第3話声を聞くまでは

 昔から私は耳が良かった。


 音階を聞き分けることも出来るし、物が発生させる音の特徴も覚えるのも、再現することも簡単だった。


 不快な音、心地よい音と感じる感覚は人よりずば抜けて高く、だからこそ不用意に嫌な音を聞かないようにと、イヤホンやヘッドホンをつけていることが多かった。


 昔はクラシック音楽ばかり聴いていたけど、今は、お気に入りの男性声優の声をつなぎ合わせてた音声をループして聞いている。私にとっては水と同じぐらい、生きていくのに必要なものだ。


 お母さんの再婚相手と顔合わせすると言ってた日も、いつもと変わらずイヤホンをつけてお気に入りのボイスを聴いていた。


 お母さんに「一度会ってから判断して」と言われたから、我慢して着いてきたけど、どう見ても一緒に住みたいと思える人じゃなかった。カッコイイんだけど、だからこそ話しかけにくいタイプ。近くにいて欲しいとは思わなかった。


 そう、声を聞くまでは。


「父から紹介してもらった、涼風優希です。大学を卒業して、今はフリーでエンジニアをやっています」


 優希様の声を聞いたとき、全身に電撃が走って、一瞬にして脳がとろけてしまった。


 それと同時に、友達が話していた恋バナのことを思い出す。


 あれは恋に落ちるきっかけだった。


 みんなは、顔や体格、性格、お金、頭の良さなんて上げていて、恋をしたことがない私はなにも共感できなかったけど……うん。今なら凄く分かる。


 優希様の声で恋に落ちた。

 私の恋は耳から始まったのだ。


 優希様の声を聞くだけで、頭がぼーっとしてくる。全身が温かい何かに包まれているような感じがする。名前を呼ばれたら幸せすぎて意識が吹っ飛んでしまう。もう何回、気絶しそうになったか分からない。


 こっそりスマホで録音した音声をループ再生して聞き続けていると、体がうずいて火照ってくる。部屋で処理するのが大変だ。


 あの人が、怒ったとき、悲しんだとき、喜んだとき、どんな声を出してくれるのだろう?


 そうやって妄想するだけで、ご飯三杯は食べられる。もしかしたら、声で妊娠してしまうかもしれない。科学的にあり得ない妄想を実現できてしまうのではないか、そんな馬鹿げたことですら、肯定してしまうほど夢中になっている。


 声で脳がショートしてしまっているのかもしれない。


 修理は不可能だ。

 責任を取って欲しい。

 いや、取るべきだ!


 もっと仲良くなったら言ってみようかな。


 顔合わせの後、お母さんに「どうだった?」と聞かれたけど、答えは決まっていた。


 再婚を決めてくれてありがとう。

 運命の声に出会わせてくれてありがとう。

 これから毎日、幸せな生活が送れそうです。


 家に帰った後は、毎日聞いていた男性声優の音声は全て削除して、顔合わせ中に録音していた音声をパソコンにコピーしていく。ヘッドホンをつけながら、音声編集ソフトを立ち上げて雑音を消し、優希様のボイスだけを抜き出す。


 どれも素敵な声なのは変わりないんだけど、そのなかでもお気に入りのフレーズだけを残していく。一緒に生活していけば優希様の声はいつでも録音できるので、お気に入り集は作り放題!


 あぁ、天国はここにあったんですねッ!!


 寝る前にイヤホンをつけて音量を下げて、「麻衣さん」と呼び続ける声をループさせる。


 幸福感が全身に広がっていく。

 もうこの声なしでは生きていけない。


 そんなことを思いながら意識は落ちていき、当然のように優希様の夢を見るのであった。

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