第2話 煌煌館
事件後、生きて帰国した
マスコミの執拗な追跡と世間からのバッシングを考えれば当然のことだろう。
彼女の実家は青果店だったが、事件後すぐに廃業に追い込まれている。僕は真っ先に取材へ向かったもののシャッターは閉じられ、その上にスプレー書きで『人喰い』だの『出ていけ』だの分かり易い中傷の言葉が並べられていた。
確かに彼女は極限状況の中で人肉を食したわけだが、彼女のご両親はそのことに関係していない。
事務所に押し付けられた(というのが専らの噂だ)『奇食ハンター』なるキャラクターを忠実に遂行し続け、その仕事の途中で凄惨な事故に遭い、結果としてそうなってしまっただけである。
そこから先はどうにかルートを作って斎庭一家の足取りを掴み、『
G県の山間にある団体施設に親子揃って隠れていると知った僕は早速、取材を申し込んだ。『
東京からはクルマで3時間かかる距離だ。
すぐにレンタカーを借り、念のため親しい友人には行き先だけを告げ、G県にある施設へと向かった。
人里離れた場所に『煌煌館』の支部があるわけだが、なるほどここなら世間から身を隠すにはもってこいかもしれない。
日本人の多くは宗教アレルギーを持っているため、進んで近づこうとする者なんていない筈だ。
ただし白亜の建物の第一印象は厳かな雰囲気から遠く、正直に述べればかまぼこに見えてしまった。
デザインした人間には申し訳ないが、円柱を縦に切って倒しただけで面白みがない。
剥き出しになった茶色い地面が巨大なかまぼこ板かと錯覚してしまう。
かなりの大きさがあったものの、交通の便の悪さを差し引いても駐車場が小さい。つまりはここにクルマで訪れる必要はないということだ。
門には警備員がいて、取材であることを告げて通してもらった。
クルマを停めてエントランスに入ると3階まで吹き抜けになっている。採光用の窓からは光が差し、白基調の壁や床のおかげで明るかった。ただし、度を超えて……と注釈をつけておく。
「すいません、取材の約束をした
「
受付にいたのは、白い服を着た若い女性である。『煌煌館』の信者だろう。
内線電話で何か話していると別の女性が現れて奥へと案内される。館内では同じように白い服の人間とすれ違った。
「今日はどちらから来られたのですか?」
「東京です。3時間くらいでしょうか」
「お車で?」
「はい。駅からこの施設まで遠かったもので」
案内人と当たり障りのないやりとりをしているうちに応接室に通された。
向かい合ったソファと低いテーブルがある。壁には白い服の人物の写真が何枚か掲げられていた。それぞれ別人で、どうやら『煌煌館』のお偉いさんたちらしい。
座るように促され、お茶も出された。だが口は付けないでおく。
そうして5分ほど待っていると「お待たせしました」と壮年の男が入ってきた。
白い服だが襟元には金色の刺繍がしてあった。壁の写真に写っている人たちと同じだ。どうやら一般信者と区別するためのものらしい。
背が高く、頭髪は灰色だ。全体的に痩せていて眼窩と頬が窪んでいる。しかし柔和な笑みを浮かべており、一見すると優しい人物のように思えた。
「当支部の支部長の船越と申します」
「鏑木です。本日は取材の機会をいただきありがとうございます」
名刺を差し出すと、船越と名乗った男も名刺を出してきた。
新興宗教団体でもこのようなビジネスマナーが成立するのは意外だった。
他愛のない話題を振って軽く緊張を解し、お互いの口数が減ったところで本題へ移る。
「要件は事前にお話しした通りです」
「
「はい。この施設に身を寄せているとうかがいまして」
「私にはそれが不思議でなりません。どこからその情報を入手されましたか?」
「すいません、業務上の秘密ですので……」
「あなたは独占的に取材がしたいわけですね。だから騒ぎ立てることなくコンタクトをとってきた。今は詮索いたしません」
「斎庭リエは『煌煌館』の信者になったのでしょうか?」
気になるポイントは聞いておく。
僕が調べた限り、事件以前の斎庭家と『煌煌館』に接点はない。となれば誰かが仲介したか、あるいは『煌煌館』側から接触したかのいずれかだ。
船越は目を閉じて首を振り「違います」とだけ答える。
「彼女のご両親も信徒ではありません。あの悲惨な事件があって、身を隠す場所が必要となりました。それだけのことです」
「……そうですね」
「世間は冷淡が過ぎます。あのような試練の中で人としての正道を決めるのは困難だったでしょう」
「つまり、斎庭リエの行為を肯定していると?」
「あくまで私個人としては『同情の余地がある』と考えているだけです。『煌煌館』としての意見ではありません」
「取材の条件はメールでやり取りをした時と変わっていませんよね?」
「はい。カウンセラーの方に立ち会ってもらい、斎庭さんの気分や体調が優れなければ中止していただきます」
「わかりました」
「これもまた私個人の興味なのですが、鏑木さんは斎庭さんの正当性を立証しようとしておられるのですか?」
「難しいところですね。現代社会では食人は忌避されています。それでも僕は、彼女自身の考えや気持ちをきちんと世に発信するべきだと考えています。その手助けがしたい」
「マスコミというフィルタはそれを歪めます」
「そうならないように努めます」
「では、こちらへ」
応接室から出て、船越の後に続く。今度はエレベータで3階まで上がる。
ちょうどエントランスが見下ろせた。天井はガラス張りになっていて、灰色の雲が流れている。
これから雨が降るのだろう。山の天気は変わり易い。
「変わった名前の部屋が多いですね」
「信徒たちが修行に励む場所です。意味があっての名前ですね」
「なるほど」
だいたいの部屋が漢字三文字のネームプレートが掲げられていて『発光間』とか『回顧間』だとか書かれている。
中には人の気配はなく、通路でも誰ともすれ違わなかった。
僕と船越の足音だけがやたらと響いている。
「こちらです」
「船越さんは?」
「私はカウンセラーではありません。外で待っています」
部屋の名前は『煌魂間』となっている。スライド式のドアを開け、中へ入るとカーテンが閉じていて暗かった。
広さは5メートル四方といったところで、中央にはテーブルと椅子が置いてある。
しかしここも人の気配がしない。
斎庭リエもいないし、カウンセラーとやらもいなかった。
その代わり、テーブルの上にはタブレットPCがあった。
通話アプリが立ち上がっていて、画面の向こうでは白い服の女性が座っている。
察した僕は椅子に座ってタブレットを挟んで、その女性を向き合った。
これまで画面を通してしか見たことがなかった『奇食ハンター』はすっかり様子が変わっていた。
髪の毛は黒く染まっていて、視線は下を向いている。白い肌は生気がない。メイクをしていないから印象が根底から違っているが、それ以上に纏う空気が異質だった。
けれども間違いない。
「斎庭リエさん……ですね?」
タブレットPCの向こう側にいる女性は黙ったまま小さく頷いた。
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