第33話 脅迫

 どこからか連絡を受けて新咲は飛び出し、1時間ほどして戻ってきたときには雰囲気がガラリと変わっていた。髪は乱れて汗まみれ。よほど慌てていたのか肩で息をしている。

 鏑木の家に居候している身だが水くらいは差し出したほうがいいだろう。

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、玄関でへたり込んでいる新咲に手渡した。


「ありがとうございます」

「なにがあったの?」


 大して興味はないけど、一応は聞いておく。

 蓋を開けて半分ほど水を飲んだ新咲はポニーテールを解く。それにどんな意味があるのかは知らない。

 けれど髪を下ろすと、一気に老けてみえた。凄みのある笑みを見せながら新咲は告げる。


「逃げられちゃいました」

「誰に?」

「鏑木さんですよ。せっかく、斎庭さんの秘密を教えてあげようと思ったのに」


 6人目のことか。

 あまりペラペラ喋らないでほしいものだ。

 しかし、鏑木が逃げるというのはどういうことだろう?


「斎庭さん、手伝ってもらえませんか? 鏑木さんを捕まえるんです」

「状況がぜんぜん読めないんだけど」

「位置は掴んでいます。鏑木さんの荷物の中に追跡タグを入れておきましたから」


 スマホを取り出して地図アプリを立ち上げた新咲は、それを私に見せてくる。

 この女、ナチュラルにとんでもないことをしでかしている。善悪の区別がつかないのではと疑いたくなった。

 追跡タグはどうやら都内から西へ向かおうとしているらしい。


「随分速く移動しているみたいね。こっちもクルマで追いかけるの? 免許証なんて持ってないわ」

「心配ありません。私もクルマなんて持ってませんから」

「電車?」

「それとタクシーですね。お金は心配ありません。お父さんからクレジットカードもらってますから」

「ついて行く理由がない」

「あれ? 困る筈なんですけどね。逃げ出した先が煌煌館にバレたりでもしたら……」


 そう来るか。

 こちらを見上げる新咲のアルカイックスマイルに、私は歯噛みしてしまう。

 善悪どころか目的のためなら手段を選ばないタイプだと判断できた。極めて厄介だし、近くにいて欲しくない。


「私が連中に捕まったら鏑木が困るでしょ? それに、その気になれば私はどこへでも逃げ出せる」

「いいえ、あなたは逃げ出しませんよ。どうせここから出たら行く宛なんてないんです。橋の下で野垂れ死ぬのはイヤですよね? 

「……嫌な女だって言われない?」

「初めて言われました」


 露骨に舌打ちしてやったのに、首を傾げてやがる。どうして鏑木がこいつから逃げ出したのか理由を察した。

 私は飲みかけのペットボトルを新咲から取り上げる。彼女は玄関に腰掛けたまま未だに立ち上がっていない。

 ローキックでも脳みそを揺さぶれる位置関係だ。スーッと目を細めて息を吸う。

 鏑木の電話番号は知っているから、少しの間だけ眠っていてもらうのもアリだろう。


「あ、暴力なんて振るったら私のお父さんが黙っていませんよ? 定期的に連絡を入れるのを条件にクレジットカードをもらったんです。連絡がなければ私のことを探しますし、そうなると斎庭さんのこともバレます」

「タチが悪い」

「あははは、仕方ないんです。お父さんは私と一緒にいたくないんですけど、私のことは好きです。家族?のキズナだそうですよ」

「他人事みたいに言うわね」

「この前も、お土産を送ってあげただけで喜んでいましたから。なんでキズナなんてものを大事にしているのかは知りませんが、私にとっては都合いいのいいことです」

「同情するわ。あなたの父親に」


 これ以上、相手のペースに引き込まれたくないが他の人格に入れ替わっても都合が悪い。

 身体能力の差は圧倒的だと思う。

 けれど、相手はよく考えて行動していた。私がどれだけ強かろうがこいつには関係ないのだ。

 手を出せば不利益を被る。そういう状況を作り出してから話しかけてきたのだろう。

 自分の不自由を呪いつつ、半分残っていたミネラルウォーターを一気に飲み干した。


「私は何を手伝えばいいの? 追いついたら鏑木を取り押さえる?」

「もっと難易度の低い方法がありますよ。一緒にいる斉藤さんの方を狙ってください」

「2人で逃げ出したわけ? クルマで?」

「はい。今日もまたランボルギーニ乗っていましたけど、前とは違うクルマでしたね。G県に行った時はAMGのゲレンデヴァーゲンでしたし、お金無限に持っているんじゃないでしょうか」

「たまにいるわよね、そういう人」


 芸能界でも、私みたいなネタ芸人とは住む領域の違う人間がいる。そいつは何台も高級外車を持っていて、サイドビジネスでも儲けていた。

 斉藤という女が何者なのか知らないけど、なんとなくどこぞの芸能プロダクションでも経営しているのではないかと思えてくる。

 でなければ煌煌館に軟禁されていた私を見つけられるわけがない。


「役に立つ自信は無いけど、脅されたら仕方ない。協力する」

「人聞きの悪いこと言わないでください。お友達として頼んでいるんですから」

「あなた、もしかしなくても友達いないんじゃない?」

「見事な推理ですね、斎庭さん。私のパートナーに相応しいです!」

「最初に言っておくけど鏑木なり斉藤なりを捕まえるときに人格交代したら台無しになる。キングとジャックは協力してくれないだろうし、ジョーカーは気まぐれ。クィーンは怖がって逃げるでしょう」

「6人目の人格はどうですかね?」

「何もしないでしょうね。彼は彼で完成してしまっているから」

「あぁ、そういう方なんですね」


 ようやく落ち着いたのか、新咲は靴を脱いで鏑木の家に上がった。

 ゴソゴソと荷物を漁って、まるで我が家のように振る舞っている。

 クローゼットからは何故か女物のジーンズとシャツが出てきた。


「ご当地Tシャツは流石に目立つので、普通のカッコに着替えてください。こんなこともあろうかと準備してあります。あと、鏑木さんはベルトのバックルにワイヤーを仕込んでいますし、靴底には鉄骨が入っています。一応は気を付けてください。メガネにはカメラが仕掛けてありますが今回はあまり意味がないでしょう」

「妙な仕掛けをしているのね」

「以前、取材中に危ない目に遭ってから最低限の用心をするようになったんです。メガネのカメラ以外は使ったことなさそうでしたね」

「斉藤の方は?」

「いつもジャケットスーツの下にホルスターを隠しています。脇が少し持ち上がっていたら銃を持っている可能性が高いと考えてください」

「待って。銃を持った女に私をけしかけるつもり?」

「撃たないと思いますし、本人が手を下すこともしないでしょう」

「銃を持っているのに鏑木より難易度が低いって意味が分からない」

「身体能力は所詮、三十路近くの女性に過ぎません」

「発泡してくる確率は?」

「外部からの介入がなければ80%は安全だと考えています」


 怒鳴りつけてやりたい気持ちを堪えて、服を受け取る。

 着替えは手早く済ませた。荷物なんてないから殆ど手ぶらで出かけることになる。

 髪を解いた新咲は、なんというか浮かれていた。もし彼女の言うことが本当なら拳銃を持った相手を取り押さえなければならない。


 銃口が私ではなく自分に向くとは想像しないのだろうか?

 間抜けでないことは分かっている。けれど、ここまで恐れ知らずだとは想像もしていなかった。


 マンションを出るとすぐにタクシーを捕まえ、新咲は運転手に行き先を伝える。

 アプリの示す点はすでに止まっているが、かなり遠い。結構な金額になりそうだ。


「協力するんだから教えて」

「はい、なんでしょうか」

「あなたは鏑木を捕まえてどうするつもり?」

「もちろん、記事を完成させるための情報を伝えるんです」

「彼が帰ってくるのを待っているんじゃダメなの?」

「しばらく戻ってこないと思います。電話も通じません。原稿はオンラインストレージにも保管されていましたから、その間に発表されてしまったら不完全なものが世に出てしまいます」


 果たしてそれが大きな問題なのだろうか。

 私自身、どうでもよかった。世間から人喰いだと指を差されて迫害を受けたのだから。

 今更、そんなものにちょっとした真実を付け加えて何になるのだろう?

 鏑木が必死に取材してきた理由も、新咲が彼を追いかける理由も、斉藤が協力している理由も分からない。


「ねぇ、私に何か隠していない? 鏑木が逃げた理由をあなたの口から聞いていないんだけど」


 一瞬、新咲の顔が陰った。

 答えを紡ぐまでの間にすぐ元に戻ってしまったけど。


「何も隠していませんよ」


 きっと、嘘だろう。

 私にだってそれくらいわかる。

 到着まで時間がかかるから道中の相手は、他の人格に任せてしまっていいだろう。


 タクシーの中から外を見た。

 街はいつもと変わらない。

 無駄にクルマが行き交って、無駄に人が歩いている。

 私は目を瞑って「さっさと着けばいいのに」と心の中で呟いた。

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