第31話 六芒星の契約

 適当に喋らせておく分にはハズレジョーカーという人格は便利だ。なぜ、私の中にあんな部分が生まれたのかは甚だ疑問だけど、あって困るモノじゃない。

 鏑木というフリージャーナリストはノリの軽さを嫌っているようだが、新咲というアシスタントは話を合わせてくれている。

 私は、自分の身体を背中から眺めていた。今更、この状態に感慨は無い。意思とは無関係に自分の口が動いて、意思とは関係ないことを喋ることには慣れてしまった。

 冷静に考えればおかしいことだ。私の目は当然、顔の前についている。それなのに私の目は私の後頭部を捉えている。本当に精神が抜け出しているなんて思わない。

 私は自分の頭の中でイマジナリーな視点を作っているだけなのだろう。今、私の眼球を使っているのはジョーカーだ。この眺めはあくまで想像図であり、潜伏している私の人格が現実であるかのように捉えている。

 聴覚も同じことで、自分の声が前から聞こえる。

 声も容姿も同じ人物が前方で寛ぎながらお喋りしているのを見ているのだ。


 おかげでジックリと観察できる。煌煌館の目を誤魔化すためにバッサリ切って銀色に染めた髪は、売れないパンクロッカーみたいで趣味じゃなかった。けどジョーカーはそれを気に入っているらしい。

 Tシャツはもらった土産物をそのまま着て、ズボンもスカートも履いていない。おかげで太ももの付け根あたりが見えそうだった。今更、気にしたことじゃない。

 下着は新咲が用意してくれたけど、どういうわけか教えてもいないのにぴったりのサイズを持ってきた。飾り気がなくてスポーティなものを選んでくれたことは評価しておく。


 ソファに腰掛けて背もたれに重心を預けているジョーカーは、楽しそうに新咲と喋りながら菓子を摘んでいる。余計に摂取されたカロリーを消費するのは私なのだから控えて欲しいところだ。

 そう考えた瞬間、目の前にある自分の身体からスーッと力が抜けていく。あぁ、引っ込まされてしまったかとため息が漏れた。


 新咲はポニーテールを揺らして首を傾げる。この娘の恐ろしいところは、私たちのに一瞬で気付いてしまうことだ。観察眼がすごいのか、それとも単に勘がいいのか。私はその両方と、さらにプラスアルファの要素を持っていると推測している。


「今度はクィーンさんですか?」


 私はコクリと頷くと、恥ずかしそうに目を逸らした。下着が見えそうだと言わんばかりにTシャツの裾を押さえている。もちろん、私の意思で動いていない。諦観者と化している。

 この人格は『クィーン』とは名ばかりで、気弱な上に小学生くらいの精神年齢をしていた。だから、あまり表に出て欲しくない。受け答えに不安があるし行動が読めない時がある。そもそもキングだのジャックだのクィーンだの名前を付けたのはジョーカーだった。センスの無さを嘆きたい。

 新咲は口調を柔らかくして、宥めるようにクィーンと話す。あっという間に打ち解ける辺りはさすがだ。しかし、それだけ不安を覚える。


 新咲は相手に合わせてガラリとキャラクターを変える。ジョーカーと話していたときは興味津々といった様子で喰いつく後輩キャラ、クィーンと話すときは会話をリードする優しいお姉さん。

 そして斎庭リエ……つまり私と話すときは気さくなクラスメイトのように。例外は鏑木が近くにいるときだけ。彼の見ている場所ではかなり猫をかぶっている。間違いなく彼に気がある。


 相手によってコロコロと態度を変える手合いは危険だ。味方のようでいて、いつ風向きを変えてくるか分かったもんじゃない。

 距離をとって付き合うのが1番だけど、鏑木のマンションに頻繁に顔を出すためそうもいかなかった。何よりこの娘は私に興味を持ってしまっている。

 煌煌館から逃げ出せたのだし、鏑木には一応の礼としてインタビューに答えたのだから、もう滞在する理由もなかった。

 ただし現実的な問題として身一つで出て行ったところで路頭に迷いそうである。

 白銀の死の世界から生還したときとは違った葛藤が芽生え、私は自嘲するしかなかった。あれだけのエクストリームコンディションと並んでこんな街中でも死にそうなのは不思議なものだ。

 何もかも失った私だけど守りたいものが未だにある。橋の下で野垂れ死ぬのはダメだ。そのためにも、もう少し鏑木(と彼のスポンサーである斎藤とかいう金持ち)に頼ることにしたい。

 打算的でカッコ悪いが、がありつける仕事なんてどこにも無いのだから。


「そういえばビリー・ミリガンは24人でしたけど、斎庭さんの中にいるのは全部で6人ですよね?」


 それに答える必要はないよ、クィーン。

 こんな私の言葉は別人格に届くことはない。なんとも不便だ。同じ身体を有しているのに。

 しかし……私の記憶が確かなら、ここに来てから私とジョーカーとキングとクィーンとジャックしか表に出ていない筈だ。

 この娘はどうしての存在を看過しているのだろう?

 

 クィーンは俯いたまま答えない。内向的な子供の人格だ。

 そうだ、それでいい。沈黙からは情報を得られない。居た堪れなくなったクィーンはそのまま引っ込んでしまう。


「今度はキングさんですね?」


 顔を上げる前に、声を出す前に、すぐ看破される。どうして?

 キングはにこやかに新咲の目を見る。人当たりの良い彼は、うまくかわす術を心得ている。私の顔に似合わない表情だ。

 それは新咲も心得ているようで、キングとの会話は無難にやり過ごしてしまう。

 人格が交代するのを待っているのだ。

 本来の人格である私はともかく、後から生まれた人格たちは長時間、身体を支配していられない。


「次は……」

「あまり私で遊ばないで」

「ご本人ですね」


 意識して交代できるわけじゃないが、ささやかな幸運なのか私自身の番が来た。

 ついさっきまで自分の後頭部を眺めていたのに、いきなり元の視界に戻る。新咲の顔が近い。息がかかりそうだ。

 目が笑っていない。黒い瞳は深淵のようだった。


「どうして6人だと考えたの?」

「ジョーカーさんが5人だと言っていました。だからです」

「じゃあ5人よ」

「多分、斎庭さんはジョーカーさんを侮っています。あの人、あなたが思っているよりもずっとあなたのことを考えていますから」

「つまり?」

「あなたの精神を守ろうとしています。だから私とよく話します」

「確かに、そう説明したわ。主人格に不利益が出ないようにしてくれているみたいね」

「でも厳密には違います。斎庭さんの中にいる人たちの証言から推測すると、もう1人いるんじゃないかなと思えました。あなたたちが消したくないのはその6人目の人格です。だからみんなで守っているんです。それがあなたの本当の意志ですから」

「僅かな差から私たちを瞬時に見分ける。その上、6人目まで看過する。本当によく頭が回る……」


 やはり、恐ろしい。

 なにを考えているのか読めない。

 無闇に推理を披露しているようにも思えるし、それがアイデンティティのように見て取れる。

 この子は空虚だ。人喰いだと後ろ指を刺されたときの私と同じくらいに。


天才ギフテッドか」

「そんなくだらないレッテルで私を分類しないでください」


 初めて見せる不機嫌な様子だ。口角が下がっている。

 防戦一方だった私は多少の揺さぶりをかけてやる気になった。


「それだけ頭が良いならじゃなくて、もっと別の働き口があるでしょう。探偵事務所から引く手数多じゃないの?」

?」

「十把一絡げのフリージャーナリストでしょ?」

「ぜんぜん違いますよ。斎庭さんだって分かっているハズです。鏑木さんがでなければ……アンタはずっとカビ臭い宗教施設に閉じ込められたままだった」


 こんな簡単な挑発に乗るだなんて……なんとも脆い。けど可愛らしいとも思えてしまった。

 声まで低くして凄みを効かせている。普段とのギャップを活かしてなのか、小柄ながら迫力があった。

 申し訳ないけど、鏑木のどこがそんなに良いのか私には理解できない。

 それは斎藤とかいう金持ちにも言えることだ。

 チラリと与野村くんの顔が浮かび、他人の男の趣味に口を出せないなと反省する。

 鏑木をおとしめたことは謝っておいた方が無難だろう。この様子だと禍根を残しそうだ。

 しかし、こちらが喋るよりも先に両肩を掴まれた。握力は強くないし、その気になれば体を入れ替えて押さえつけることもできる。

 けれど蛇に睨まれた蛙みたいに硬直してしまった。


「やっぱり、鏑木さんは私がいないとダメですね。半端なまま記事を世に出してしまうところでした」

「離して」

「助けてもらったのに、隠し事しちゃダメですよ。不義理です。それにあなたは……いえ、6人目の人格はキルレシアン航空211便墜落事故のじゃないですか?」

「私は」

「ねぇ、そうでしょう。出てきてください。鏑木さんが本当の記事を書くために!」


 意識がまた入れ替わった。

 また自分の姿を背後から見ている。

 ダメだと叫んでも届かない。6人目の人格はそっと新咲の手を退けた。

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