第20話 逃亡者
船越はすぐに見つかった。どうやら建屋の奥で起こった騒ぎを確認しに行ったらしい。それから
「無事でしたか」
「えぇ、大丈夫です。すいません、インタビュー中に逃げられてしまいました」
「いえ、
船越は灰色の髪を撫で、珍しく不機嫌を露わに近くにいた白服の男を一瞥した。先ほど、斎庭リエに背後から飛び蹴りを喰らった人物である。確かに監視の任は果たせなかったことになる。
「ところで、奥の方でも騒ぎがあったみたいですが? ガラスの割れる音と、大声が聞こえました」
「あぁ、あれですか。錯乱した信者のひとりが暴れ出してしまいまして……」
なんともバツは悪そうに告げる船越に、新咲ユリは容赦のない質問をぶつけてしまう。
「そういうことってよくあるんですか? 修行している人が暴れ出すなんて」
「……いえ、ごく稀なことです。もともと精神的に不安定になっていた者の仕業です」
「新咲さん」
「ごめんなさい」
注意してやると素直に引っ込んでくれる。何事にも興味があるのは結構なことだけど、今は場を荒立てないでほしい。
船越は「指示を出す必要がありますので」と頭を下げ、エントランスに集まった信者たちの方へ行ってしまった。
そうしているうちに奥の方から猿轡を咬まされた中年男が連れて来られる。あちこち血塗れで、興奮した様子で鼻息を荒げていた。最低限の手当はしてあるのか包帯が巻かれている。
こいつが錯乱して暴れたという信者だろう。両脇をガッチリと抱えられ、「ちゃんと歩け!」と怒鳴られて玄関から出ていく。
「病院に連れていくんですかねぇ?」
「多分、そうだろう」
「なんだか怖いです」
「新咲さんでも怖がることがあるんだね」
「ありますよ。か弱い乙女ですから」
か弱い乙女はバラバラ殺人事件を解決したりしないと思うけどね。
ツッコミ待ちを見切った僕は会話をそこで止めておく。反応を期待していた新咲ユリはちょっと不満そうだった。
エントランスに集まっていた信者のうち、何名かが外へ出ていく。見送った船越は再び僕たちの方に寄ってきた。
「付近の山に詳しい者たちで、斎庭さんを探すことにしました」
「警察には連絡しないのですか?」
「……1日経っても見つからなければそうします。私の判断です」
「そうですか」
警察に頼れば、不明者の身元を聞かれるだろう。それが斎庭リエだと分かったら情報が拡散する恐れもある。船越が懸念しているのは、マスコミが押し寄せてこの施設が騒がしくなることだ。
通報を避けたいという気持ちは分からなくもない。
「申し訳ない。こんな事態になってしまって……」
「いえ、とんでもない。僕にお手伝いできることはありますか?」
「現時点ではないと思います。山の中の捜索は慣れた者でないと危険です」
「分かりました。本日はこれで失礼します。また連絡します」
船越の他、何名かの信者が僕たちを見送ってくれる。
外に出るとやけに日差しが強く感じた。煌煌館の建屋横にあるアスファルトの駐車場には、クルマに乗ったハジメさんが待っていてくれた。
駐車場は金網で囲われていて、その向こうは斜面が広がっている。斎庭リエはどの方角に逃げたのだろうか?
そんな疑問を抱きつつ、助手席に乗った。
「派手な騒ぎがあったみたいね。ガラスの割れる音がした後で白服の連中が大勢、出て行ったわよ」
シートを倒して本を読んでいたハジメさんが顔を上げる。すっかり失念していたから驚いてしまった。今日の彼女は金髪のサングラス美女だったっけ。
「斎庭リエが逃げ出したんだ」
「最初に走って行った黒髪の子? めちゃくちゃ足が速かったわ」
「そうだね。ハジメさん、見ていたんだ」
「このクルマのすぐ横を通って行ったから。サイドミラーで姿を追ったけど、後ろにあるフェンスを一足飛びで越えていったのよ」
「あぁ、こっちに逃げてきたんだ……」
「その前は3階から飛び降りてエントランスに着地したんですよ! 目を疑いました!」
後部座席に乗り込んだ新咲ユリが興奮気味に伝えると、ハジメさんは「まさか」と声を上げる。僕が本当であると教えると、まるで猫のようだと評した。例え猫でも3階からは飛び降りないと思うけど気持ちはわかる。
とりあえずの車内会議となったけど、ここに来る以前に立てた予想はだいぶ裏切られていた。
妙に喉が渇いたので助手席のドリンクホルダーに残っていたミネラルウォーターのペットボトルを飲み干す。
「単純な疑問、いいかしら?」
「僕が答えられそうなことなら」
「
「煌煌館にいたくない……というのが本音かもしれない」
「ま、軟禁状態だもんね。色々と不便もあるでしょ」
「合理的な行動とは思えないよ。いや、そういった判断ができない状態かもしれないけど」
「私には、合理的に見えました。あ、飛び降りたこと以外って意味ですよ?」
よほどショッキングだったのか、その点をしつこく強調してくる。
僕も衝撃を受けたのは同じだったものの、ハジメさんはいまいちピンとこない様子だ。
「あれだけの身体能力があれば、もっと前に逃げ出せそうなものだけどね」
「斉藤さんのいう通りなんです。それを今日、このタイミングで実行したには何らかの理由があると思います」
「奥で信者が暴れて、監視役の気が逸れたよね。あれがキッカケだったんじゃないかな。脱走の成功率は上がりそうだし」
精神的に不安定だったという血塗れの中年男のことを思い出した。一体、何が彼をそうさせたのかは知らない。けれどインタビューの途中に別の場所で暴れたのは斎庭リエにとって好都合だった。
「……それだけでしょうか?」
「名探偵さんは納得できないみたいよ、鏑木くん」
他に何が考えられるだろうか。僕は斎庭リエとの会話を思い出す。
アイドルに憧れて芸能界入りしたということくらいしか聞けなかった。
いや、僕が聞き出せたのはそれくらいだったけど、斎庭リエが僕に聞いてきたことがある。
どうして自分を取材するのか、と。
僕は「人を食べてまで生き延びたかった理由が何なのかを知りたい」みたいに答えたと思う。
あのとき、彼女は真っ黒い瞳で僕を見つめていた。何かを目で訴えてきた。
「もしかして、僕が斎庭リエの質問に出した答えがキッカケ?」
「鏑木さんの答えを聞いた斎庭リエは何かを決心したように見えました。きっと助けてくれると考えたのでしょう。もしかしたら何かメッセージを送ったのかもしれません」
腕組みをして考え込む。けれど新咲ユリみたいに革新的なアイデアが湧き出てくるわけじゃなかった。
クルマを一旦降りて、斎庭リエが走り去ったという斜面の方を確認する。その先には山頂がある。
ここへ来る途中で道路が分かれていて、下る方を選ぶと煌煌館に着く。反対の上りを選ぶと山頂へ行くことができた。
頂上にはちょっとした駐車場と飲食スペースがあって、G県を一望できて……
「逃げるなら、どうして山頂側へ向かったんだ?」
勿論、道路添いに走ってもすぐにクルマで追いつかれると考えたのだろう。
ハジメさんの横を通ってフェンスを超えた先は斜面になっている。ここから先は上りなのだ。
「そうか。もしかしたら……」
すぐに助手席に戻ると、ハジメさんがサングラスを外して不思議そうに僕を見ていた。
手にした本を肘掛けの上に置いて「何か分かったの?」と聞いてくる。
「斎庭リエなら、この山を降りられると思う?」
「降りられるんじゃない? だって、4,000m級の雪山だって下山できるんでしょ。これだけ気候が良ければ凍え死ぬことなんてないし、川だって流れているから水も確保できるわ。それに山道だってあるでしょ」
「煌煌館の追手も彼女の身体能力は承知しているよね。しかも、山に詳しい人間で捜索するって言ってた。それなら下山しながら探す筈だ」
「そうですね。だって、逃走している相手を捕まえるんだからわざわざ山頂には……あっ!!」
新咲ユリは気付いてくれたらしい。
胸の前でパンッと手を叩いて目に星を浮かべている。
「さすがです、鏑木さん! そうですよ、助けてくれそうな私たちが側にいるんですからね!」
「え? なに? どういうこと?」
「ハジメさん、少しドライブしよう。山頂にレストランがあるからそこで食事を摂ってそれから帰ろう。勿論、奢る」
「別にいいけど、どういう風の吹き回しかしら?」
「この前の2シーターのランボルギーニと違って、このクルマなら4人乗っても平気でしょ?」
「あっ……」
ハジメさんも気付いてくれたようだ。すぐにエンジンをかけ、煌煌館の駐車場から出ていく。
来た道を戻って分かれ道に差し掛かると『山頂』と書かれた看板の方へと曲がった。
斎庭リエは自分の意図に僕が気付くか、賭けたのだろう。
山頂で待っていれば彼女は登ってくる。麓に向かえばゴールは複数あり、しかも広大だ。
しかし山頂であればゴールはひとつ。僕たちに助けを求め、確実に合流するにはそれがベストだった。
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