第28話 食事と旅行と二人の関係:割烹『撫子』
「……」
目の前には先付けとして、オクラとかぼちゃの和え物が出されている。出来る限りゆっくりと、口の中で味わう。いずれも野菜の美味しさが引き出されており、とにかく満足感が凄い。
それなのに、食卓の空気は海に沈んだように静かである。
「……」
相葉もちらちらと僕の方を見ながらかぼちゃを頬張っている。彼女は今朝からこの調子で、ほとんど話してくれない。昨日、海で別れてからほうほうの体で部屋に戻ると、彼女は布団を被って眠ってしまっていた。そのため、昨日の行為についてまだきちんと話せないまま、今、割烹『撫子』の卓についているというわけだ。
「お、お、お……美味しい、ですねぇ」
彼女のそんな態度は初めて見る。多分、どうして良いか分からないのだろう。
「あ、ああ、あ……そうですねえー」
ちなみに僕もどうしたらいいか分からない。せっかく、こんなに美味しい料理を前にしているというのに食事どころではないという始末だ。
先付け、椀物、向こう付け、焼き物、煮物、強肴と僕らは特に会話もなく黙々と食べ続ける。どれも美味しいのだけれど、気恥ずかしい雰囲気できちんと楽しめないのは申し訳なくて仕方がなかった。
甘味の前の締めくくりご飯ものが出される。これが一番食べたかったもので、前もって予約のときに『これを!』と強くお願いしていた。こんな状況でもこれだけではきちんと楽しみたい。そう思って、僕は相葉に話しかける。
「相葉」
「ひゃいっ!」
急に声をかけられたせいだろう、相葉は正座したまま数センチほどは飛んだだろう。
「……大丈夫?」
「もちもち、ろん!ですっ」
凄いところで噛んだり区切ったりしているが、まあいいか。
「落ち着け。取って食おうというわけじゃないんだから」
「うぇい!」
この子はもう駄目かもしれない。しかし、とにかく話を進めなければならんのだ。このあと出てくるご飯を楽しみたいし……相葉にも是非楽しんでもらいたい。
「昨日のことだけど……」
「あ、あれはですね……その勢いというかなんというかっ」
「……ジョークとかそういう類?」
つい胡乱な目を向けてしまう。あれのせいで昨晩はあんまり眠れなかったのだ。これくらいの目線になるのも当然だ。
「い、いえ!ちょっと勢いは付けすぎな感はありますが……」
彼女はそこで少しだけ止まり、顔を伏せる。僕は焦らずに彼女の言葉を待つ。少しの沈黙が再度訪れるものの、決して不快なものではない。
「い、勢いというのはありますが!決して嘘偽りの気持ちの元にやったわけではないです!」
彼女はがばっと顔を上げてそんなことを宣言する。顔は真っ赤だが、その言葉にはきちんと誠実な気持ちが籠もっているのを感じ、僕の頬も少しの赤が見ているに違いません。
「……そっか」
「はいぃ……」
さて、僕は彼女の言葉にきちんと返事をしなければならない。といっても別に考える必要もない。ある意味では気楽で気軽に答えていいだろう。なので、あっさりと――そういう風に装って――僕は答える。
「そっか。僕も君のことがかなり好きだし、好感を持っている。ということで、お付き合いしましょうか」
「……え?」
「なにさ?」
恥ずかしさを噛み殺して返事をしたんだから、そんな素っ頓狂な反応は止めて欲しい。
「え……ちょっと、予想外の反応というか?」
「イヤだった?」
「いや、めっっちゃ嬉しいんですけど……なんか軽すぎない?」
敬語を使うことも忘れて……いや、お付き合いするのなら別に頑張って使う必要もないのか。とにかく、彼女は納得がいかない、とでも言うかのように首を捻っている。
「軽く見えるように振る舞っているだけさ」
「ほんとかなあ……」
「ほんとだよ」
と、言っていたところで部屋に釜が運ばれてくる。僕はそれをみて顔がにやけるのを止められない。
「その表情をさっき見せてよ……」
そんな呟きが聞こえてきたが、スルーしよう。
「この釜飯が本当に好きなんだよねえ……」
「わ、私よりもですか!?」
「返事に困るようなことをいうなっ」
僕らのそんな会話を給仕の女性はくすくすと笑いながら見てくる。よく知っている人にこんな会話を聞かれるとか、恥ずかしい……。
「はい、鯛めしでございます。どうぞ好きなだけ装って食べて下さい」
あくまで仕事中です、という態度は崩さず、彼女は静かに部屋から出ていってしまう。
「ほほお、鯛めしですか。結構シンプルな料理ですね」
相葉はようやく調子を戻してきたのか、中腰で釜の中を確認しながらそんなことを言う。
「そうだよねえ。でも、滅茶苦茶美味しいんだよ」
僕は茶碗に軽くよそって相葉に差し出す。
「ありがとうございます!」
いえいえ、なんて生返事をしつつ、僕は自分の茶碗にこんもりとよそう。
「改めて……いただきます」
仕切り直し、とでもいうかのように相葉は挨拶をする。彼女もちゃんとご飯を楽しめていなかったのかもしれない。ここで切り替えてちゃんと味わおうというのだろう。その意図を察して、僕も同じように挨拶をする。
「いただきます」
釜飯の味は……いつもよりも美味しかったと思う。
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