#12 琴似川の研究


「先生!?」


回崎は目の前の奇人を見てそう叫んだ。


「何やってるんですか。これ以上近づいたらいけませんよ」


「トケイダイソウだ。こんなもの小笠原に生息している草じゃあない」


「ええ、わかっています。Ang-005の影響ですよね?」


「ああ。そうだな。コイツの近くにはトケイダイソウが生える。つまりは逆アレロパシーだ」


「他の生命体の成長を促進することがある。その他にもそこにありもしない植物が出現したりする。それはあくまでも一時的なもので、そしてAng-005本体に付随するもので、Ang-005がなくなるとそれらの植物も消失する」


「ああ、だからな」


琴似川は紫色の木を登り始める。もうそれは第二段階に入り始めている。つまり器が木の上部に出現し、粘っこい灰褐色の液体が溢れ始めている。器は外側が黒く内側が赤い。漆塗りでもしてるかのように色が綺麗だ。


「だからやめてください」


「私の考えによればあの器がどんな液体を溢れさせているかにことの真相があるはずなんだ!」


「あの灰色液体の調査はもうすでに実施されて──」


「ああ!」と叫ぶ回崎、「ᐱᒋ!」と叫ぶ蒲生。およそ高さ2m、そこまで登ったところで琴似川は落ちた。


「無茶ですよ先生。ヘリコプターか何かが必要です」


「できるか!予算がカットされてるんだぞ。そりゃ、赤ヶ濠が簡単にデータ見せてくれればいいが」


「見たところでアレじゃないですか?」


「いいからやるんだ。とりあえず今日はここから定点観測を始める」


「ここじゃ近すぎます。一回港のところまで降りていきません?境浦なら人が少ないかもしれません」


「ああ……ああ。そうだな」


────


「海行った後に山に行くってどうなの?」


「んー、まあ楽しかったからええんじゃない?」


赤嶺は海でめちゃくちゃに体力を浪費して全力で遊んでいたから少し疲れているようだった。濡れた髪を振り回す。


「都々、少し疲れてない?」


環凪は平然としているフリをしているが、実は彼女も疲れているのだと思う。昔からそういうやつだった。


「疲れてないよ」


「本当?」


「本当」


相模湖総合高校一行は次に島の小高い山のところに向かった。実のところ時間は甚だ過ぎており、夜に差し掛かる手前のところである。一度休憩に戻った宿泊先では2時間も時間があった。


「父島にはたくさん山があります!だから小笠原は海も山も揃った場所なんです」


ツアーガイドの涙道さんは言う。


「ここ父島には他にもコーヒー山、船見山、大神宮山などがあります」


「コーヒー山?」


「赤嶺さんお目が高いですね。コーヒーもいうと海外からの輸入品であるとイメージがあるかもしれませんが、ここ小笠原でも栽培されています」


「え?そうなんですか?」


「ここは日本でも珍しいコーヒーベルトの範囲内です。明治初期に導入されたコーヒーの栽培は第二次世界大戦の影響で一度は壊滅しかけましたが、農園の4代目野瀬昭雄氏が人の手を離れても育っているコーヒーノキを見て復活させたと言われています」


一行は鬱蒼とした森の中に入ってゆく。日本本土の森とは植生から言って全然違う世界がそこにはあった。まず木の形が違うのだ。熱帯雨林のそれに近いだろうか。木根というらしい。根のところが複数の枝に分かれていて、複雑に絡み合っている。そこには空中で回廊を作り出す根のネットワークがあった。


「この木はタコノキと言います」


「あ、小笠原植物ガイドに載ってたやつだね」


「じゃあアレは?」


赤嶺が指差したところには何やら黒ずんだ水筒のようなものがあった。


「ああ、アレは第二次世界大戦の痕跡です。兵士の捨てた水筒ですね」


「あのままにしてあるんですか」


「まあそうですね。あえて」


あちらにはドラム缶がある。あれも第二次世界大戦のなのだろうか?


「みなさんも知っての通り、小笠原では大規模な戦闘が展開されたのです。中でも硫黄島が有名ですが、ここ父島も例外ではありません。途中で大砲やトーチカの類を見つけることがあるかもしれませんが、それらは全部戦争の名残です」


「あれ。赤嶺?」


さっきまでそこにいた赤嶺がいない。環凪が指を刺したのは木の上だった。


「あれ?ここにある木枯れ気味だよ」


縦横無尽に乱立する木の上を伝って、空中を飛び回る赤嶺は肸肸と笑っていた。そこに動揺する素振りを見せず涙道さんは


「ああ、ここは遊べますからね。ひんやりしてない木の上だけは気をつけてください。赤嶺さんも言う通り枯れています。健康な樹木であれば、水が通っているはずなので冷たいのですよね」


するとまだ小学生の魂を失っていない高校生が多いのか、生徒たちは各々木の上に突進していく。景色を見て回ることが今回の旅行というわけではなく、つまりはこれが好奇心を満たすことなのか。


「皀理っち〜こっちへ来てみなよ〜」


赤嶺は結構運動神経が良い。木の上をぶら下がってそんなことを言ってくる。


「待って私はそこまで運動神経良くないから」


「皀理、じゃあこっち来て」


環凪都々が誘う。都々は地面を這う木の根の上をバランスよく歩いている。彼女の手を掴む。すると運動神経のない私は木の上から足を外し、地面を踏み抜いてしまう。


痛い。


「擦りむいた」


「あ〜皀理っち大丈夫?」


それを嗅ぎつけた赤嶺が猿の子供みたいに木を降りてきた。書籍院もやってきた。私の目の前には3人もいる。環凪が手を差し出してきた。そこで手を掴もうとすると距離があって届かない。


「はい。皀理っち、絆創膏」


「天音女子力が高いじゃん」


「もちろんっしょ。天才赤嶺天音っちはいつでも女子力が高いって」


都々はまだ手を出している。やっと掴んで立ち上がった。


「皀理。汚れてしまったね。その服」


「ああ、でも大丈夫。これ2着目だから。他にも同じ服はあるし」


「は〜い、皀理っち。絆創膏を貼ってあげる」


「あ、あ……ありがとう」


などと言った言葉はいつのまにか消えた赤嶺によって独り言になってしまった。残るのは環凪。


「うーん。やっぱお尻についてる土が気になるなー」


赤嶺はもう木の上を逍遥して、あちこち写真を撮り、そしてジャングルジム遊びに興じる子供のようになっていた。


「でもケガも大丈夫?」


「大丈夫だよ?赤嶺が絆創膏を貼ってくれた」


「絆創膏なら私もあったのに」


環凪のポニーテールが風で揺らいだように見えた。風は吹いていないのにもかかわらず。




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