗せているので高さがあった。

 そのさらに上で新咲ユリが立っている。目隠しをされ、首にはロープが巻かれていた。ロープの一端は天井を渡る梁に結ばれている。


 もし。

 ちょっとでもバランスを崩せば足元の椅子が倒れ、首に巻かれたロープは新咲ユリを吊るすことになる。

 スマホを覗き込んでいたハジメさんは目を見開く。


「これって……」

「無理にペンションに入ろうとすると、新咲さんは自分から一歩を踏み出すそうです」

「……船越の言ってたことに真実味が出てきたわね。もう呑気に構えている場合じゃない。助けに行かないと」

「ダメです。普通に入ったら新咲さんが死にます」

「じゃあ、どうするの?」

と話して解除してもらいます。それ以外に、今選べる安全な方法がありませんから」

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