第16話 ピザ問答:イタリア食堂『ぐらっつぇ』⑦
相葉はうとうとしているのか、彼女は全身の力を抜き身体を預けており、その頭は僕の顔の真横にある。時折、彼女の右耳と僕の左耳が触れ合い、そのことが僕の心臓に打撃を与える。
「くっそ」
別に苛立っているわけでもないのに、そんな言葉が僕から漏れる。変な気分になってしまう前に早く帰ろう。それだけを考えて僕は残り半分ほどの道のりを急ぐのだった。……相葉が起きないような程度のペースは守っているから、そこそこの速度だけど。
普段ランニングをしているから結構体力はあるつもりだ。そして相葉は随分と軽い。基本的に3Dプリンターの個人食を食べている人間は決して太らない。そう考えると、いまの女性はこれくらいの軽さが普通なのかもしれないのだが。
そんなくだらないことを出来る限り考え、相葉の温もりを頭から追い出していると、気付けば自宅の前に着いていた。
「相葉、着いたぞ!」
少しだけ声を大きくして、彼女に話しかけると、「ん……」という声が聞こえ、そのまぶたがゆっくり持ち上がったのを確認できた。
もうここまで来たら一緒だ、というやけくそな気持ちもあり、そのままエレベーターホールまで行ってしまう。
「何階?」
「……んー……一番上」
「了解」
彼女を背負ったまま、四苦八苦しつつも何とかスイッチを押し、最上階まで進む。
「どこの部屋?」
「つきあたりぃ」
「はいはい」
彼女は非常に眠そうだが、なんとか意識を保っている。彼女の部屋の前につき「立てる?」と聞くと、ゆっくりと彼女は降りてくれる。
「んー……」
そして腕の個人端末を認識し、自動的にドアが開く。家主を出迎えてくれるこういう機能はなかなか便利なものだ。
「相葉、大丈夫か?」
相葉は僕にしなだれかかるように立っていて、そのまま床に座り込んでしまいそうにも見える。しかし、最後の力を振り絞って、というわけでもないだろうが彼女は僕から離れて、扉を後ろに僕に身体を向ける。
「せんぱぁい」
「どうした?」
「今日はありがとうございましたぁ……」
そのまま頭でも下げるのかと思いきや、彼女はそのまま僕に抱きついてきた。
……え、なんで!?」
「ちょ……」
「たまにはいいじゃない……」
完全に寝ぼけているのだろう。そのまま額を僕の胸にこすりつけながら、両手をそっと背中に回す。対して、ちょっと情けないことに、僕は硬直してしまい、両手を空中にさまよわせるだけだった。
30秒か、一分か。あるいはもっとかも知れない。とにかく、いくばくかの時間が流れてから彼女はばっと離れた。
「えへへ、それじゃあまた今度っ。おやすみなさい!」
「え、ああ……おやすみ!」
僕の締まらない表情での返事を聞いて、ひときわにこやかに相葉は笑って、ドアの向こうに消えていった。家主の侵入を感知したドアは自動で閉まっていく。音もほとんど立てずに閉まるそのドアを呆然としたまま僕は見送ることしかできない。
「……振り回されている、な」
激しく脈動する心臓をあえて無視して、僕はため息をつく。
「帰ろう」
そうやって言葉に出さないと動けそうになかった。このまま立ち尽くしてもどうしようもないのだ、そう言い聞かせた僕は油の切れたロボットのようにぎこちなく歩いてエレベーターへと向かう。
今日は、笑ったり、怒ったり――どきどきしたり。あまりに目まぐるしい一日で、おまけにお酒の影響もあるのだ。すぐに眠れるに違いない。
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