第27話 食事と旅行と二人の関係:月下の散歩

浜辺を、僕らは肩を並べて歩く。夕食前にも感じたとおり、やはり夜の海は飲み込まれそうな暗さを持ち合わせており、少し怖い。それでも肩が触れそうな距離に相葉がいて、彼女の横顔越しにしか海は見えない。だから、その恐怖感は随分と軽減されており、充分にこの散歩を楽しめた。

「月がきれいですねー」

意味深な言葉を相葉は呟くが、これはそういう意味ではないだろう――多分。だからこそ、僕は「そうだね」と軽く頷くだけに済ませた。

「最近どうです?」

なんとも曖昧なボールを彼女は僕に投げつける。

「どうって言われてもなあ」

最近のことと言われて思い出すのは……大体が相葉とご飯を食べていることだ。中華、喫茶店、イタリアン、甘味処。そして今日の旅館ご飯。

「僕の最近のことで話題になるようなことは、概ね相葉と一緒にご飯を食べていることだよ」

それを聞いた彼女はくすくすと笑う。月下でのその笑顔は妙に輝いて見えて、どきりとしてしまう。

「それは私もですよっ。最近のこと、思い出すのは概ね正文さんと色々な料理を食べていることですね」

「そうなのか?てっきり色々な友人と遊んだりしているんじゃないのか?」

社交的な彼女のことだから、僕とばかり出かけているということはないと思うんだけど。

「そうでもないですよ。確かにお友達と遊びにいくこともありましたけど……やっぱり、思い出すのは先輩のことです」

彼女は立ち止まり、海に浮かぶ月を見つめる。海風が彼女の後ろ髪をふわふわとなびかせ、それとともに甘い香りが鼻に届き、妙に落ち着かない気持ちにさせられる。

「……ほおら、やっぱり今日は月が綺麗です」

くるりと振り返った彼女の姿は――僕が触れてはいけないような神聖さを感じさせた。その姿に僕は何も考えられなくなってしまう。ただただ、彼女のわずかに浮かべた微笑みをいつまでも見ていたかった。

「……」

僕は何かを言おうとして、その思考は口から出ることはなかった。何を言っても無粋になってしまう気がしたからだ。

「そろそろ、戻りましょうか」

そう言って、相葉は旅館の方に身体を向ける。それを少し眺めて、「せんぱい?」と声を掛けられたところで我に返った。

「あ、ああ。そうだね。いつまでもここにいたら身体が冷えてしまう」

動かなかった身体はようやく僕の意思についてきてくれた。

「……あ、そうだ」

何かを思い出したのか、相葉は再度僕の方を振り返る。

「ん?どうかしたの?」

「えーと……」

彼女と僕の距離は一歩分。彼女はそれを一気に詰める。

「へ?」

僕の口から間抜けな声が漏れるが、彼女はそれを意にも介さない。

「ん……」

そして少しだけ空いていた僕の唇に――彼女の唇が重なる。少し感じていた寒さは一瞬で吹き飛ぶ。身体の芯から燃え上がるようなその熱量に僕から先程摂取したばかりのカロリーが消費されていくように錯覚してしまう。

「な、にを」

「んっ」

離れようとしたところで、二度目の接触が僕に襲いかかる。当たり前だけど偶然やちょっとした悪戯心に基づくアクションではないのだろう。二回の接触で僕の思考は海の中に流されて、ただ身体に熱だけを残した。

「あ、う……」

何も言えない僕に彼女は、ほんのりと桜色になった頬のまま笑いかける。

「正文さん、好きですよ……そ、それじゃあ、先に戻りますから!」

相葉は走り去り、僕だけが取り残される。呆然と彼女の背中を見ていると、残像のように視界の端に海がちらつくが、そこからはもう恐怖のようなものは感じなかった。



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