第4話 1974年4月
4月1日
北九州市の小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡東区と八幡西区にそれぞれ分区され、北九州市は現行の7区体制となる。
シチズン時計が「クオーツ リキッドクリスタル」を発売。
NHK総合テレビで『ニュースセンター9時』放送開始。初代キャスターは磯村尚徳。
佳織はこっちの世界に来ることに失敗したようだ。
勇は、世田谷にある木造モルタルの2階建て高級アパート『緑ケ丘荘』だ。緑ケ丘は渋谷からも新宿からも近い。勇は2階にある4号室に住んでいた。隣の3号室には金田一耕助が住んでいる。ガラスをたくさん使ったアパートで、金田一の部屋からは玄関や正門が見下ろせる。
3号室のチャイムを押したが留守の様だ。
自分の部屋に入った。寝室、応接室、書斎、キッチン、バス、トイレと生活環境に恵まれている。
勇の本職は刑事だ。緑ケ丘署に勤務している。
書斎で『華麗なる一族』を読んだ。山崎豊子の長編経済小説だ。1970年3月から1972年10月まで『週刊新潮』に連載、1973年に新潮社より上中下巻の全3巻で出版された。高度経済成長を背景に、大富豪の銀行家一族を軸に政財界にわたり富と権力を追い求める人びとの野望と愛憎を描く。『沈まぬ太陽』『白い巨塔』などと並ぶ山崎の代表作である。
蓄音機からは沢田研二の『魅せられた夜』が流れている。
4月6日 - 第46回選抜高校野球大会は兵庫・報徳学園高校が大会初優勝。しかし、同校よりも部員全11人ながら準優勝と健闘した徳島・池田高校が「さわやかイレブン」として脚光を浴びる。
考古学者の
そんなある日、発掘した古美術品が犯罪組織『デウカリオーン』の麻薬密輸に利用されているということを知る。
デウカリオーンは、ギリシア神話の登場人物である。長母音を省略してデウカリオン、もしくはデュカリオンとも表記される。プロメーテウスとクリュメネー、プロノエー、ヘーシオネー、あるいはパンドーラーとの息子で、プティーアーの王。デウカリオーンの妻ピュラーは、プロメーテウスの兄弟エピメーテウスとパンドーラーの娘である。
「デウカリオーンの洪水」で知られる。世界中の神話や伝説に共通して見られる大規模な大洪水伝説は、紀元前3000年ごろのメソポタミアで起こった大洪水の記録であるとする説が有力である。デウカリオーンの大洪水神話は、この記録と、ギリシアで起こった大洪水の伝承とが重なったものと考えられている。
また、ギリシア神話には本項で述べるデウカリオーン以外に、クレータ島の王ミーノースの子でイードメネウスの父となったデウカリオーンが、別人として登場する。
ゼウスが洪水を起こした原因は、次のようなものである。ペラスゴスの息子リュカーオーンとその子たちは、不信心のために神々の怒りを買った。リュカーオーンは当初アルカディアにゼウス・リュカイオスの信仰を広めたが、神に祈る際に人間の少年を生贄としたことでゼウスによって狼の姿に変えられた。リュカーオーンの家はゼウスの雷霆で焼き払われた。リュカーオーンの息子たちは22名とも50名ともいうが、その悪行の噂はオリンポス山にも知れ渡っていた。ゼウスは貧しい旅人に身をやつしてリュカーオーンの息子たちのもとを訪れた。彼らは旅人に臓物入りのスープをすすめたが、スープには、羊や山羊の臓物だけでなく、彼らの兄弟の一人ニュクティーモスの腸が混ぜてあった。ゼウスはこれを見破ってリュカーオーンの息子たちを狼の姿に変え、ニュクティーモスだけは生き返らせたという。別説では、息子たちが殺したのはニュクティーモスではなく土地の少年であり、ニュクティーモスが生き残ったのは、ガイアがゼウスを止めたからであるという。
ゼウスはこれらのことで人間に嫌気がさし、絶滅させてしまおうと、地上に大洪水を起こした。南風とともに豪雨が起こり、恐ろしい速さで海の水かさが増した。沿岸や平野にあるすべての都市が流され、世界はわずかな山の頂以外は水浸しとなった。しかし、デウカリオーンは父プロメーテウスから警告を受けていたので、いち早く方舟を作って食料を積み込み、妻ピュラーとともに乗り込んでいた。
9日間水上を漂い、ようやく水が引くと、方舟はパルナッソス山に漂着した。これにはエトナ山、アトス山、オトリュス山という説もある。デウカリオーンはゼウスに生贄を捧げると、ピュラーとともにケーピーソス河のほとりにあるテミスの神殿で祈りを捧げた。ゼウスはこれに応えてヘルメースを遣わし、デウカリオーンの願いを聞き届けるよう命じた。一説にはテミス自身が姿を現したともいう。デウカリオーンが人間を新しく蘇らせ給えと願うと、「おまえたちの顔を布で包み、母親の骨を後ろに投げるがよい」とお告げがあった。ピュラーはこの言葉に対し、そんな親不孝なことは出来ないと嘆いた。しかし、デウカリオーンは「母親」とは大地母神のことで「骨」とは河岸の石のことだと解釈し、二人は石を拾って背後に投げた。デウカリオーンが投げた石から人間の男が誕生し、ピュラーが投げた石からは人間の女が誕生した。こうして再び地上には人間があふれるようになった。
洪水で助かったのは、デウカリオーンとピュラーだけではなかったともいう。ゼウスの息子メガロスは寝ているところを鶴の鳴き声で起こされ、ゲラニア山の頂まで導かれた。ペーリオンのケラムボスはニュンペーたちによってカブトムシに姿を変えられ、パルナッソス山の頂まで飛んで難を逃れた。ポセイドーンの息子パルナッソスが創建したパルナッソスの住民も狼の吠える声に目を覚まし、パルナッソス山の頂に逃れた。彼らの一部はアルカディアに移ってリュカーオーンの行為を繰り返す者もいたため、結局のところ洪水はあまり効果がなかったという者もいる。
秘密を知ってしまった彼女は『デウカリオーン』に命を狙われ、トヨタ・カローラレビンで逃走中に助手の
その後、愛する夫、
4月11日 - 東京・両国の日大講堂で行われたプロボクシング・WBC世界ライト級タイトルマッチで、挑戦者・ガッツ石松が王者・ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)を8回KOで破り3度目の世界挑戦で王座獲得。
勇は最近、近所で起きてる事件が気になった。
被害者は2人、麻生成実と飯豊祥太朗。胸部や脚を小銃で打ち抜かれた上に顔面がめった打ちにされ殺害されていた上に、背負っていたリュックサックも切り裂かれていたことから勇は強盗による犯行と推理した。
4月20日 - 東京国立博物館でモナ・リザ展開催(6月10日まで)。
連続殺人犯の
死刑執行の日、勇や上司の
その後、藤圭子の歌の歌詞を裏付けるかのように連続殺人が発生したうえ、最初の被害者は
4月25日
勇は緑ヶ丘神社にやって来た。最初の怪物が襲いかかってきた。エンプーサ(古代ギリシア語:Εμπουσα, Empusa, Empousa, エムプーサ)は、ギリシア神話に登場する怪物の一種。その名は「一本足」を意味する。冥界の女神ヘカテーにモルモーと共に仕えている。日本語では長母音を省略してエムプサ(エンプサ)とも表記される。
片方の足は青銅で出来ており、もう一方の足はロバの足で出来た女の姿をしているとされる。男を誘惑して交わった後に食い殺したり、眠っている男には悪夢を見せながら血を啜る。しかし悪口に弱く、罵る事が出来れば悲鳴をあげながら逃げるとされる。
姿を自在に変化させることができ、アリストパネースの喜劇『蛙』ではロバ、雄牛、犬、美女に化けるとされている。また、ピロストラトスの『テュアナのアポロニオス伝』にも登場する。
エンプーサは『太陽にほえろ!』でシンコを演じた関根恵子みたいな美女に変身すると勇に色仕掛けをしてきた。
「最近していないの」
だが、それには屈さず「本当はブスな癖に粋がってんじゃねーよ!」と罵ると「ウキィーッ!!」と金切り声を上げながら退散した。
不法入国のベトナム人グエンは等々力渓谷で捕まり連行されるが、逃走中のカップル
グエンは殺されたカップルのすぐ近くにいた青年が斧を手にした巨漢の前で動けなくなっているのを援護射撃して救う。グエンが使ってる銃はトカレフTT−33だ。正式名称を「トゥルスキー・トカレヴァ1930/33」Тульский-Токарева 1930/33(トゥーラ造兵廠・トカレフ 1930年/33年式)と呼び、略してTT-30/33とも呼ばれるが、一般には設計者フョードル・トカレフにちなみ、単に「トカレフ」の名で知られている。
本来必須な筈の安全装置すら省略した徹底単純化設計で、生産性向上と撃発能力確保に徹した拳銃であり、過酷な環境でも耐久性が高い。第二次世界大戦中-1950年代のソ連軍制式拳銃として広く用いられた。
1950年代以降、ソ連本国では後継モデルのマカロフ PMに置き換えられて過去の銃となったが、その後も中国を始めとする共産圏諸国でライセンス生産・コピー生産が行われた。中国製トカレフは1980年代以降日本にも多数が密輸入され、暴力団などの発砲事件にしばしば使われることで、一般人にも広くその存在を知られている。
青年は『デウカリオーン』のボス、
海原右京、潮篤史、石原渚、清太……全て氵がついている。
グエンは政治家の
グエンと清太が狙われて仲間が撃たれ、清太は復讐を宣言する。清太は頭を抱えた。親父の名誉を汚すことになる。清太の正体は明智勇だったのだ。幻覚と現実が混じり合う中、グエンには勇の姿が戦国武将みたいに思えた。仲間を失い1人になった勇は街を彷徨った。
抗争の責任をとって投獄されたグエンが監獄で死亡したニュースを見る。勇は生きる気力を失うが、生き残っていた仲間に助けられ、グエンからの写真を受け取った。勇は写真に写っていた等々力渓谷に行き、過去の記憶を思い出すと気を失う。勇を介抱していたのは逃亡中のグエンだった。死亡したニュースは夢だったのだ。グエンは勇の邪気を払っている途中、自分の未来を垣間見る。🚓グエンと勇の前にパトカーが現れた時、グエンはトカレフでこめかみをぶち抜いて命を絶った。
運良く逃げ延びた勇は奪った日産サニーキャブで街を抜けると、そこには海が広がっていた。
あの世に旅立ったグエンを思い出し、勇は涙を溢した。
それにしてもカッコいい車だ。
1969年8月 ダットサン・サニー(B10型系)のバリエーションとして、ダットサン・サニーキャブ(C20型系)がデビュー。
それまでのダットサンブランドのセミキャブオーバー車は、ダットサントラックやダットサン・セダン、ブルーバードのコンポーネンツが流用されていたが、ここで初めてサニーをベースとしたキャブオーバー車が開発された。
A10型(1000cc)エンジンをはじめ、横置きリーフスプリングのウィッシュボーン式フロントサスペンションなど、メカニズムは初代サニー(B10型)のものを利用し、コンベンショナルな後輪駆動の600kg積キャブオーバートラック(定員2名)、500kg積バン(2/5名)、8人乗りコーチ(2・3・3人掛けの3列シートワゴン)とした。エンジンとラジエーターの位置は前席下であるが、フロントアクスルを前方に配置し、ホイールベースが長く採られている。 トランスミッションは、コラムシフトの4速MTのみである。
インテリアも細身の2本スポークのステアリング・ホイールや、横長矩形のメーターパネルなど、一部のスポーツ系を除くサニーの意匠に合わせられた。
外観はグリルレスで、光りものもヘッドランプリムとその間のモールだけと簡素で、平面的なキャブ構成と相まって非常に簡潔なデザインとなった。このモールはベンチレーター用エアインテークの目隠しも兼ねる。前面下部とバンパーには冷却気を導入する長穴が備わる。
バンとコーチはこの前面に揃えたモールが全周に入っており、リアドアはスライド式で左側のみに備わる。リアドアのアウタードアハンドルが後ろ(Cピラー)側に配置されていることが特徴であるが、これは、スライド式のプラグドアに付きものの、二方向へ力が分散する(ドア後端の軌跡が屈曲する)ことによる扱いづらさを軽減するもので、力任せに閉める必要が無いことから、けがや荷はさみをも防止できる優れたアイディアであった。しかし、その後のワンボックスカーでは、ラッチ・ロック機構とプルハンドルを前方一箇所でまとめる方式が主流となり、他車への波及は見られなかった。バックドアは8:2分割の上下開きで、下扉の開き位置は通常では水平であるが、両側のステーを外すことで「アオリを切る」(トラック同様のドロップゲートとして、真下に向ける)ことができ、より荷室の広い範囲に手が届くように配慮されている。
勇はサニーキャブに呪文をかけた。「ラーメブンラーメブン」🌀
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