第7話 接点
僕が
G県の県庁所在地にあるAホテルのロビーに
ちょうどタクシーがフロントの入り口から去って行く。あれに乗って来たのだろうか。
僕はソファから立ち上がって羽間に手を差し出す。彼は40過ぎといった風貌だったが朗らかな雰囲気の持ち主で、堅苦しく名刺を交換するよりもこうした方が好印象が得られるのではないかと直感したからだ。
羽間はやや戸惑ったように握手を返してくれた。
「フリージャーナリストの
「羽間伸二です、どうも」
互いに座ってから、羽間は周囲を気にしたようだ。
離れた場所では談笑するビジネスマンらしきグループがいて、フロントと入り口にはホテルの人間が仕事をしている。
他にも数名がちらほらと見えた。
「今日はお時間いただきありがとうございます」
「いえ、わざわざ東京からお越しになったそうで。新幹線ですか?」
「レンタカーを借りました。この後、他の場所にも用事があります」
「そうですか。田舎なので電車じゃ不便ですからね」
ひとしきり他愛のない会話をして緊張を解すつもりだろう。
僕ではなく、羽間自身の緊張を。
取材を申し込んだが、敢えてホテルのロビーを指定してきたということは他人に聞かれても差し障りのない話しかしないつもりかな?
「早速ですが……」
「
「はい。芸能界デビューして、あなたが最初のマネージャーだったと聞いています」
「それは構わないのですが、どうやって私の連絡先を知ったのですか? とっくに事務所を辞めてしまったというのに」
「丹念に調べました」
「それは、それは」
答えにもなっていなかった。羽間はやや苦々しそうに笑っている。
ハジメさんに訊くまでもなく他のルートから彼の連絡先は割り出している。
「親の病気の面倒を診るために地元に帰ってきたんです。今は芸能界とは何の関係もない、地方企業の裏方ですから。大した話はできませんよ」
「あの事件のことはご存知ですよね?」
「はい。ですがあれは事件じゃなくて事故だと個人的に考えています」
「そういった考えに至った理由があるわけですね」
「もちろん。鏑木さんはその部分をお聞きしたいのでは?」
「おっしゃる通りです」
口調から強い意志を感じる。
顔を合わせたときよりも語調が強い。
下手に事件と呼ばない方が良さそうだ。
「あの事故よりも前の、斎庭リエさんのことを教えてください。羽間さんの感じた印象でも構いませんし、実際にあったエピソードでも構いません」
「その前に約束は守っていただけますよね」
「お聞きした内容から悪印象を与えることは書きません。誓います」
「ぜひお願いします。世の中は、リエに強く当たり過ぎました」
年齢が離れているからだろうか、羽間の口調からは父から娘へ向けているような印象を受ける。
そこからは彼女が芸能界入りしてからの貴重な話が聞けた。
身体能力とガッツは人並み以上だったらしく、それを売りにバラエティ中心に活動していく方針をとったそうだ。
「優れたルックスの子は次から次へとこの業界に入ってきます。ライバルは無制限に増えていく。視聴者は新しいものが好きだ。そういった中で生き残るためには他にないアピールポイントが必要だったのです」
「それが『奇食ハンター』だったと」
「その通りです。初期の印象というものは後までついて回りますが、払拭できないわけじゃありません。奇をてらったキャラから始めて、人気が出て落ち着いたら芸風を変える……そういうふうに説得しました」
「髪の毛をピンクに染めて、メイド風の衣装を着せるというのもその一環ですね」
「はい。リエ本人は動きにくいからと嫌がっていましたけどね」
事務所側の目論見は成功したと言える。
斎庭リエはバラエティ番組のいちコーナーに出演し、人気を得ている。
「ロケは海外が中心です。絵面のギャップもウケたのでしょう。私は1年経たず退職したので初期のリエしか知りませんが、その後もずっと番組を見て応援していました」
「活躍する姿を見て、どう感じましたか?」
「不安でしたね。恥ずかしながら親心のようなものが芽生えてしまって。やることはどんどん過激になっていきます。最初はせいぜい外国の都市部や悪くても農村で撮影していたものが、そのうちスキューバダイビングやら登山やら始めましたからね。肝心の奇食部分も、モザイクかけてまで放送するようなシロモノまでありました。私の担当の頃では考えられなかった」
「……番組方針でしょうか?」
「おそらく事務所の方針もありますね。風の噂ですが、奇食ハンターシリーズを完結させて別の企画を始めようとしていたそうです」
「彼女の精神面でのサポートはあったのですか?」
「私が担当している間に一度、鬱のような状態になったことがあります。これは芸能ニュースにもなったので鏑木さんもご存知でしょう。そのときは都内の心療内科に通っていました。2ヶ月ほど休養させました」
今も川岸涼太のカウンセリングを受けているわけだが、それは黙っておく。
羽間も想像していないだろう。同じ県内に斎庭リエがいるだなんて。
「リエは基本的に真面目で努力家です。普段の体力作りはもちろん、海外ロケに行く前はその国の文化や風土をわざわざ調べていました」
「ロケで自分が食べる料理が気になったのでしょうか?」
「食事に対する敬意を忘れていないからです。仕事とはいえオーバーリアクションで食べなければいけないわけです。リエの実家は青果店だったので、食べ物の扱いに厳しい家庭で育ってそうなったのでしょう」
「そういえば、番組でどんな料理が出てきてもちゃんと食べていました」
「感想を喋るための語彙も勉強していてね……グルメ漫画を参考にしたそうです」
懐かしそうに喋るものだ。
それだけ情が深いということだろう。
テレビの裏側にあった斎庭リエの顔を知ることができたのは大きなプラスである。
あの事件のせいで、こういった好意的な意見は世間に伝わらなくなってしまった。
もしかしたら羽間が取材を受けてくれたのも、僕の記事にプラスの面を期待したからだろうか。
「鏑木さん、私からも聞いてよろしいでしょうか?」
「僕に? えぇ、構いませんけど」
「以前に殺人事件の解決につながるような記事を書いておられましたね?」
「あぁ……あれは、たまたまです。僕の知り合いに探偵気取りがいて、そいつが情報を整理しただけですよ」
「そうですか」
意外なことを聞かれて驚いてしまった。
ふと、安楽椅子探偵の顔が浮かぶ。
あの子には余計なことは教えていないから今回は心配ないだろう。
それからも羽間は楽しそうに斎庭リエのことを語ってくれた。僕としては記事にするネタが増えて非常に喜ばしいことだった。
ひとしきり取材が終わり、そろそろいい時間となる。
「今日はありがとうございました」
「いいえ。このくらいであれば。あ、そうだ」
「?」
「私が親の病気の面倒を見るために地元に戻ったことは話しましたよね」
「はい」
「こっちに来てから何度か、リエから連絡をもらっていました。新しいマネージャーとうまくいきそうだと」
「……それは、
「えぇ、そうです」
羽間はポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見せてくれる。
写っていたのはポーズを決めるピンク髪の斎庭リエと、その隣に立つ無個性な若い男だった。
「これもまた心配でした。まるでカップルの自撮りみたいに見えてしまって」
「二人が付き合っていたということは?」
「さぁ、どうでしょう。事務所の方針からすればアウトですからね。ただ私としては可能性があったと思います」
「なるほど。ちなみに羽間さんは、与野村誠さんともお知り合いですか?」
「年は離れていますが後輩という扱いになります。面識もありました。ただ、あまり良い評判は聞きませんでしたね」
「……と、言いますと?」
「与野村くん、大学時代から宗教をやっていたみたいなんです。同年代の社員を勧誘してトラブルを起こしたことがありました。勿論、社内では禁止行為になりましたよ」
「その宗教というのは、どんなものです?」
「えぇと確か……
あぁ、繋がってしまった。
僕は表情に出ないようにするのに自制した。
飛び上がりたい気持ちを押さえ、タクシーで帰る羽間伸二を見送る。
ホテルのロビーには戻らず、駐車場へ出て借りていたSUV車に乗り込んだ。
ハンドルを握る手に汗が滲む。
ノートパソコンを取り出し、膝の上で操作して1枚の写真を取り出した。
さっきの無個性な若者の成れの果ての骸骨が写っている。
額から上のあたりがぱっくりと欠けていて、眼窩にもヒビが入っていた。
彼は斎庭リエに食われた中のひとりだった。
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