第2話 ずっと続く片思い
どんな顔をして毎日を過ごせばいいのだろうか。いつもそんなことを考えながら無駄に一日一日を消化していた。
時間は有限なのだから毎日を有意義に過ごそう、なんて言う人もいるけど、そんな毎日は息苦しい。無駄に過ごす時間があってもいいのではないだろうか、僕はそう思う。
年が明けもうすぐ高校二年生になろうとしている冬の頃、僕__結城晴翔はとてつもない危機に直面していた。
「……弁当忘れた」
学校に食堂や購買はあるが、晴翔は普段から弁当を持参している。別に食堂で学食を食べるなり購買でパンを買うなりすればいい話だが、手持ちが少ないこともあり余計な出費は避けたいという気持ちがあった。
「晴翔、飯食おうぜ」
そんなしょうもないことで絶望している晴翔に、能天気に話しかけるのは小学校以来の友人の濱野凌也だ。
「弁当忘れた」
「ドンマイ」
凌也は笑いながらそんな慰めの言葉をかけるが、言動が一致しないことを見ればわかるようにその言葉が本心でないことは一目瞭然だ。
「しょうがない、少しだけおかずを恵んでやろう」
「ありがたき幸せ」
食べ盛りの高校生の昼ご飯には少ないが、わざわざ自分の食料を削ってまで分けてもらえるだけでもありがたかった。今度ジュースくらい奢ろうか。
「結城ー、呼ばれてるよー」
とりあえずご飯の準備をしようと先ほどまでの授業で出しっ放しだった教科書など、机の上を片付けているとクラスメイトの一人から声がかかる。
クラスメイトに一言礼を言い、晴翔は廊下に出る。
「あ、はるとくん、ごめんね急に呼び出して」
彼女は廊下に出てすぐのところに立っていた。
晴翔を呼び出したのは姉の結城雪音だ。
学校内で姉と話すのはどこか少し緊張してしまい、普段よりぎこちない返事をしてしまう。
「いや、大丈夫だけど、どうしたの?」
「今日、はるとくんお弁当忘れてたから届けにきたの」
そう言う彼女の手には、今朝彼が家に忘れたはずの弁当箱があった。
今日は雪音の方が後に家を出たので、その時に気付いたのだろうか。
「ありがとう、ちょうど今気付いて困ってたんだ」
「それはよかった」
雪音はホッと安心したような笑顔を見せると、何か話すわけでもなく立ち止まったままだ。
教室に戻ろうか、と考えていたが、
「もしよかったら一緒にお昼ご飯食べない?」
と雪音は数秒固まり、口を開いたと思ったらそんなことを言う。
「ごめん、凌也と食べる約束してるから」
「そっか、ごめんね。じゃあ、また家で」
「弁当ありがとう。それじゃあ」
今までも度々昼食に誘われることがあったのでよくあることではあるだが、姉弟で一緒に食べるというのはお互いの友人を含めても、晴翔にとってどこか気恥ずかしい。
そもそも学年が違うので、お互いの親友以外の友人とはあまり交流がない。
お互いの親友を交えてならば特に問題はないのだが、毎度毎度付き合わせるわけにもいかず姉弟での昼食は、約二年間で片手で足りるほどしか実現していない。これでも十分姉弟仲はいい方だろう。
教室に戻っていく雪音が見えなくなるまで見送り、晴翔は教室に戻る。
「なあ、お前の姉ちゃんかわいいよな」
「紹介してくれよ」
教室の中に入った途端、クラスメイトの一部がそんなことを言いながら詰め寄ってくる。
「そんなこと言われても困るな……」
「彼氏とかいんの?」
「全然似てないなー」
こういうことはよくある。
雪音が教室に直接来ること自体は少ないのだが、来れば必ずと言っていいほど、このような頼みをされる。
「ねーちゃんとそういう話はしないんだ。悪いけど知りたかったら自分で聞いてくれ」
いつもお茶を濁し、そういう要求を回避している。毎回似たような回答をしているのだからいい加減諦めてほしい。
晴翔は、自分に何度も聞いてくるほど熱意があるのなら、その熱意を少しでも本人に向ければいいのにと思っている。
適当にあしらうような晴翔の対応に、クラスメイトは渋々諦めて各々席に戻る。
「毎度お疲れ様だな」
「本当にな」
雪音の話が終われば誰も晴翔には興味を示さない。だから教室内でこんな話をしていても誰も気にしないだろう。
大勢の中にいれば周りを気にしないことは当たり前とも言えるが、あまりにも態度が露骨すぎるため雪音との橋渡し役として都合のいい人にしか見られていないのが心の中でモヤモヤとする。
似ていないということはよく言われるが、義理の姉弟ということは昔からの知り合いの凌也を除けば知っている人は少数で、あまり声を大にして言うことでもないので隠しはしないが自分から言ったりはしない。
「まあ、とにかく弁当持ってきてもらえてよかったな」
「それは間違いない」
それは本当に姉に感謝だ。
持ってきていたのならもう少し早い休み時間にでも届けてくれてもいいとは思うが、雪音にも授業での移動教室などがあった可能性もあるし、届けてもらった手前文句を言えるわけもない。
晴翔達は普段と変わらずいつも通りの昼食を摂り、授業を受け、一日が過ぎていった。
春が徐々に近づいてくる。
二月に入った直後はまだ寒いが、天気の気まぐれで暖かい日も少し増え始める頃だ。
早い時期ではあるが、この辺りからそわそわしている極少数の男子がいる。
バレンタインだ。
男子の大多数は、一度くらいは気になったことがあるはずのイベントだ。
「お兄ちゃん! 今年もチョコあげるから三倍返しよろしくね!」
数年前から同じようなことを言い始め、今年は受験生というのにそんなことを言う妹に晴翔は呆れ顔だ。
妹の朱莉は父が再婚する前から妹、つまり実妹だ。
「私もあげるね」
そんな朱莉に便乗する形で雪音にももらえることとなった。
兄弟姉妹仲がいいということもあり、雪音が中学三年生で受験だった時以外、毎年二個は確保できるている。
周りの男子には羨ましがられることもあるが、兄妹間ということもあり無茶なお返しを要求されることがあるので、もらえる本人としてはいいことだけとは限らないことを知っている。
特に姉も妹も顔が整っているので、周りの羨望の眼差しの理由の大半はそれだろう。
「じゃあ私は先に出るから、はるとくんとあかりちゃんも早めね」
雪音は「いってきます」とのんびりとしたいつも通りの声で家を出る。
その声と朝から仲睦まじいほんわかした雰囲気に包まれたこともあり、まだ時間に余裕があるように錯覚させられるが、急ぐほどではないがのんびりしている程の時間はない。
晴翔もほとんど準備が終わっていたため、雪音が家を出てから五分ほどで支度が終わる。
「それじゃあ僕もそろそろ出るから、朱莉も早くしなよ」
「え、ちょっと待って! 自転車貸してあげるから学校まで送って!」
「あほ。そんなことしてたら僕の方が間に合わないよ」
晴翔と雪音は高校が近いので徒歩通学だが、中学校は自転車通学が許可されている範囲だったので朱莉は自転車通学をしている。過去に同じ中学だった晴翔や雪音も当時は自転車通学だった。
「だいたい、自分で漕いだ方が早いだろ」
「そうだけど、疲れるし」
「疲れる上、僕に遅刻させようとしてるのかこの子は……。もう行くからバカなこと言ってないで準備しないと朱莉も遅刻するぞ」
晴翔は徒歩で十分から十五分、朱莉は自転車で二十分ほどかかる。そして時計の針は始業時間まであと二十五分もなかった。
「あー! ホントだ! 急げ急げ!」
本当に慌てているような声が聞こえるが、それを頭の中で文字に変えてみるとそこまで急いでいるようには見えないのが不思議だ。
「じゃあ行ってくる」
「あ、待ってお兄ちゃん」
「今度は何だよ」
玄関のドアを開けたところまた呼び止められ、今度は少しめんどくさそうに振り向く。
「バレンタイン頑張ってね! 健闘を祈るよ!」
朱莉はそう言いながら親指をビシッと立てた。
「な、何のことだよ。もう僕は行くからな」
その後も家の中から聞こえる朱莉の声を無視してドアを閉めた。
「え、もらえるならいいんじゃないのか?」
「いや、なんか違うっていうかさ……」
昼休み、いつもは教室で昼食を摂るところなのだが、周りにあまり聞かれたくない話なので冬には人気の少ない外で弁当を広げていた。
「本命が欲しいとかいうなよ」
その言葉は少し心に刺さる。確かに欲しいという気持ちはあるが、そういうわけではない。
「なんて言うかさ、姉弟間の義理チョコと普通の義理チョコってなんか違くない?」
「いや、俺にはわからん」
晴翔の必死な主張も、凌也には理解されなかった。
晴翔は結局片思いを続けていた。
蕾のままの片思い。
義理とはいえ、姉弟での恋愛というものが一筋縄ではいかないことは理解していた。しかし、理屈ではどうにもならない感情が晴翔にはあった。
やはり、姉弟になる前に心に芽生えた初恋は、晴翔にとって諦め切れることではなかった。
「弟として見てほしくないなら、もう告白するしかないんじゃない?」
「そうだよなぁ……。でもそういうわけにはいかないしな……」
いきなり弟から告白される姉の気持ちなんてものはわからないけれど、気まずいことは間違いないだろう。それに何があろうとこれからも姉弟ということは変わらない。
軽はずみなことはできない。
「お前、めんどくさいな」
凌也の一言に、晴翔は落ち込む。
「協力できることがあったらしたいけど、現状どうにもならないからな」
「悪いな」
凌也は雪音と姉弟になる以前からの幼馴染なので、晴翔の初恋がずっと続いていることを知っている数少ない中の一人だ。
だがやはり、晴翔の置かれた現状は凌也にとって理解し難いところもあり、今回のことは話をしたところで何の解決にもならなかった。
まだ食べ終わっていない中、予鈴がなってしまい、晴翔は大慌てで弁当の残りを食べて教室に戻った。
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