第4話 川岸涼太の仕事
職業倫理というものがある。フリージャーナリストたる僕の場合でも、取材や寄稿に当たっていくつかの暗黙のルールがあった。
同業者が全てこれらのルールを遵守しているかというと全くそうではない。社会のために書く人間もいれば、目先の小銭に目が眩んで書く人間もいる。
名前が売れれば本を出すなり、講演会をするなり、様々な収入が得られるのだ。この辺りのキャリアプランを組んで狡賢く立ち回る者は多い。
さて、相手の立場に立つというのも職業倫理には必要不可欠なことだ。
敵を作って、ストレスを作って、いずれは立ち行かなくなって自滅する。そんな道はまっぴらだから僕は相手の立場に立つようにしていた。
G県の江南クリニックと契約雇用している川岸涼太のケースで考えれば、カウンセラーとしてクライアント(患者ではなくこう呼ぶのが正しいらしい)のプライバシーを守るのは当然持つべき職業倫理である。
一昨年に奥さんと離婚した彼の収入状況を鑑みれば、金で懐柔するのはそう難しくない。
けれど僕は相手の立場を考えた。カウンセラーとしての倫理観に葛藤する川岸涼太を見たいとも思わないし、僕が取材したいのは
だから必要以上に怯えさせるなんて論外である。
それでも江南クリニックの近くで待ち伏せして、川岸涼太の帰り際に声をかけた。
ちょうど駅が近く、バスが連なるロータリーとアーケードの商店街は地方都市にしては賑わっている。
その喧騒の中で川岸は小さな悲鳴を上げた。
「警戒しないでください、という方が無理ですよね。お目にかかるのは2度目だと思いますがあらためて自己紹介を。フリージャーナリストの
「どうして、ここが?」
四角い顔を引き攣らせ、川岸はごもっともな質問をしてくる。
安っぽい黒のブルゾンでリュックサックを背負っていた。これが通勤姿なのだろう。
ともあれ、この反応ということは僕の顔は覚えているらしい。
タブレット越しにこちらをうかがっていたのは明白だ。
「立話では無粋ですし、あそこの喫茶店にでも入りませんか?」
「……俺が担当しているクライアントのことで?」
周囲には人通りがある。迂闊に斎庭リエの名前を出したくないのが伝わってきた。
僕は「あなたのことです」とだけ告げ、渋る川岸を手で促す。すると彼は目を背けながらも喫茶店に入ってくれた。
駅前では珍しい個人店で、どこか時代に取り残された作りである。
1番奥の席についてコーヒーを2つ注文する。あたりには香ばしい香りが漂っていて、落ち着くにはちょうどいい場所だ。
生憎と僕はカフェインさえ摂取できればその出元や経過は問わないので、缶コーヒーでもドリップコーヒーでもありがたくいただくことにしている。
川岸はキョロキョロとあたりを見回していた。
店内には僕たち以外にも客はいるが、大抵はサラリーマンか学生である。何をそんなに気にしているのだろう。
「鏑木さん、あんたは俺のクライアントに取材を申し込んだ人だろう?」
「そうです。覚えていてくれたんですね」
「プライバシーを守る義務がある。何も話せないぞ」
「最初に言った通り、彼女のことを聞くつもりはありません」
僕も面倒は嫌だったので、斎庭リエの名前は出さない。これだけテクノロジーが発達した時代だ。
他愛のない会話ですら、興味本位でスマホに録音する奴がいるかもしれない。
あるいはちょっとした話題を耳に入れてSNSで拡散する可能性だってある。
用心はいくらしておいてもいいだろう。
「川岸涼太さん、あなたはあの施設に出入りしていましたね」
「あの施設ってのは……」
「白い
「あんたには関係ないだろ」
注文したコーヒーが出された。川岸はブラックのままカップへと口をつけ、こちらを見ようとはしない。
読み取れるのは焦りだった。僕が現れたことにかなり動揺し、汗まで垂らしている。
「あの施設で働いていることは職場には内緒なんですね」
「っ!」
当てずっぽうだったが、図星らしい。露骨に反応してしまっている。
雇用契約のカウンセラーというのは複数の契約先を持っていることがしばしばあるそうだ。
しかし、これでは僕が脅しているみたいで居心地が悪い。そもそも川岸のデータを渡してきたのは情報屋のハジメさんである。もしかしなくても、彼の契約先くらいは把握していたのだろう。
「すいません、脅すつもりはないんです。ただ話を聞かせてほしいだけです」
「そう言って、あんたも彼女を嗅ぎまわっているじゃないか。……ったく、どこから情報が漏れたんだ?」
「情報源はお話できないんです。川岸さんがクライアントのプライバシーを守るのと同じで、僕も情報を提供してくれた方のことは教えられない」
「ふん。おおよそ
忌まわしそうに吐き捨てている辺り、待遇に不満があるようだ。
いや、待て。それよりも引っ掛かる部分があった。
「待ってください。『あんたも』ということは他に、僕以外に誰かコンタクトを取ってきたんですか?」
「……あんたには関係ない」
現時点で、川岸涼太が斎庭リエのカウンセリングに関わっていることを知っている者は多くない。
煌々館の人間とハジメさんと僕くらいだろう。それならハジメさんが他の誰かにも情報を流したのだろうか。
となると、僕は一番槍でないことになる。ハジメさんに限って言えばそんな不義理を働くとは思えなかった。
川岸の口ぶりからすると、斎庭リエを匿っている煌々館も一枚岩ではなさそうだ。
「話を戻しましょうか。クライアントのことは話さなくて結構です。川岸さんがこの件に関わったきっかけを教えてはくれませんか?」
「それも職業上の機密に当たるんだよ。少し考えれば分かるだろ」
「僕は煌々館を経由して正式に取材を申し込みました。支部長の船越さんとも話をさせていただきました。カウンセラーが止めない限りは、彼女と話をしてもよいと」
「クライアントの状態は危うい。すぐに止めて当然だ」
「川岸さんは最初から取材を受けることに反対だったのですね」
「当たり前だろう」
「それでも取材を許可した。ということは、彼女かご家族の意志があった」
「……」
読みやすくて助かる。川岸の機嫌はどんどん悪くなっていったものの、怒って帰ろうとしないだけありがたかった。
「直接顔を合わさず、タブレットPCを介するというのも川岸さんのアイデアですね」
「だからどうした」
「あの施設の中に、彼女はいないのでは?」
「ノーコメントだ。もういいか? これ以上、話すつもりもない」
「最後にひとつ。あなたが誰に雇われてあの施設に行っているのかは聞きません。ですが、あなたが彼女の担当カウンセラーに選ばれた理由はなんですか?」
「あんたはカウンセリングする人間が全部同じだとか勘違いしていないか」
「いえ、そんなことは……」
「個々にやり方がある。経験だって違う。クライアントの相性も。それに専門だって」
「分かりました、本日はありがとうございます」
深々と頭を下げると、川岸は舌打ちして出て行こうとした。
その最中に向かって僕は「江南クリニックにはこのことを言いませんから」と付け加えておく。
これで安心してくれるほど彼は安易でないだろうけど、約束を破る気は一切なかった。
「やり方、経験、相性、専門……」
復唱しながらこっそり回しておいたボイスレコーダーをOFFにする。あとで川岸の喋ったことをまとめておこう。それほど有用な情報は得られなかったけど。
コーヒーはすっかり冷めていたけど、カフェインさえ取れれば文句はなかった。口の中に広がる苦味でふと閃く。
「経験に、専門?」
想像してゾッとし、口元に手を当てる。
カウンセラーとして、川岸涼太が選ばれた理由。
まさか……彼は人喰いをケアした経験があるのでは?
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