#3 ガラパゴス的に歌う男

「い、いま小笠原固有種の話をしたかね?!!」


その男は、徹夜の疲労をコーヒーとエナジードリンクで誤魔化したようなくたびれた風体をしていた。よれたワイシャツにボサボサの髪、息が荒く、女子高生の一団に話しかけるのには少々無謀だろう。


「……あなたは?」


赤嶺はそう言った。当然の疑問であろう。


「おっと、失礼。私は番賀大学動物進化研究室の琴似川通だ」


「教授?」


赤嶺は何か興味があるのかぐいぐいと質問していく。尋問みたいだな、と思った。


「いやいや、私は准教授でね。いつも一歩足りないんだ」


「そんな先生がなぜここに?もしかしてフィールドワーク……?これから行く先で何かいいものが見つかればいいですね!」


「それより、今カタマイマイの話をしたな?」


「ええ……今はその話はしてなかったんだけど…」


「そうか…カタマイマイの話はしてなかったか。小笠原は貝類の進化が著しい地域なんだ。小笠原は一度も大陸につながったことがない島だから、住んでいる生き物は必然的に海や空から自然の流れによってたどり着いてきたことになる」


早口で、相手のことを顧みずに話を続ける様は気狂いのようでもあった。


「そこからカタツムリは狭い安定的な環境で、地面、木の上、それに半樹上性を加えてそれぞれ3つの違う生態的なニッチを持ちながら別々に進化してきたんだ。これを見てくれ」


そこには2つのカタツムリの貝殻があった。その殻は綺麗な箱に入れられている。ラテン語で書かれた厳密な種名と和名の両方が記載されている紙が一緒に封入されている。


「カタツムリの貝殻ですか……?」


「地面には落葉が多いから必然的に茶色の殻を持つものが多くなってくる。その一方で樹上性の種には淡褐色、黄色。果ては緑色のものさえあるんだ」


正直言って書籍院友海と私は勢いよく話しかけるその男に困惑していた。書籍院風に言うならば「引いていた」のかもしれない。男はちょっと不快な匂いをしていたし、清潔ではなかった。


「へー!ダーヴィン的に言えばガラパゴス諸島のフィンチって感じ?」


赤嶺はカタマイマイの話が面白かったようで、何の疑問もなくその話を聞いている。ナメクジをそこまで真剣に説明するその男は、どこか話すことを楽しんでいるように見える。学者が船に同伴する作品がどこにあったのかを少し考えてみるが、あまり思いつかなかった。


「小笠原って面白いねー」


まあ、言いたいことはわかる。根本の部分では私の言わんとすることと同じである。つまり孤立した島で進化した動物が面白いと言っているだけに過ぎない。クローズドサークルが面白いと言っているのだ。それに関してはおおむね同意する。


「まず海の波で運ばれてくるというのが奇跡的って感じ」


「そういうのを3Wという。Wing、Wind、Waveの略だ。鳥の羽、風、波の三要件だな」


「あー、糞の中に種が入ったたりとか」


ギャル系の友人が言う「糞」という単語が珍しくて笑ってしまった。2人は私に構わないで話し続ける。


「そうだな。鳥は長距離を移動するから。これに関しては生物の歴史の中では何度も起こってきたことだ。最近では空の風や海の波なんかよりも人間が運ぶことの方が多いがね」


「ああ、最近はそれも問題になってますよね。グリーンアノール、緑色のトカゲ」


「そうだ。しかし私としては人類だって環境の一員なんだと思わなくもない。そこで行われてるのは生存競争なんだからな。人間がある生物種にとって有利な環境になることもあれば、自分の振る舞いで種の多様性が減って人類に何か損になることもある。我々は結局のところ大きな生態系の流れに組み込まれているんだ」


後ろからリュックサックがやたら大きい学生と思われる集団が歩いてきた。


「せ、先生!こんなところにいたんですか」


「回崎君」


「あー、もう。適当な人に話しかけちゃって……」


「いや、違うんだ。決していかがわしいことではない。この子らがカタマイマイの話をしてたから……」


「そうなんですか?珍しい女子高生もいたものですね」


いや、赤嶺は一度もカタマイマイの話をしていない。


学生の男はこちらを向く。


「いやーすいませんね。番賀大学の回崎です。こっちにいるのは蒲生。独自に改造を施したエスキモーの言語で話してるから全く会話できないけど気にしないで」


「ᐊᕆᐅᙵᐃᐹ」


奇妙なことに蒲生と呼ばれた男は満面の笑みを浮かべていた。どんなことを言っているのかはわからないが、好意的なのはなんとなくわかる。回崎は蒲生のことが本当に何でもないみたいに話を移した。彼はこれ以上蒲生の言語について説明する気はないのだろうか。


「困りましたよね。この人は急に自分のことを話し出すから。先生も謝ってください」


「お、おう。急に話して申し訳ない。生物の拡散と進化について話したかったんだ」


「いや、ためになりました。今回の修学旅行はそういう学習も兼ねてるんですから」


「じゃあ船に乗ってた高校生の人たち?いいね。こんなところまで来させてもらえるなんて。俺が高校生の頃は京都だったよ」


「あはは〜うちの高校だと選べるんですよ。行き先を」


「そりゃあすごい!羨ましいです」


選択肢は多いほど難しい。決められた場所の方がかえって苦労しないだろう。


「そういう自由性の高さがうちの高校の自慢なんで…」


「じゃあ先生、この辺にしておきましょう。これからフィールドワークの準備をしなきゃいけないんです」


「そうですか。また会うかは分かりませんが島でもう一度あったらその時はよろしくお願いします」


「ᐃᓄᐃᑦ ᓴᓇᙳᐊᖅᑐᐃᑦ」


3人はゆっくりと歩いてその場から離れていく。蒲生と名乗った男は変わらず理解のできない言語で話している。


しかし蒲生も十分に異質だが、琴似川准教授の奇矯さにも目を瞑ることはできない。


「ねえ赤嶺。何も知らない人の話には付き合わないでよかったんじゃ?」


試しに聞いてみた。


「んー、あの人結構界隈じゃあ有名だよ」


「何かすごい研究成果残してんの?」


私はそのような人を聞いたことはない。彼の所属するという番賀大学というのも初めて知った名前である。


「いや、変人なことで有名なんだ。話しかけられてびっくりしちゃった。大昔に何か事件を起こしたらしくって。その時は学生が1人死んだんだって」


その話も聞いたことはない。


「その後、かなり杜撰な実験が行われたたことがわかってきてね。何故かテレビにも新聞にも載らなくてさ。私はその頃リアルタイムで掲示板の情報見てたから覚えてるんだけど、その掲示板の情報もいつのまにかスレッドごと削除されてて」


「貝類の実験?」


「いや、ちょっと前は進化の実験をやっていたらしいね。そこから今の所に落ち着いたみたいだけど」


進化の実験?そこまで曖昧な学問の対象というのは胡散臭い。本質が空虚だから大雑把なことしか言えないのではないだろうか。


「なるほど。でもどう見ても胡散臭い人ではあるよね」


私はその琴似川と名乗った男がちょっと気になった。人を殺すかもしれないからだ。


「うーん、まあ基本的には悪いとは言えなさそうだけど」


頭を傾けて言う。


「ふとした時には豹変してしまいそうな恐怖があるよね」




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