#14 真夜中の決闘

真夜中の道路に人が2人。ここ父島は交通量の少ない孤島にして、孤独な場所でもある。だからこそ、太平洋が戦いの汚穢を流してくれているのか、戦いの場所にはピッタリだった。山と海の間の隘路はそこそこに車が通るような道でもあったが、"研究所"によって人払いがされたことここに至っては、それもありえない。


相対するのは白衣の男性とグレースーツに身を固めた女性である。


白衣の男性は琴似川というネームプレートをそのまま胸につけており、それほど運動能力が高そうには見えないような準備運動をしている。回崎や蒲生といった仲間はここにはいない。


グレースーツに身を固めた女性は、丸メガネの単眼鏡…モノクルの位置を微調節しながらティータイムを優雅に楽しんでいた。立って紅茶を飲んでいる時点でもうマナー違反なのかもしれないが、その姿は少なくとも優雅であった。


特筆すべきなのはその女性が腰に剣の鞘を差していることだった。スーツに暴力的な装置の存在は似合わない。どころかスーツが本来戦闘装備ですらあることを思い出させてくれた。


「琴似川さん。そろそろここで思いとどまってはいただけないでしょうか?」


グレースーツの女性は落ち着きを見せた所作でそう言った。彼女の動きはいちいち仰々しい。


「ふん。赤ヶ濠よ。やるに困ってついには実力行使か」


「実力行使ではありません。権限を行使しているだけです」


「節操がない!」


2人の男女は険悪な様子に見える。赤ヶ濠と呼ばれた女性は少し冷静であるが、それが単に表面的なものではないという保証はない。2人の尋常ならざる気配によって島の鳥たちがおずおずと飛び出しているのである。


「あ──」


琴似川が声を聞くのと同時に赤ヶ濠は道を飛び出していて、その次のフレームには琴似川の身体に刃を向けていた。


「──なたを殺して世界の平和を保ちます」


琴似川は手から細長い鉛筆を出してその剣を受け止めた。激しい音がなる。硬質の鉄と鉄がぶつかったような音だ。あくまでもそれを当たり前のように琴似川はとらえている。


「ふん。貴様には壊せない」


その鉛筆は赤ヶ濠の剣戟を持ってしても壊せなかった。何やら超常的な力によって破壊不可能であるが如き硬度だ。さすがにどのような剣の使い手であっても、細い鉛筆を1つ切ることができないということはないだろう。だがしかし、その鉛筆は容易に常識を振り払った。


「特別なのだよこれは。だから赤ヶ濠、貴様でも壊せない。くっくっく……」


その事実は琴似川を喜ばせるものであったらしい。堂に入った笑い方はマッドサイエンティストのそれだ。


「はっはっはぁ!」


琴似川は喜びのあまりに持っていた鉛筆を宙に投げた。


「だがこれで試験は成功だ!耐久性が獲得されている!」


「なるほど。Ang-005の作用というわけですね。耐久性ですか。しかしあなたがそれを出す前に剣を当てればいいだけのこと」


島の住民、稲垣太輔はこの一部始終を偶然見かけていた。


「な、何だこれは…」


白衣のマッドサイエンティストとグレースーツの英国紳士(対象が女性でも紳士という言葉が使えるというのは彼女の姿を見ると理解していただけるであろう)が、怪しげな投擲物を避けたり投げたりしていながら、剣による闘争を続けているというのは、ここ父島の南国の風景からは異様であった。はたして、ここが渋谷でも異様であることは変わらないかもしれないが。


「け、警察に通報……?」


研究所は確かにこの戦いが終わるまで一帯の交通を封鎖していたが、あまりにも突貫の作業であったためそのことが島の住民に周知されていなかったのだ。稲垣太輔はさきほどまで海の波音を聴きながら愛犬のフローラと昼寝をしていた。彼は連日の受験勉強で疲れていた。それはもう誰にも起こせないくらいに熟睡していたのであるが、夜の時間になってやっと目を覚ましたのだ。これは愛犬がさすがに遅いと思って上に覆い被さったというのもあるかもしれない。


「殺し合ってんのか……こんなとこで」


稲垣太輔はこんな言葉を無意識のままに発したが、その声は戦う2人に届くことはなかった。


「かっけえな……2人とも」


そこでは何せこれまで見たこともないすごい戦いが行われていたのだから、その反応は年頃の男児としては正常だろう。まず最初、赤ヶ濠は琴似川の首筋を狙って剣を振ったが、それは琴似川と赤ヶ濠の間に突然生じた「鉛筆」によって防がれた。それを受けて赤ヶ濠は一度距離を取るために高く飛び、10mは離れた道路に降り立った。しかも紅茶を溢すことなく。


眼下にいる犬が怯えたように声を出す。犬は野生動物であるから、野次馬根性のある人間なんかよりもよっぽどことの深刻さがわかっていた。飼い主をハーネスで引っ張って言葉から逃げようとする。


「な、なんだよ。フローラ」


「くぅん……」


「帰りたいのか?もう遅いもんなー」


そう言って飼い主とゴールデンレトリバーは短い会話を交わすとそそくさとその場を後にした。それが正解だと言うことはいつだって後からわかる。


「聞かせてくれ、赤ヶ濠。貴様は戦闘中に紅茶を飲むことが流儀なのか?」


「いいえ。私のティータイムは誰にも邪魔できない…ということですよ。あなたにも」


赤ヶ濠は目に見えない速度で剣を振るう。琴似川はあらかじめ用意しておいた鉛筆を使ってその猛攻を防いでいた。


「はっはっはっ!正直なぜ赤ヶ濠くんがこうして私に刃を向けるのか見当もつかいながね。恨みを買った覚えないぞ」


「あなたがAng-005に近づくからです。私個人の感想としては、あなたが何しようが何を調べようが至極どうでもいいです」


「そうかい。そうかい。そりゃあよかった。嫌われてないってことだもんな」


「はて、そんなことはありません。あなたは嫌いです」


赤ヶ濠はカップの紅茶を一気に飲み切ると、これまでの美しい所作からは一変して力強い感覚を取り戻した。


先程の稲垣太輔……偶然この戦いを見てしまった哀れな高校生だが、とっくにその場から立ち去っていた。彼の家はもう少し山間の方にあるので帰り着くまでには時間がかかる。その帰り道、2人の戦いを振り返るとそこには巨大な火球があった。さっきまで自分がいたところが燃えていた。その事実は彼だけではなく彼の犬を震え上がらせるのにも十分だった。


「あの人ら一体なんなんだ…」


彼はもう二度とあんなところで昼寝をしないと心に決めて帰り道を急いだ。


乱打される火球はあたりを燃やし尽くした。なるべく森の方に火の手がいかないようにしているのか、海際に琴似川は追い詰められている。


「環境破壊だぞ。ここ小笠原にゃ貴重な動植物の資源がたくさんあるんだ」


琴似川の手はちょっとだけ焦げていた。白衣はとっくに煤に塗れて、軽口を叩きながらも撤退戦を強いられている。有り体に言えば、敵に背後を見せながら逃げている。


「ど、どこへいきましたか。琴似川さん」


琴似川は十分に距離を取り、岩陰に隠れていた。ここも辺りを燃やされたら敵わないが。乱暴な解決策を良しとしない彼女ならば、自分の位置を確認して炎を出すだろうと考えたのだ。


「まあいいでしょう。全部燃やせば済むこと」


その予想は外れていた。紅茶を一気飲みしたことで、赤ヶ濠はかつてないほどにテンションがあがっていた。カフェインなんかの効果ではないと彼女自身は信じている。だがしかし、実際紅茶のカフェイン含有量はコーヒーのそれにも匹敵する。


炎が360度四方八方に撒き散らされた。岩を壁にして防いでいる琴似川もひとたまりもない。琴似川は諦めず遠くから鉛筆を投げていく。10本ほどはある鉛筆がすごい勢いで炎を掻き分けて進んでいった。その中の1つが赤ヶ濠の頭部にぶつかっていく。その衝撃で赤ヶ濠はのけぞった。


そのとき、琴似川は少し笑った。紅茶のカップをよく見るとしたたり落ちそうな水滴が外縁についている。


「こ、紅茶が溢れてしまいました」


その紅茶の滴が地面に落ちるまでの間、赤ヶ濠は若干動揺したようなそぶりを見せた。ありとあらゆる動きが停止し、隙ができる。その一瞬を熟練の研究者は見逃さない。即座に近づいて下の方から鉛筆を顎に突っ込んだ。


「蒲生、来い!」


蒲生、大柄な意味のわからない言葉で話す男。彼はずっと森の方に隠れていたが、琴似川の指令に従って闇から現れて、赤ヶ濠を挟撃した。


蒲生はその体躯に匹敵するほどの大きさを誇る大剣を持っている。そのずしりと重い大剣が赤ヶ濠の肉体を攻撃した。


「ふん。ペンは剣よりも強しとはよく言ったものだ」











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