第34話 偽り
「着きましたよ、
「ん?」
肩を揺すられて目を開けると新咲の顔が目の前にあった。やはり髪をおろすと老けている。ポニーテールのときは女子高生だが、ストレートにしていると20歳過ぎに見えた。
欠伸をひとつ。そういえばタクシーに乗せられていたのだと思い出し、車外に出る。
海が近いのか潮の香りが立ち込めていた。ボーッとする頭を覚ますにはちょうどいい。
「少し歩きます」
そう言って新咲は私の手を引く。
周囲は既に暗くなり始めていた。空はオレンジから黒へとグラデーションがかかり、月と星が控えめに輝いている。
辺りはよく整備されていて道路が綺麗だった。ちょっと小高い場所では海も見える。
道路脇の歩道を進んでいくと、看板が立っていた。どうやらペンションへと続いているらしい。海水浴場もありそうだから、その手の客を狙った立地なのだろう。
スマホ片手に新咲は地図アプリを確認している。鏑木の荷物に仕込んだ追跡タグとやらが近いらしい。
「あっ」
声をあげて指差した先に、やたらと車高の低いスポーツカーが停まっていた。ペンションの駐車場の方である。
「本当に同じクルマなの?」
「ナンバーを覚えています。一致しています」
念のため聞いてみたが予想通りの回答だった。駐車場はなかなか広くて、他にもぽつぽつとクルマが停まっている。ペンションはというと同じ形の建物が間隔を置いていくつも連なっていた。ノコギリ屋根でグレーの壁をした、ちょっと風変わりなルックスである。
手前にある受付で借りて、一棟で家族なり友人なりと泊まる形式なのだろう。
「GPSの精度を10メートル程度と仮定して、あっちかこっちのどちらかに滞在していますね」
隣り合った二つを交互に指している。
どちらも窓から光が漏れていて、人がいるのが分かった。ここからでは距離があるから会話は聞こえないけど気配がある。
「その前に受付なしで入れるの?」
「カップルのフリして泊まりましょう。空いているみたいだから飛び込みでも大丈夫だと思います」
「友達のフリでいいじゃない」
「手を繋いで歩いている時点でカップルですよ」
「勝手に握られた上に引っ張られたんだけど」
「さぁ、行きましょう! あ、斎庭さんは喋らなくていいので!」
振り解くこともできたけど、あとあと面倒になりそうなのでされるがまま引っ張られておく。
受付の小屋は駐車場と建屋の中間にあって、窓の向こうに初老の管理人が座っていた。カラーリングは奥にあるペンションと同じでだが小さい。真四角で横に出入り用のドアがある。
新咲は腕にピタリと抱き付いた。ここでカップル演技に念を入れる意味が私には理解できない。ラブホテルじゃあるまいし。
「すいません。二人、泊まれますか?」
最初、管理人は訝しげな目を向けてくる。新咲はにこやかに話してあっという間に相手の警戒を解してしまう。これも才能なのだろう。
けれど身分証の提示を求められたとき、かなり渋った。見た目が高校生だから当然といえば当然である。
新咲は渋々といった様子で財布から運転免許証を取り出し、管理人はまた胡乱な目に戻って、それからトークで丸め込んで無事に宿泊が確定した。
鏑木がいると思しき建屋からは離れた端っこに泊まることになったので、鍵を受け取ってそちらに入る。
電気を点けて中を見回す。意外に広い。
いかにも「凝ってます」と言わんばかりの作りの玄関で靴を脱いで上がると、テレビにテーブルにベッドと一通りのものが揃っていた。設備一覧の載った紙に目を通せば、ベランダを出た海側にはバーベキュー用に竈門があると自慢げに書いてある。
本当にファミリーかカップルの滞在先としての場所なのだろう。
「あんた、本当は何歳なの?」
「永遠の17歳ですよ」
「じゃあ、さっきの運転免許証は偽造ってわけね」
「想像にお任せします」
多分、免許証は本物だ。年齢の方を偽っているんだと思う。そうなると悍ましいを通り越して痛々しい。
そんな痛々しい新咲は、持ってきた荷物の中からロープを取り出していく。
テーブルのところにあった椅子を移動させて暖炉の前に置くと、新咲は私の方へ向き直った。
「その椅子に座ってください。縛り上げますから」
「意味が分からないんだけど」
「作戦ですよ、作戦。斎庭さんは大人しくしているだけで大丈夫です」
「拘束されそうになって『はいそうですか』って納得できるような人間じゃない。そこまであんたを信用していない」
「ちゃんと抜けられるようにしておきますって」
「信用していないと言った」
「その気になれば椅子ごと壊して逃げそうですけどね」
腹の中を見事に読まれて会話が途切れてしまった。
内心で、あのロープとあの椅子なら壊して逃げられそうだと考えていたのである。
「どのくらいの時間がかかるの? その作戦ってのに」
「長くて1時間くらいでしょう」
「……トイレに行かせて。それくらいはいいでしょ?」
「どうぞどうぞ」
用を足すのではなく、気持ちを切り替えたかった。
いつまでこの茶番に付き合えばいいのか。既にウンザリしていたけど、逃げ出すのも得策じゃなかった。
トイレは洗面所と風呂に隣接していた。脱衣所の引き戸を閉めると突然、私の意識が身体の外へと抜ける。このタイミングで人格が交代してしまった。
変なことをしでかさなければいいけど。
「逃げるけどいいか、リエ」
どうやら
「あのお嬢ちゃん、危ない臭いがプンプンしてやがる。ここにいるとロクな目に遭わなそうだ」
肩越しに私を振り返ったジョーカーは珍しくシリアスな顔をしている。と言っても自分の顔だから、珍しいものでもない。
ここで逃げるという発想が浮かぶのは実にジョーカーらしい。でも私には反対を意思表明することも、物理的に妨害することもできなかった。人格交代がそういう仕組みだから諦めるしかない。
ジョーカーはトイレと風呂の窓を確認する。格子が嵌めてあって外には出れなかった。洗面所にある小窓も同じ仕様である。
ここから室内の戻れば椅子に縛られる。もちろん、抵抗だってできるだろう。ジョーカーならきっとやるが、彼は私ほど私の身体を動かす術に長けていない。
不思議なことだが人格が変わると運動能力が大幅に低下するのだ。
「ダメだ、こっちからじゃ外に出られない」
「リエに逃げるように説得するのが現実的では?」
「こわい……」
「それよりも……」
私が自分の身体から抜け出ている間に、キング、クィーン、ジャック、ジョーカーと次々と入れ替わって議論が展開される。
こういうのを脳内会議と揶揄することもあるだろう。けど私の場合は現実でそれが起こってしまう。
「斎庭さ〜ん? お腹の調子が悪いんですかぁ?」
脱衣所の引き戸がドンドンと叩かれ、新咲の声がした。ちょうどクィーンの人格が出ていたので哀れなくらい身体が跳ね上がってしまう。クィーンは「すぐに出ます!」なんて返事をした。
このタイミングで私の人格が身体に戻る。思わず大きなため息を漏らしてしまった。
「みんな、心配し過ぎ。逃げ出す方がリスクが高い」
向こうの声は聞こえないから、一方的に告げておく。
だが明らかに納得していないのが感覚的に伝わってきた。特に意識していないのに足が重くて硬っている。
「まったく……」
引き戸へ手を掛ける。
しかし、そこでまた自分の身体から抜け出してしまった。
これはもしかして……
「ボクが出るよ。新咲さんと話せそうなのはボクしかいないからね。いつも守られてばかりじゃ悪いし」
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