第5話 特別な義理チョコ

 冷たい風が気持ちいい。


 しかし、その冷たさが右腕の傷にしみる。


 騒動があった翌日のバレンタインデー。腕の傷が痛む中、晴翔は休まずに学校に来ていた。


 出血の割にはたいした傷ではなかった。親からは学校を休んでもいいと言われたが、体は元気なのに休むのはダメだろうという建前と、バレンタインという特別な日に休むのはもったいないという不純な動機で休むことはなかった。


 少女も目立った怪我はなく、逃げているときにどこかにぶつかってかすり傷を負った程度だ。


 放課後で日中より少し空気が冷えて太陽が傾き始めている時間に、晴翔は屋上のベンチに腰掛けながら帰宅の準備を整えてあった鞄の中から一枚の手紙を出して眺めていた。


『屋上で待っています』



 可愛らしい便箋に可愛らしい文字で書かれたそれに、晴翔は心踊っていた。


 バレンタインに呼び出されるなんて罰ゲームでもない限りは十中八九告白だろう、なんて勝手に思っている。


 しかし、晴翔には心に決めた……というほどたいそうなものではないが、好きな人がいる。告白されようがそれに応えることはないだろう。


 だがやはり、恋愛経験のない晴翔が嬉しいと思ったとしても無理はない。テンションが上がり、無意識のうちに鼻歌を歌っていた。


 そんな調子で時間が経過する。


 何分経ったのだろうか。携帯で時間を確認してみると、放課後になってから二十分以上経過しており、もうすぐ三十分は経とうとしていた。


「あれ?これもしかしてドッキリ?」


 浮かれている晴翔を見て誰かが笑っているのかもしれないという不安に陥る。


 しかし、そんな不安は杞憂だったようで、屋上の扉が開く音がする。


 晴翔はあえて扉を見ないようにする。足音が近づいてきて、晴翔の横で止まった。


「待たせてごめんね」


 声を聞いて晴翔は体を強張らせる。


「……ねーちゃん」


 顔を見なくても声だけでわかる。好きな人だからという以前に、人生の半分ほどは同じ家で過ごしている姉弟で家族なのだから。


「期待しちゃった?可愛い女の子じゃなくてゴメンね」


「いや、別に……」


 手紙をもらって告白されるのではないかとそわそわしていることは雪音もお見通しのようだが、晴翔は無駄な強がりをする。


「それで、僕を呼び出したのはねーちゃんってことでいいの?」


「うん」


 それ以上、雪音は何も答えない。


 しばらくの沈黙の間、雪音はそっぽを向いて何も話さない。


「あの……」


 沈黙に耐えきれずに晴翔が声を出すと、それに反応して雪音が反応する。少し面白い動きだったものだから噴き出しそうになったが、話が進まないので堪える。


「用件は?」


「ちょ、ちょっと、もうちょっとだけ待って!心の準備が!」


「う、うん……」


 煮え切らない雪音だったが、もうちょっとという言葉を信じて晴翔は気長に待つことにした。




 もう放課後になってから一時間くらい経過したころだろうか。


「あの……」


 やっと口を開いた雪音に黙って視線を向ける。


「昨日はありがとね」


 雪音の口から出た言葉は、晴翔が思っていたこととは違っていた。それが勘違いとわかり少し恥ずかしくなる。


「あの女の子を守っていたっていうことはわかっているんだけど、私も危なかったところにはるとくんが間に入ってくれたから。……カッコよかったよ」


 そんなことを言われてしまうと照れて言葉が出てこない。直球に褒められるというのはどうにもむず痒い。


「ねーちゃんに怪我させられないからな」


「うん、ありがとう」


 晴翔は照れてそっぽを向く。


「それでね……」


 雪音はそう言いながら鞄の中を探り、取り出したもので恥ずかしながら顔を隠している。


「これ、バレンタインのチョコ」


「え?」


 期待はしていた。むしろそのことで誰かに呼び出されたのかと思っていた。


 しかし、そういう用件ではなかったと一度落ち込んだ分、嬉しさももちろんあるが、驚きが勝った。


「あげるって言ったの、忘れてた?」


 晴翔は無言で首を横に振る。朱莉からは今朝もらったため、むしろ雪音に忘れられているのかと思い込んでいた。


 屋上に雪音が来た時は期待したが、その用件ではなかったため、忘れているのかと思った。


 はい、と言って渡されたチョコは軽いけど、何故か重い気がした。


「ありがとう……」


 現実と思えずにちょっと適当な返事になった。


 そんな晴翔を気にせずに雪音は続けた。


「これはいつもとは違う義理チョコなのです」


 それを聞いても意味がわからない。


「わからなくてもいいよ」


 少し残念そうに微笑む雪音はさらに続ける。


「少し特別な義理チョコだよ」


 晴翔は考える。


 この気持ちになんと答えればいいのか。


 そうだ。


 姉とは呼ばない。姉ではなかった時の言葉で、そんな返事をしよう。



「ありがとう。ゆきねちゃん」



 僕は義姉が嫌いだ。


 自分のことより人のことばかり考える姉が嫌い。


 優しくて、どうでもいいことで怒ったり、笑ったり、めんどくさい姉が嫌いだ。


 何も考えていない……そんな風に見えて人一倍自分の中で背負いこんで一人で傷ついている姉が嫌い。


 でも、そんな姉を僕は義姉とは見れない。


 やっぱり彼女が大好きだから。

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僕は義姉(あね)が嫌い! 風凛咏 @kazari_furin

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