第21話 合流
好天のおかげで山頂の展望台からの眺めはなかなかのものだった。平坦な街並みの真ん中にあるやたらと背の高いビルはG県の県庁舎だそうで、あまりに立派なので税金の無駄遣いだと市民から批判を浴びているらしい。
ポニーテールを風に
「柵から身を乗り出すと落ちちゃうよ、新咲さん」
「そんなに間抜けじゃありませんよ〜! あっ、望遠鏡がありますよ! お金を入れると見れるやつです!」
とてつもないはしゃぎっぷりである。いつにも増してアクティブなのは、
だとしたら羨ましい若さだ。僕も世間では十分に若いとされる年齢だけど、新咲ユリのように危ういほどのパワーはもう持っていない。かといって慎重に事を運んでいるかと訊かれたら耳が痛いかな……
そんな様子を僕と並んで眺めていたハジメさんは完全に呆れている。
「元気ねぇ」
「いつにも増して元気ですよね」
「このまま置いてっちゃおうかしら?」
「泣くと思いますよ、彼女」
「走って追いかけてくるかもよ」
あり得そうだから怖い。ちょっとだけシミュレートしてみると、泣きながら追いかけてくる新咲ユリの姿が思い浮かんでしまった。笑いそうになるのを堪えていると、展望台の端から端まで探索を終えた本人が戻ってくる。
「あっちには、お土産コーナーもあるみたいです。食事の後に見てもいいですか?」
「学校の友達にでも買っていくの?」
「いえ、不登校ですし、そもそも友達いません! お父さんへのお土産です!」
聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。
ハジメさんも戸惑って、サングラスの隙間から僕にチラリと目線を送ってきた。
多分、「知っていたの?」と言いたいのだろう。首を横に振っておく。僕だって初耳だ。
「あ、そんなに気にしないで下さい。こう見えてもちゃんと働いています。お父さんの経営するコワーキングスペースの受付バイトで、今は鏑木さんのアシスタントです!」
「事情を知らなかったよ。それならバイト代を見直してあげないとなぁ……」
「生活に困っているわけじゃないので賃上げは不要です。それに受付のバイトは、しつこく言い寄ってきて盗撮しようとするおじさんがいて、ぶっちゃけ辞めようと思っていたところでした!」
「犯罪じゃないの。通報しないと」
「えぇ、そのうち八つ裂きにしてやります!」
「八つ裂きはやり過ぎ…… ここ、法治国家なのよ」
「旅先で気が緩んでポロッと漏らしちゃいました。でも微妙な顔されるとキツいので楽しくやりましょう」
「状況は常にハードなんだけどね」
「分かっていますよ、鏑木さん! まずは腹ごしらえです。奢ってもらう食事ほど美味しいものはこの世にありません」
確かに腹が減ってきた。昼と呼ぶには時間が過ぎている。
展望台はドライブコースの終着点に設定されているだけあって、レストランがあった。テーブルからの景色は先ほどと同じ。注文を取りに来たウェイトレスは、季節によっては紅葉が楽しめると教えてくれた。
とりあえず、G県の特産だという牛フィレステーキを3つ注文し、酒を入れるわけにもいかないので烏龍茶で乾杯する。
「この辺りって昔、国産バイクの大きなレースが開催されていたのよね。ライダーにとっては聖地なのよ」
「こんな山の中でですか?」
「そう。だから展望台にバイクミュージアムが併設されているでしょ?」
「あぁ、そういえばお土産屋さんの前にもバイクが飾ってありましたね。駐車場もバイクに乗ったおじさんが何人もいました」
「絶好のツーリング日和だものね。あ〜ぁ、こんなに天気がいいなら紫外線覚悟でオープンカーを持ってくればよかったわ」
「斉藤さん、この前の派手なクルマと今日のクルマ以外にもまだクルマ持っているんですか?」
「コレクションとしてね。それに今日のは移動用の
「ほえ〜、身体はひとつしかないから乗れるのは1台だけです。洋服みたいに気分で変えてしまうわけですね」
「面白い例えね。そう、洋服みたいな感じ」
高校生の新咲ユリからすれば、不思議な感覚なのだろう。頷いたり、「おー」と感心したり、なかなか多様なリアクションをしている。
そうこうしているうちにフィレステーキが出てきた。焼き加減はレアで注文している。鉄板の上で油が跳ねる音と醤油ベースの香ばしいソースが食欲を引き立てた。
「わぁ、美味しそうですね! 本当にご馳走になっちゃってもいいんですか?」
「食事が出てきた後で確認するのはどうなんだろ」
「鏑木くんの
「そうですね、では失礼して……」
僕の隣に座っていた新咲ユリは身を乗り出し、何故か僕のステーキをナイフで切り始めた。
ひとくちサイズに分けたところでフォークに刺し、何故か僕の口元に差し出してくる。
「はい、あ〜んしてください」
「自分で切って食べられるよ?」
「遠慮しないでください。鏑木さん、右手を骨折しているから食事だって一苦労じゃないですか」
「え? ギプスを外せば別に……」
本当は骨折なんかしていない。これは、新咲ユリと一緒に
しかし、肉を刺したフォークは引っ込めずに新咲ユリは顔をグッと近づけてきた。唇が頬に触れるのではないかと思い、ドキッとする。その一方で香ばしい香りがするのだから脳が混乱した。
「レストランの中に煌煌館の関係者がいるかもしれませんよ? 少なくともG県にいるうちは骨折しているフリを続けるのが賢明です」
「さすがに可能性低くない?」
「今はいなくとも後で斎庭リエの目撃情報がないか確認に来るかもしれません。そのとき、金髪美女と食事していた男がギプスを外してナイフとフォークを使っていた……なんてリークされるかも」
「うっ」
「油断禁物ですよ、鏑木さん」
実に鋭い指摘だ。確かに、安全側で考えるならギプスを外すべきではない。
だからといって新咲ユリに食べさせてもらう理由にはならなかった。僕たち以外にも客がいる。女子高生に「あ〜ん」と差し出された肉に、人前でパクつけるほどの度胸はなかった。
その上、向かいに座るハジメさんは半目になって僕をジッと見ている。食事の手を止めさえてしまって申し訳ないな……
「切ってくれるだけで大丈夫。ほら、左手は使えるんだから。口まで運ぶのは自分でなんとかするよ」
「そのことに気付いてしまうとは…… いえ、気付かないフリをしていれば私に食べさせてもらえたというのに。今からでも遅くありません。残った左手をテーブルに叩きつけて砕くこともできます」
「自分の両手を潰す理由にはならないなぁ」
「釣れないこと言いますね。分かりました、切るだけにしておきます」
ブツブツと呪詛のようなものを吐きながら、新咲ユリはナイフで肉を切り分けてくれた。ちょうど食べやすいサイズで助かる。それでも左手で操るフォークには不便さを感じずにはいられない。
「……値段の割にはいい肉じゃない」
黙々と食べていたハジメさんがボソッと感想を呟く。
なんだかこちらも怖い空気を纏っている。カラーコンタクトを入れているから、瞳は涼しげなアイスブルーだった。その冷たさに突き刺される。
「そ、そうですね。なかなかの味ですね……」
そうは言ったものの、新咲ユリのカットしてくれた肉は何故か味がしなかった。正確には味覚がどうにかなってしまいそうな緊張感に呑まれていた。
まぁ、微妙な空気は時間と共に解けていってデザートが出てくる頃にはすっかり元通りになる。
レストランを出た後は3人で土産物コーナーを覗き、ハジメさんはご当地キャラの描かれたTシャツやらご当地和牛のジャーキーやらを買い込む。新咲ユリは父親向けのお土産として菓子の詰め合わせを選んだ。
さらに隣にあったバイクミュージアムも見学したけど、いまいち凄さが分からない。ハジメさんは他のおじさんライダーたちに混ざって古い車両の展示や当時の写真を興味深そうに眺めている。
「斉藤さん、クルマだけじゃなくてバイクも好きなんですか?」
「あの様子だとそうみたいだね。エンジンが好きなのかも」
「私には色が違うだけで全部同じに見えてしまいます」
僕もバイクの見分けがつかないので同意見だ。それでもハジメさんが楽しんでいるなら構わない。
しかし、ツーリングの客たちにちょっかいを出されているようだ。あれだけ美人でセクシーなら仕方ない。どこから来たの?とか好きなバイクメーカーは?とか質問を浴びせられている。
ハジメさんはちょっと困ったような仕草でキョロキョロ周囲を見回し、僕の姿を見つけるなり駆け寄ってくる。
「ごめんなさい、彼氏と一緒に遊びに来てるの」
急に腕に抱きつかれたのでビックリする。どうしたいのかは理解できたので、悪い虫を避けるために彼氏役を演じた。でも男持ちだと分かった途端に冷めるバイク乗りたちにちょっと苛立つ。
「助かったわ、鏑木くん」
「大変でしたね」
「また絡まれると面倒だから、見終わるまで腕を組んでていい?」
「ハジメさんがイヤじゃないなら構いませんよ」
「やった!」
子供っぽくガッツポーズをとって、結局そのままバイクミュージアムの中では腕を組んだままだった。薄手のシャツ越しにハジメさんの体温が伝わってくる。僕の二の腕に当たる弾力があるのに極めて柔らかい感触については考えないようにしよう。
「あの、そろそろ離れた方がいいと思います」
僕らの後をついて来た新咲ユリは建物から出たあたりで提案してくる。確かにそうだ。
山頂までドライブしたのは斎庭リエを待つため。食事とミュージアムの見学で結構な時間が経過して、辺りが暗くなり始めている。
「クルマに戻るまでいいじゃない」
「いえ、どこかで斎庭さんが見ているかもしれません。淫らな行為をしていては近づいてこないかも」
「腕を組んで歩いただけで『淫らな行為』なんて言われたの初めてよ」
「と・に・か・く! 離れましょう! 斉藤さんの胸と鏑木さんの腕の皮膚が癒着してしまったら大変です!」
「発想がグロテスクなんだよなぁ……」
とりあえず、ハジメさんには離れてもらった。
こうしてクルマまで戻ると、タイヤとタイヤの間で何かモゾモゾ動いていた。
その暗がりから視線を感じる。僕たち3人は全員、気付いていた。だから周囲を警戒しつつ、僕は声をかけた。
「斎庭リエさん?」
「はい」
車高の高いクルマでちょうどよかった。
下に潜り込んだ斎庭リエは返事をしてくれる。
「後ろのドアを開けます。素早く乗り込んで」
「分かった」
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