第30話 夢の跡
ここ最近、駅周辺で絶対に近づかないようにしていたエリアがある。それは
もちろん、こんな立地に新興宗教団体がビルを建てられるわけはない。あくまでテナント。借りているだけだ。規模だってG県のものから比べればはるかに小さい。
例のストーカーが警察に捕まり、僕も連絡先を聞かれ、解放されてからすぐにそこへ向かっている。
内心は二重の意味で穏やかではない。何らかの敵対行動を取られても不思議じゃなかったし、自分が妄想していた新咲ユリの嘘を裏付ける可能性もあったし、どちらに転んでも楽しくは無かった。
「ここか……」
なんということはない、築20年は経っていそうな雑居ビルの2階だった。階段を昇って目的のフロアに踏み入るが、もぬけの殻である。それも昨日今日、いなくなった様子じゃなかった。
入り口は塞がれて、不動産屋による「店舗募集中」の看板と掲げられている。
試しに1階に降りて、入居していたPC教室(今時、珍しい)の人に話を聞いてみた。上のフロアの宗教団体はどうしたのか、と。
返ってきたのは「1年くらい前にはもういなくなっていた」だそうだ。
僕は目眩がして、外へ出てからしばらく適当にブラブラと歩いた。
新咲ユリは、僕を監視していた人間を追跡して、煌煌館のビルに入って行くのを見たと発言している。それは勿論、1年も前のことじゃない。つい最近のことだ。
ここでも彼女は嘘をついていた。
いや…… もしかしたら、僕が煌煌館にマークされていること自体、新咲ユリのでっち上げだったのではないだろうか?
僕に付き纏って「あの人、鏑木さんを監視しています」といちいち教えてきたのはありもしない監視を錯覚させるためだったのでは?
その発端としてコワーキングスペースにいた自分のストーカーを、あたかも僕を見張っているように吹聴したのではないだろうか。
そういえばあの直前に、大学の駐車場で脅迫状を送られた話をしてしまった。
「でも、僕の家には盗聴器が仕掛けられていた」
否定材料を持ち出す。
これもすぐに更なる否定につながった。
例えば、監視を理由に僕の家に上がり込むようになった新咲ユリが不在中に盗聴器を仕掛けたとしたら?
それを、ワザと「盗聴器が仕掛けられている」とハジメさんと僕の前で喋って発見させたとしたら?
悪い方で筋が通ってしまい、僕は頭を抱える。立ち止まると通行の妨げになるので、ちょっと頭を冷やすためにチェーン店のタフネスバーガーに入った。こんな時間にガッツリ食べられないのでポテトとコーラだけ注文し、いつもの窓際席に座る。以前にハジメさんにワームチーズバーガーを奢ったのと同じ位置だ。
仮に。仮に、だ。
本当に新咲ユリが『存在しない監視体制』を捏造したとしよう。
一体、何のために? 僕を警戒させたかったのか?
それこそ目的が分からない。
ただ、あの子のことだから「なんとなく面白そうだった」なんてのも有り得る。
もしそうなら悪質と言わざるを得ない。
いや、でも与野村誠の過去を追っている最中に脅迫状をもらったのは事実だし、あれはG県での出来事である上に、新咲ユリが絡んでくる前の話だ。
僕はコーラの氷が溶けるほど悩み、疑問の解決に繋がりそうなピースを探しながらポテトを口に運んだ。塩と油で脳の回転は上がらなかったけど、腹が膨れて少しは落ち着いたと思う。
それでもこのまま帰宅して、新咲ユリの顔をまともに見ることはできなさそうだ。
第一、どうやってこんな話題を切り出せばいいんだろう。
それとも僕が考えすぎているだけで全ては偶然、話したところで冗談を言っていると笑われるのが関の山だろうか。
このことを相談できるとしたら、斎庭リエの件に全面的に関わってくれているハジメさんしかいない。
とりあえずメールに新咲ユリの不審な点をまとめて送ってみると、10分足らずで返事がきた。
『そこからすぐに離れて。迎えに行く』
「一体、どういう意味ですか?」
『移動しながら説明する。早くそこから離れて』
ワケが分からない。
しかし、相談してしまった手前、従っておくのが礼儀というものか。
僕は荷物をまとめて店を出ようとする。
けれど、急に寒気がした。
視線を上げる。ガラス張りの席の向こう……外には、よく見覚えのある人物がいた。
小柄で、髪を結わえてポニーテールにした女子高生。
「うわっ……!」
ゾッとして腕の毛が逆立った。今まさに、話題にしていた新咲ユリがタフネスバーガーのすぐ外にいたのである。
いつぞや、ハジメさんとの会食を発見された時と同じように!
普段ならなんてことはない。
けれど今の僕は、彼女に対してある種の疑問を抱いてしまっている。
それが恐怖となって背筋を駆け上がってきた。いつもと変わらぬ微笑が、何故か空恐ろしいものに見えてしまう。
加えてハジメさんからのメール。そこからすぐに離れて、という短いフレーズが頭の中を駆ける。
新咲ユリは入り口の方へ回り込もうと進んでいた。
僕は……レジカウンターの横をすり抜けていた。
店員が「お客さん、こっちには入ってきちゃダメです!」なんて大声で静止している。
そんなことお構いなしにキッチンを駆け抜け、裏口を見つけるとそこから飛び出した。
厨房スタッフを突き飛ばしてしまって申し訳ないけど、謝るタイミングは今じゃない。
新咲ユリは僕を呼び止めるわけでもなく追ってくる。だいたい、この時間は僕の家で斎庭リエを見張っていた筈だ。どうして外に出ている?
混乱しながらタフネスバーガーを裏から抜けて通りに出る。
すると見計らったかのようなタイミングで、真っ黒な
反社会的なサウンドを轟かせるそのクルマの運転席では、いつもの黒髪・黒スーツの斉藤ハジメさんがステアリングを握っている。
「乗って!」
促されるまま、僕は車線側まで回り込んで助手席に飛び乗った。
ガルウィングのドアが閉じてクルマが発進すると、ルームミラーにはこちらを走って追いかけてくる新咲ユリの姿が映っている。
やはり陸上選手のように綺麗なフォームで、道ゆくを人を綺麗にかわしながら駆けていた。
デジャブに襲われるけど、あのときとは抱いている感情が全く違う。
得体の知れない恐怖で心臓が弾け飛びそうだった。
当然ながらハジメさんのクルマはあっという間に新咲ユリを置き去りにして走り去ってしまう。
僕は深く息を吸って、落ち着くように努めた。なるべく本題から入らないようにハジメさんに声をかける。いつになくシリアスな表情の彼女はしっかりと前を向いていて、時折ドアミラーを確認していた。
「……この前とクルマの色が違いますよね?」
「そういうところに突っ込んでいる場合じゃないと思うけどね」
「えっと、一体、何がどうなっているんですか?」
「それは私が聞きたいくらいよ。このまま高速道路に乗るから、お互いに情報交換しましょう」
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