#4 ようこそボニンアイランド

ひたすらに続いた海が岩やら何やらで所々途切れてくる。陸地が近づいてきた証拠だ。岩でさえ珍しいのか、観光客は写真を撮り始めている。観光客は雨が収まってきてすっかり歩きやすくなった甲板にひしめいていた。


階段を降り、さらに部屋の中に戻ると環凪たちが荷物を片付けていた。


もう1人の旅行の担当教師である桜道先生はいつも持ってる棒をパチパチ叩きながらこういった。


「荷物を揃えろ。まだ船の準備が終わっていないらしいから少し遅れるがな」


「えーどこまで遅れるんですかー」


「長くても30分くらいだ。我々は学生の身だから遠慮して出るのはもっと後になる。一般の方々が先だ」


「へーい」


そんな適当な声でそんな応答が繰り返されているとこちらまで気が抜けてくる。


私は今に至るまで全く船を降りる準備をしていなかった。急いで荷物を片付ける。あれ?スマートフォンがない。私はちょっと焦った。さすがに連絡がこれからできなくなるのは困る。船の中は困ったことに電波が使えないので、あまり意識の中に入れることがなかった。


最後にそれを使ったのは時間を確認した時、雨が降っててそれで壊れると困るからどこかに置いたはずだ……。


「皀理、ほら。置きっぱなしにしてんだから困るよね」


「あっ、ありがとう。なくなって困ったよ」


「"キャラ紹介"はどうなったの?」


「え、まあ。男子のところまでは行けなかったんだよ。途中で少女先生に会ってしまって男子の階までなかなかいけなかったんだ。諦めて帰ってきてしまったよ」


「殺人は起きそう?」


「いや……全然。でも怪しそうな人間は見つけたよ!」


────


修学旅行のしおりによれば小笠原諸島は厳密には4つの列島によって構成されているらしい。聟島列島、父島列島、母島列島、火山列島。ムコ、父、母ときて最後は息子あたりできなかったのではないかと思わなくもないが、そんなことはどうでも良いのである。どの島も大陸と近づいたことがないが故に独特な生態系に満ち溢れており、東京都の管轄でありながら一部は亜熱帯に属する。これは十分に南の島であると言えよう。推理小説で南の島に行くのは何気に「ありがちな」ことであるが、私も最初は狙っていたわけではない。


「今回の行き先は父島だけだね。全部回るほど時間はないよ」


小笠原諸島で2番目に大きいのが父島だ。父島は人口も1番多く、小笠原村の中心的な地域である。小笠原の村域には沖ノ鳥島までを含んでしまうため、実質的に人が住んでいるのはあとは母島だけだ。


旅行の始まりで好奇心と高揚感を胸に抱いた観光客の群れが船を降りていく。私はそこを眺めている。1人の物悲しそうな単独行の男性もいれば、夫人の会で旅行しています、みたいな老婦人の集まりもある。私は思った。クローズドサークル成り立たなくないか?


クローズドサークルが成り立つのは、雪の山荘や南の孤島が登場人物以外を介入させる余地がないからだ。こんだけ人の群れがあるならば、いくら南の孤島であろうとも、亜熱帯気候であろうとも、関係のないことになる。我ながら何たるカーゴカルトなのか。


「思ったより沢山ひといるね」


「そりゃそうだよ。小笠原なんて有名な観光地だもんね。しかも島に住む住民も多いわけで、決して南の孤島とは言えないよ。船は1週間に一度くる」


「逆に言えばそれだけしか船がやってこないとも言える」


「ヘリコプターがあるよ。いざというときの」


「それを強調するね。伏線かな?」


「じゃあ私たちも降りるよ」


桜道先生は少女先生なんかより先生っぽい。まず普段着がジャージだ。体育教師としてこれはありがちであると言っても良い。今もそれは変わらない。手に持つ棒は鞭ではなく指し棒だ。


私たちを先導する桜道先生は、この場をおそらくもっとも楽しんでいるであろう人物の1人だ。背負うリュックサックは溢れ出るほどに膨らんでいる。何をそこまで詰め込んでいたのかはわからない。


「隊列を乱さないで…なるべく2列になって歩歩いて。他の人に迷惑をかけないように」


「桜道先生、蛇姫さんがいません」


そう言った赤嶺天音はやや困惑していた。確かに蛇姫がここにはいない。


「本当?最後どの辺りで見たのかはわかる?」


「最後にはレストランへ行くって言ってたんですけど、蛇姫さんの周りにはいつも誰も一緒にいないのでわかりません」


「わかった。探しに行ってきます。まったく。いなくなってばかりで困ります今回の生徒は……」


としぶしぶ言いながらも彼女はこれまで笑顔だった顔を歪ませて、一瞬にしてワクワクが後ろに消えたような表情をした。そして小走りで上の階まで蛇姫を探しに行った。


────


だっ、だっ。桜道先生こと桜道遥子は船の中を小走りにして蛇姫奏多を探していた。


(急がないと……船が出る)


若いながらにその体力を活かしたフットワークには定評がある。体育大学で新体操をやっていた経験があり、柔軟性ではどの教師にも負けないという自信があった。


船中階段を降りたり登ったりしながら蛇姫のことを探したが発見されなかった。


思えば、蛇姫ほと危なっかしい生徒は他にいなかったような気もする。教師歴たったの5年である──これでも結構な年月の経過を感じるのであるが──少女先生などはもうかれこれ20年は教師をやっているのではないだろうか。他にも長老のようになっている先輩の教師方の中には自分の何倍もの職歴を持つものもいる。


蛇姫は学校の人間関係を拒んでいた。有り体に言えば不良だった。桜道はあまり現代的なアウトサイドの人間をどのように表現していいのかわからなかったが、少なくとも蛇姫は校舎裏とかでたむろってタバコを吸うような前時代的な不良のイメージをそのまま実行するような人間ではなかった。どちらかと言えば、教室の隅で1人音楽を聞いているようなそのタイプの不良だった。タバコを吸うところなど見たことはない。成績は悪いどころかむしろ良好で、クラスの一二を争った。


ただひとつ印象に残った出来事を述べるとするならば、桜道が担当を持った時の体育の授業である。そのときは確かバレーボールをチームでやっていて、女子のチーム同士が試合をしているところだった。体育の授業で1番活躍するのは、その競技を日頃から練習している部活動の連中だ。その日も確かバレーボール部の女子生徒がリーダーシップをとっていた。


基本素人の授業のバレーボールで、あそこまで綺麗にアタックが決まったのは珍しかった。とはいえやはりそこまで強い勢いがあったものではなく、その場でボールを受けるのが桜道であれば余裕で捕球できていたものだっただろう。その時ボールを受けるべき場所にいたのは近寺皀理だった。近寺皀理はそれを盛大にミスした。受け取れなかった。


バレーボール部のリーダーシップを取っていた女子生徒は獪岳美々というのだが、彼女は近寺皀理の致命的なミスに難色を示した。元々、近寺皀理は運動センスの無さなのか、あまり芳しい運動をできていなかった。それもあってか、獪岳さんは興奮のあまりに激怒した。怒りの堰を切ったと言ってもいい。その娘は普通は温厚でそのような感情の発露をすることはなかなかないのだが、自分にとって重要なことでミスをしたのが許せなかったのだろうと思う。


決して差別するわけではないのだが、スポーツマンとして足並みの揃わない人間がどのようなものをもたらすかはわかる。だから獪岳のその感情は理解できる。感情のコントロールの方法が問題なのだ。チームのためには、あくまでも表面的にでもいいから平和でないといけない。授業の即席チームなら尚更だ。獪岳が怒るのを近寺は所在なさげに自分とは無関係なように見ていた。私にわからないのはむしろその近寺の対応の方だった。ミスをしたならばそれなりにたとえ実質的にその謝意がこもっていなくても、形だけは謝罪のポーズをとっておくべきではないのか。


そのことを蛇姫は全て見ていた。蛇姫はその授業は生理だ何だと言って見学していた。


獪岳はそのアタックがあまり強くなかったことを強調した。実際、打球はあまり芯を捉えておらず、掠ったような一撃だった。大意を纏めるとこのような発言となる。「もし取れないのであれば無理にでも隣の生徒に譲るべきだった」


対して蛇姫はその責任の取り方に無茶があると追及した。決して情緒的な見地からそれを言うのではなく、あくまでも獪岳の意見が論理的に問題があることを強調した。その上で、つまりは、「彼女はそれでもやれるだけのことをしていた」と言うことだ。


獪岳はあまり自分のことをうまく顧みることができていないように見え、蛇姫は見学していた外野の意見であることを考慮していないように見えた。蛇姫は当然、外からそれを見ていたのだから獪岳の感情をうまく理解できないのは当然だろう。休んでいた蛇姫がそれを言うのは横紙破りであるとも言える。


──なんてことを考えていたところだった。船の船室から物音が聞こえることに気がついた。「何だ?」と思って耳を澄ますとどうやらネズミや不快害虫の類では無い大きな動物がシャワー室で暴れ回っている音だと気づいた。


何が起きたのだろうか?おそるおそるシャワーの部屋に入って音の原因を覗き込もうとした。


「………蛇姫?」


そこには裸で部屋の中に横たわる蛇姫の姿があった。




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