#13 議論
「ははっ」
赤嶺天音はそうやって笑った。若干無理にそうしてる感じがしないことでもない。
「別に何も真剣なことを話そうってわけじゃないんだよ皀理っち」
「ごめんね……最初は本気な顔で私のことを見るものだから」
今この時間は自由時間に決められている。夜になる前の微妙な時間。何をしてもいいが何もしなくてもいい。私はその時間にエントランスの机に座して赤嶺と向き合っていた。環凪も、書籍院もいない。彼女らは部屋の中だ。代わりに蛇姫が赤嶺の後ろに控えている。仁王立ちするその姿は、どこか風神雷神図屏風を思い出させた。
「私はむしろ気になるがな。赤嶺がそこまで真剣な顔になる理由だ」
蛇姫はいつもと変わらないつまらない顔でそんなことを言った。
「話があるんだ。話がね」
それは何も答えていないのと同じだ。
「話って何?」
「早く教えろ」
腕を机の上に乗せる。手を組んで姿勢を作る。
「話って言うのはやっぱり鉛筆のことだよ。こないだイヌの死体から発見したアレだ。そしてカメの甲羅を突き刺し、殺していたアレだ」
「それがどうかしたの?何かわかることがあった?」
「うん。まあちょっとはね。とりあえずこれを見てよ」
それでも赤嶺は真面目な顔で私のことを見た。笑っていても真剣さは崩さないというような顔だ。彼女はビニール袋から個別にそれぞれの鉛筆を出した。
「これがイヌの死体から見つかった鉛筆」
机に転がしたのは件の赤い鉛筆だ。
「これがアオウミガメのところで拾った鉛筆」
これも同じ鉛筆。
「そしてこれがスキューバダイビング中に海の中で岩の隙間から拾った鉛筆」
その鉛筆は他の2つと違って青色の紋様が施されていた。
「色が違う。そして削ってあるね」
「削ってみた。すると水色の色鉛筆らしいことがわかったんだ」
「なるほど」
「まあそりゃ鉛筆なんだから物が描けなきゃしょうがないけど」
そのあと赤嶺はちょっと沈黙した。
「皀理っち、絶対に馬鹿にしないで聞いて欲しいんだけどー」
蛇姫が構える。"耳を立てる"とでも言ったほうが良いのか。ともかく傾注した。
「この青鉛筆を持ったとき、すごい不思議な感覚がしたんだよ。体がぽわわ〜としてきてね。水の中だからわかんないけど、体があったかくなったように思えたんだ」
「う…うん?」
「話はまだ終わってないよ。そのあと私は記憶を見た。昔の風景なのかなあ。子供がお母さんに誕生日を祝ってもらっているの」
蛇姫は発言した。
「お前は鉛筆に触れた瞬間その幻覚を見たということでいいのか?」
「うん。そうだよ。断じて嘘なんかじゃあない。嘘くさい話だけど、嘘ではない」
それは単なる赤嶺が水中で見た白昼夢ではないのだろうか。私は信じられない。
「それで確信した。あの車の中で見た怪物はこれと関係している。その景色の中にもこの怪物がいたんだよ。窓の外の遠くにあるビルの上にはあの紫色の木がある」
その白昼夢の内容を訥々と話し始めた赤嶺。
「子供の名前はあかねちゃんとか言ったかな。私の名前が天音だからちょっと似てて共感してしまったよ。10歳の二分の一成人式を親子は祝っているんだ。だけど蝋燭を消すとき母は異臭を感じる。最初は蝋燭の独特な匂いだと思ったんだけど、そうでもないみたいだ。外からしていることに気がついて、窓の向こうにあるビルを見るんだ」
「ビルといってもそんなに高くない。何かのテナントビルだよ。その上に紫色の木とその上に器が乗った例の怪物が立っていた。器に座っているのは、太ったカエルみたいな例のアレで、ぶくぶくとちよっと気持ち悪かったかな」
大抵の生き物を素手で触ってみせる彼女がそれを言うくらいなのだから、相当なものだろう。
「イヌの死体よりも気持ち悪い?」
「んん、イヌの死体は別に気持ち悪くないよ。そういう方面の気持ちの悪さじゃなくって、性格の悪い人を見たときみたいな」
「船の中で会った男の人みたいな?」
「琴似川さんのことかな?あの人はそこまで悪くなかったよ。単に興味の方向性が人に理解できないだけだ」
なんて寛容なギャルなんだろう。赤嶺天音は!こう思うのも多分、私にギャルは大人の男性を悉く嫌うものだという偏見があるからだ。
「そうだね。人のことをすぐ否定する人みたいな、そういう」
「それを見ただけでわかったというのか?」
「なんだろうね。それも特殊な幻覚の力なのかもしれない」
なるほど。幻覚がどのようなものだったかは察しがつく。でも、その幻覚が超常的な現象と確定させるのはまだ早い。
「赤嶺。スキューバダイビングっていうのは酸欠との戦いなんだ。体中が酸素不足で喘いでいる環境だからね」
「ん?」
「脳の酸素不足で幻覚を見たって可能性がなくはない……ということ。まだあの怪物と関係するって思うのは早計だよ」
「でも幻覚の中ではあの怪物が登場したし……」
「もしかしたら、あのときみたその衝撃が強くて潜在的な記憶が呼び起こされたのかもしれないね。人の脳って割とそういう曖昧なところがあるものだよ」
と、言いつつも。私がその幻覚と関係していないということはない。昨日見た夢は明らかに鉛筆の内容だった。あの夢は一つの特別な環境にいることによる高揚感が齎したものだと私は自分の中で納得させていたが。
「じゃあ皀理っちは私の言うこと信じられない?」
「そうは言ってない。というのも、私も似たような経験があるんだ」
「「?!」」
「アレは夢だったかな」
こないだ見た夢を話した。兎にも角にも話した。あの荒唐無稽な夢のことを、蛇姫と赤嶺に説明した。鉛筆が溢れて、そして男と話したことを。
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