奇食ハンター、斎庭リエはなぜ人間を食べたのか?

恵満

第1話 あなたは生き延びるために人肉を食べられるか?

 およそ80年前、人類史上もっとも多くの死者を出した戦争の最中、群を抜いて惨たらしい『レニングラード包囲戦』が勃発した。

 市街地の殆どをドイツに占領され、外部からの補給を断たれたレニングラードの市民は尋常ならざる飢えに晒されたのである。

 食料の配給は日を追うごとに減らされ、汚物を混ぜてカサ増ししたパンが配られ、動物性由来のモノであれば靴だろうが鞄だろうがなんでも口にしなければならなかった。

 数えきれぬほどの人間が息絶えていく中、残された者が命を繋ごうと屍体へ手を伸ばしたことは想像に難くない。

 実際、街中では包囲されているにもかかわらずどこから仕入れたのか分からぬ肉が調理され、売られていた。

 900日に及ぶ戦いの末、赤軍が勝利するとこれらの禁忌を犯した者は厳正に処分されたという。


 僕は彼らを貶めたいわけではないし、非難するつもりもない。戦時下という異常な状況は時としてこういう事態を引き起こす。

 食べられるものが他にないとき、生物はえてして共食いをするのだ。

 しかし、それはあってはならぬこととされている。何故なら人間は思考し、文化を持つからだ。


 こう書くと「食人を文化とするものもいるではないか」と反論される。

 残念ながら人喰い部族というのは、生きるために食べるわけではない。

 儀式としての食人が殆どであり、それこそ過去に遡っても食料として人間を扱っていた痕跡を見つけることは困難だ。

 原始的な文明期において同族に食されたと思しき人骨が発見されるもののそれも食料事情によるものと推測されている。


 それに人間の体というのは可食部が少ないし、塩味がして美味くない。

 繁殖にも時間がかかり、数を増やすのも難しい。

 豚を飼う方が効率的だろう。


 おっと、話が逸れた。


 さて、こんな長い前置きをした理由は極めて単純なもので、ということだ。

 注意していただきたいのは快楽殺人の末の食人は、この限りではないし、これから記す斎庭ゆにわリエとも関係がない。

 ハンニバル・レクターという架空の人物のことはどうか、少しの間だけ忘れていただこう。


 間抜けたタイミングで名前を出してしまったが、皆さんもあの事件をよく覚えているだろう。

 一時期、お茶の間を沸かせていたアイドル斎庭ゆにわリエの事件だ。

 彼女が事務所の方針でなるキャラクターを作り、世界中を飛び回っては現地のゲテモノ料理を食べさせられて泣き顔を披露する……というパターンは残念ながら愛されていた。


 僕個人としてはテレビの向こう側で陰湿ないじめが起きているように思えたが、世間がそれを求めていたからこそ、いちバラエティ番組のコーナーで斎庭リエは生きながらえることができたのだろう。


 あの事件があってから彼女は芸能界を干され、それでも生きて行こうとしたが、世間のバッシングに耐えられなくなり自死している。

 いやはやなんとも人間というのは自分勝手で醜悪なのだろう。散々、囃し立てておいてこの仕打ちである。


 おっと、主観が混じってしまった。

 僕はどちらかといえば斎庭リエに近い立場の人間なのでどうかご勘弁願いたい。

 事件後、彼女の親族と粘り強く交渉し、どうにか許可を得て半年ほど取材を続けたのだ。

 情が移るのも仕方ないと自己分析している。


 だからこそというキャラ付けが災いし、致し方なく人肉を口にすることになった斎庭リエに同情する。

 世間はもう少し、彼女のことを理解してやるべきだった。

 戦時下でないにしろ、極限状態に置かれた致し方なのない行為だった筈だ。


 皆さんも、ほんの少しでいい。

 当時のレニングラード市民の気持ちになれなどとは言わない。

 そんなこと、食べ物を平気で捨てている現代日本では無理というものだ。

 だが想像を働かせて欲しい。


 自分の思想、立場、なんでもいい。全てに束縛されてもいいし、何ものにも縛られなくてもいい。

 ゆっくりと息を吸って、その息を止め、目を瞑り、静かに吐き出していただきたい。


 光は見えないだろう。

 当然だ。瞼を閉じている。

 あ、それじゃこの文章も読めないか。

 訂正。目は開いていただいて構わない。


 コホン、失礼。


 さて、事件のことは横においておこう。

 それでは、あなたに問う。


 何も食べるものがない。

 飢えている。寒い。体温を上げねば。

 このままでは死ぬ。


 そんなとき、あなたの生きようとする力は……

 人間の屍体から剥いだ肉を嚥下えんげできるだろうか?

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