第19話 ニュートラル・ブレイン

 目の前に斎庭ゆにわリエ本人がいる。この緊張感を言語化するには少しばかり時間が必要だった。直に顔を見るのは初めてのこと。部屋の空気が対流して彼女の匂いが花に舞い込んでくる。

 煌煌館こうこうかんの信者服に身を包んでいるのだから甘い香りなんてしない。かといって清廉でもなかった。どこか野生染みていて、動物のような空気……

 僕が呆然としていると、横に座る新咲ユリが肘で突いてくる。ハッとして挨拶をした。


「こんにちは、斎庭さん」


 斎庭リエは軽く頭を下げた。髪は肩ほどの長さで、あまり艶がない。毛先が肩に擦れて引っかかっている。テレビに出ていた頃よりもずっと肌はずっと白かった。

 さすがに元アイドルだけあって容姿は整っている。惜しむらくは笑う気配が感じられないところだろう。

 僕は斎庭リエの左右に立つ男たちを交互に見遣る。彼女と一緒に入ってきた連中だ。どちらも体格に恵まれていて、信者服の上からでも肩が厳つく尖っているのが分かる。

 いざとなったら取り押さえる役なのだろう。


 船越はというと斎庭リエと入れ替わりでソファから立っている。ガタイのいい信者たちに何やら目で合図して「あとは頼みます」と応接室から出て行ってしまった。

 さて、どう切り出したらいいものか。

 自分がやや気圧されているという自覚はあった。だって、いきなり対面になるなんて想像していなかったんだから。


 川岸涼太が自殺したことで、他のカウンセラーを呼ぶか、あるいはインタビュー自体が取りやめになると踏んでいたのである。もし後者であれば新咲ユリが「施設を見学したい」と言い出す予定だった。そうすれば館内が偵察できたのだが……


 骨折したフリからはじめた一連の作戦だが、予想していた効果とは無関係に最大の目的を達してしまった。なんとも骨折り損……いや、僕の手は折れていないけどね。

 まず息を深く吸って呼吸を落ち着ける。


「今までタブレットPC越しだったのが、いきなり顔を合わせて緊張してます。えっと、こちらはアシスタントをしてくれる新咲さん。ドジを踏んで骨折してしまいまして、しばらく雇うことにしました」


 ギプス付きの腕を振ると、斎庭リエの口元が僅かに緩んだ。

 かといって心配の声はなく、小さく頷いただけである。

 本当にこの女性が豹変して暴れ出すのか疑わしい。それくらいの大人しさだった。


「前回は斎庭さんの幼少期をお伺いいたしましたね。続きからでよろしいでしょうか?」


 問いかけに無言で頷いてくれる。

 決して喋れないわけじゃない。けれど本当に必要がなければ声を出そうとはしなかった。

 つまり、YESかNOで答えられる質問では首を縦に振るか横に振るかで済ませてしまう。


「デビューは17歳の時でしたね。そのころは学生だったと思いますが、芸能界に入ろうと思ったキッカケは何だったんですか?」

「……憧れていたから」

「憧れですか。それは業界にということですね」


 目を伏せて首を横に振った。動作はゆっくりとしているものの、反応自体はすこぶる早い。声が抑揚に乏しく、表情も薄いので内面は読み取れなかった。

 一方で新咲ユリはメモを取る様子もなく、未だに部屋の内部に視線を巡らせていた。仕方ないので「新咲さん、メモとって」と促すと、慌ててボールペンを取り出して会話を記録し始めた。

 しかし、斎庭リエはなかなか次の言葉を発しない。視線を床に向けて身体を小さくしている。

 なんとも気まずい沈黙が流れるも、僕は辛抱強く待った。その間に可能な限り相手を観察して反応がもらえそうな問いかけを探る。

 

「アイドルに…… 憧れていた?」


 コクンと首を縦に振り、今度は僕の目を見てきた。虚穴みたいな黒目は言語以上の何かを訴えようとしている。その横で休めのポーズをとっていた信者服の男の腕が微妙に動いた。いつでも押さえに入れるように構えている。

 まずい。中断されそうな雰囲気だ。

 もしかして、暴れ出す兆候なのだろうか? 川岸はそのタイミングを見切っていたという。見た目から判断できるのであれば、煌煌館側に情報は共有されていて然るべきだ。


 たっぷりと10秒、僕は斎庭リエと見つめ合っていた。視線を外したら飛びかかられるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしている。お互いに声は発していない。

 斎庭リエは人差し指で額を真横に撫でた。それからさらに10秒が経ち、脱力したようにソファにもたれかかる。


「でもアイドルになれなかった」


 元アイドルは袖で目元を隠す。僕には感情が篭っているように感じられた。

 自嘲とも取れる否定を、僕はさらに否定してやる。


「ちゃんとアイドルでした。テレビの前の大勢を楽しませたんですから」


 安っぽい慰めだったかもしれない。壮絶な体験をした人間に何の効果もないかもしれない。しかし、僕は自分の意見を伝えた。

 斎庭リエはアイドルに憧れて芸能界入りをし、事務所の方針で『奇食ハンター』として世界各地に飛んでゲテモノ料理を食べされられていた。本人が望まぬ方向とはいえ、それで名前を売ってから活動を広げていく計画だったという。


「あなたは、どうしてに取材を?」


 まるで自分のことを俯瞰しているような言い草である。先ほどとは別種の感情が垣間見えた。彼女の内面が複雑にスライドし、混ざり合っているのが想像できる。


「興味があったからです」

「人間を食べたことに?」

「正確には、亡くなった方を食べてまで生き延びようとした理由に興味があります」

「……」


 また沈黙モードに戻る。こんな感じでインタビューは遅々として進まなかった。

 しかし、これまでで最長記録を更新し続けている。少なくとも斎庭リエが芸能界に入ってからの心境を聞くことができている。

 もう少し時系列に沿って質問を進めれば、一番の問題となるキルレシアン航空211便墜落事故のことが訊ける。

 そう考えた矢先……


 部屋の外からガラスの砕ける音と、大きな悲鳴が聞こえた。

 同時に野太い男の声が響く。

 応接室に居た4人は一斉にドアの方を振り向く。ただ一人、斎庭リエだけは袖で顔を覆ったまま微動だにしなかった。


「何事だ!?」


 筋肉質な白服の男のうち、ドアに近い方が状況を確認しに通路の方へ走る。

 その瞬間だった。斎庭リエは1秒前まで座っていたのが嘘のように、身体をバネの如く跳ね上げ、後を追って駆け出したのである。


「なっ……」


 もう一人の白服の男は慌てて手を伸ばすが空振り。

 確認に向かった男は背を向けていたため、背後から斎庭リエの飛び蹴りを喰らって前のめりに倒れてしまう。

 猫科の猛獣を連想させるしなやかな動きを目にした僕は言葉を失った。

 僅か数歩の踏み込みで加速し、ドアを小さく開けてスルリと間に滑り込むとすぐに閉める。慌てて追いかけた男はそのせいで時間をロスした。

 僕と新咲ユリも急いで応接室を出て、逃げ出した斎庭リエの後に続く。

 ここは3階だ。もしも建物の外に出るつもりなら右手の階段へ走る筈。


 しかし、通路に出た瞬間、目にしたのは想像をはるかに上回る光景だった。

 応接室の前の通路の先は吹き抜けになっている。下にはエントランスがあった。

 斎庭リエは胸の高さまである金属柵に足をかけ、そのまま飛び降りたのである。


「嘘っ!? 3階ですよ、ここ!」


 信じられないといった声をあげる新咲ユリ。僕も全く同意見だ!!

 自殺でもするつもりか!?


 柵から身を乗り出して下を確認する。

 真っ赤な華がエントランスに咲いて……はいなかった。

 白服をはためかせ、斎庭リエは着地と同時に前転をして衝撃を殺したのである。

 3階から飛び降りるなんて予想できた者はいない。止めに入った白服の男はしばらく硬直した後、階段の方へと走って行った。


 エントランスとはちょうど真逆の方向、つまりは建屋の奥からは再びガラスの割れる音が聞こえてきた。

 けれど僕はそちらの様子を確認する気なんて一切、起きない。


 斎庭リエはとにかく素早かった。

 受付の女性が固まっている横を擦り抜け、たまたま玄関あたりにいた信者の群れを姿勢を低くしてスルーし、外へと逃げていった。


「えっ…… なんですかあの身体能力?」

「ろくな装備も無しに4,000メートルの雪山を下山したんだ。運動神経がいいのは想像できたけど、あれはちょっと次元が違うね」

「眠そうにしていた人の動きじゃないです」

「僕もそう思う」

「鏑木さん、呑気なこと言ってる場合じゃないですよ。どうするんですか、取材対象が逃げ出しちゃいましたけど」

「とりあえず船越さんを探して報告を。それから追わないと」

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