第5話 安楽椅子探偵、新咲ユリ
あれから2回ほど
計3回。交わした言葉を全部並べても作文用紙1枚に届かない。
僕は取材の効率の悪さに苛立つよりも、もっと前向きに考えようと努めていた。
まず斎庭リエの姿だけど、派手なピンク色だった髪の毛は黒く染め直されている。あれはテレビ用のキャラ作りだったから当然だろう。
服装も
テレビに出ていたときより明らかに痩せていて輪郭はほっそりとしていた。目の光も弱くて、気力を感じなり。
別に貶したいわけじゃない。僕にはそう見えてしまった。
つまり、奇食ハンターなるキャラクターを演じていた頃とは別人なのだ。
ついでに言えば青果店を営んでいたご両親も一緒にいるそうだが、その姿は一度も見ていない。
ハジメさん曰く、カマボコみたいな形の宗教施設内にいることは間違いないそうだ。
川岸涼太に関しては、実際にあったときに口走った「あんたも」というのがやはり引っかかる。
僕以外に誰か接触をはかっているのだろうか?
けど、世間とは希薄なもので斎庭リエの事件への興味は日を追うごとに薄まっている。
プロモーションに関わっていた企業がイメージ悪化を避けるため、メディアに話題を載せないように根回ししているとの噂があった。それでも悪辣な週刊誌が時折つついているものの、ネタが無いのかでっち上げに近い記事しか載らなかった。
いや、冷静に考えると嗅ぎまわっていたのってハジメさんかな。情報源として信頼はしているけど、どんな手段を使っているのかは言及していない。
こちらの関係性が見えていない川岸からは、僕とハジメさんは別々の勢力に見えるだろう。
本質ではないからあまり深く考えない方が賢明かな?
「そもそも、なんで煌煌館なんだろう」
根本的な疑問が浮かんでしまい、ポツリとつぶやいた。
何かしらの縁があったとは推測できる。けれどもしも隠匿がバレたら、煌煌館としても面倒なことになるのは目に見えていた。
国家転覆のためのテロを行なった新興宗教団体は記憶に新しい。件の連中と煌煌館は無関係ではあるものの、人によっては同じ穴のムジナだと考えるだろう。
そういった分別を付けず揚げ足を取るのがマスコミのやり方であり、一般大衆の安らぎでもある。
斎庭リエの事件は不起訴となった。
けれども彼女を恐れている滑稽な連中は非常に多い。
その恐怖は宗教的信念ならまだいいが、漠然とした不安に根ざしたものが殆どだ。
つまりは匿っていることが分かれば、真の意味で倫理観に欠けた人間たちの攻撃目標となってしまう。
そんなものを天秤にかけてなお斎庭家に協力するメリットがあるに違いない。
もしかしたら、支部長の船越の独断という可能性もゼロではないが……
ダメだ、余計な考えがグルグル巡っている。
僕はキーボードから指を離し、大きく伸びをした。
作業中、だいたいはカフェインを摂取しているから仕事道具を広げるのは自宅兼オフィスか、コワーキングスペースだ。
現在は後者にいる。ノマドワーカーたちの味方たるこの場所はよく利用している。
3時間滞在しても数百円で済むし、ネットも完備されていてフリードリンクまである。周囲には原稿に追い立てられて青い顔をしている人間がたくさん。
この中にいると妙な安心感を覚えるのだ。
白基調のデスク横には観葉植物が置かれていて、向こうには雑誌の並んだラックがある。
集中力を切らして現実逃避していると「
すっかり知り合いとなってしまった、ここのアルバイトスタッフである。
だいたいは受付カウンターに陣取って読書をしているのだけれど、たまに室内を見回りするのだ。
名前は新咲ユリ。小柄でなかなか可愛らしい女性である。なお、ブレザーの学生服の上にエプロンをあてがった奇妙な格好をしていた。
それもそのはず、この子は高校生である。聞いたところによるとここのオーナーの娘さんだそうだ。
「あぁ、ちょっと考え事をね」
「いつになく真剣な表情でしたよ」
「僕はいつだって真剣さ」
新咲ユリはからかうように笑ってみせた。
このコワーキングスペースの看板娘だけあって人当たりも良い。
中には彼女を目当てに通っている不埒なライターもいるとのこと。
「そういう新咲さんはさっき何を読んでいたの? 真剣な顔だったよ」
「私ですか? 今日はちょっとしたミステリを」
「へぇ。他人にオススメできる感じかな?」
「羊肉を調理してくれるお店の物語ですよ。結構、面白くて」
あまり深く聞かない方が良さそうだ。新咲ユリが読んでいる本は、僕が記憶している限りではジャンルも作者もバラバラだった。
それとなく会話の裾野を広げようと思っただけで、ぐいぐいと食いつくつもりはない。
「飲み物、持ってきましょうか?」
「セルフサービスじゃなかったっけ?」
「何にします?」
「えっと、水がいいかな」
こちらの指摘は受け流し、ちょっとだけ落胆したような顔をして新咲ユリは紙コップに水を注いできてくれた。
僕はチビっと口をつけてから原稿に戻る。しかし、新咲ユリは自分の仕事場へ戻ろうとしない。
カウンターに座って受付をして対価を得ている筈なんだけど。
「仕事しなくていいの?」
「お客さんが来たらカウンターに戻ればいいだけですし」
「確かに」
思わず同意してしまった。
新咲ユリはそそくさと背後に回ってきて、興味深そうに僕のパソコンを覗き見してくる。
反射的にパタンと閉じて、わざとらしくため息を吐いた。
「ダメダメ。新咲さんには見せられないよ」
「えっちな写真でも見ていたんですか?」
「違うよ」
「じゃあグロ写真とか? 内臓が飛び出ている系の」
最近の若い子は平気でこういうことを口に出すんだよなぁ。
とはいえグロ画像というのは当たりである。資料的な意味で保存してあるファイルだ。
僕の反応の仕方がまずかった自覚はあるけど「やっぱりグロいの見てたんですね」と指摘されてしまった。
感が鋭いもんだな……
「殺人事件とか?」
「首を突っ込もうとしちゃダメだって。あと、僕の反応を探ろうとしないでくれ」
「以前、私の推理が役立ったことあるじゃないですか」
「それは認める。でもね、取材対象のプライバシーに関わる問題なんだ。それに殺人事件じゃないよ」
困ったことに、この子は安楽椅子探偵を気取る。このコワーキングスペースで受付係をしながら。
ほんの半年前だけど、僕が興味本位で探っていた殺人事件の犯人をこの子は言い当ててしまった。偶然でしかないが、その件で妙な自信を持ってしまったのも事実である。
「ヒント。ヒントだけでいいです」
「そんなこと言ってもダメ」
「じゃあ、えっちな画像を見ていたという理由でここを出禁にしてしまいますよ」
「横暴だなぁ」
「減るもんじゃないですし、いいじゃないですか」
なんともまぁ、恐ろしい子だ。
オーナーの娘だから実際に出禁にすることも可能だろう。
僕としては希少な仕事場のひとつを失いたくはない。ここでの作業が自宅より捗ることは多々ある。
「ある事件の加害者と面会したいけど、パソコン越しでしか許可が出ない。せっかく面会を始めても医者を名乗る男が現れて『患者の体調が悪い』とすぐに面会を中断されてしまう。こんなとき探偵さんならどうする?」
ものすごく端折った内容を伝えてやると、新咲ユリは顎に手を当てて考え込む仕草に入る。
こんなざっくりしたことでは推理なんてできないだろう。
それに僕がやりたいのは探偵役を追いかける狂言回しじゃない。
あくまで斎庭リエの取材で、あの事件のことを書きたいのだ。
「う〜ん、鏑木さんがユニークな回答を求めているなら答えはこうです。面会が始まったら敢えて何もしない。喋らない」
「何もしなかったら、何も分からないでしょ」
「いいえ。わかりますよ。少なくともその加害者の体調が悪くなるのは、時間経過のせいなのか、面会のせいなのか、それとも医者が単に意地悪をしているだけなのか」
妙案が出てしまった。
確かにそうだ。
僕が黙って何もしなければ、川岸には止める口実が無くなるかもしれない。
取材であれこれ聞くのが負担になるというなら敢えて何も聞かないまま放置してみるのもアリか。
いやいや、流石にこんなアイデアはダメだろう。
「分かった。一応、試してみるよ」
「ということは今のは作り話じゃなくて本当に誰かと面会できなくて困っているんですね」
「あ」
あっさり墓穴を掘ってしまった自分が恨めしい。
年下の女の子が相手だからって油断し過ぎだ。
気を付けようと悔やみつつ、僕は新咲ユリを追い払って次の取材のアポイントを取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます