第8話 カフェ訪問:純喫茶「もったり」⑤

大満足のプレートを食べ終わり、波瀬さんがそれを片付けてくれたところで、手動のミルを用意してくれた。

「なるほど、『体験』というのはそういうことですか」

波瀬さんはウィンクで僕に答える。その姿は非常に様になっていて、こんな風に年を重ねたいものだと思わされる。

「これなんですか?」

相葉は興味深そうにミルを逆さまにしたり、挽いた粉を貯める木製の引き出し部分を引っ張ったりしている。そりゃあ知らないよな。レトロレトロの時代にだって彼女と同じような反応をした人も多かっただろうし、ましてやこの時代の人間ならその反応も仕方ない。

「これはコーヒーミルです。せっかくですので、お二人に豆を挽いてもらおうと思いまして」

「ええ!いいんですか!?」

彼女はミルを頭の上に掲げて、驚きと喜びを表現する。相変わらず、なんというか……

「相葉、はしたないぞ」

「正木さん!これは全力で喜びを表現する場面ですよ!」

「はっはっは、喜んでくれて何よりだ。さあ、豆をいれよう」

そう言って波瀬さんは僕らの前のミルに一杯分の豆をセットしてくれる。僕も手動のミルなんて随分久しぶりに使うので、少し懐かしい気持ちでゆっくりと、一定の速度を心掛けつつハンドルを回し始めた。

すぐに複雑でありながら、鼻腔を刺激するコーヒーの香りが室内に広がる。やはり電動の方が楽ではあるが、こうやって自分の手を動かしながら至上の一杯を淹れようとするのも非常に趣があって良い。

ちらりと相葉を見てみると、彼女も手元の感触に目をキラキラさせながら、黙ってレバーを回していた。ちらちら僕の手元を見ながら、『見様見真似』という様子だが、僕からすれば結構ちゃんとできていると思う。

「あ、終わりました!」

ほとんど同時に僕らの豆が粉へと変わり終わる。波瀬さんは早速粉の様子を確認してくれる。

「うん、いい感じだ。それじゃあここのフィルターの上に入れてくれるかな?」

波瀬さんは、今度は紙フィルターを設置したドリッパーを差し出す。相葉は一粒でもこぼすものか、という気迫で丁寧に粉を移している。そのあまりに真剣な様子に僕はつい笑ってしまった。

「正木さん、なに笑ってんですか!」

「ごめんごめん、あんまりに真面目な顔だったからついね」

「もぉー……はい、終わりっ!」

「よし。それじゃあ、ここにお湯を回しいれましょう。この作業は私が……」

波瀬さんはと軽く机にドリッパーをぶつけて粉を平らにする。そこに細長いノズルの付いたドリップ専用のポットから、ゆっくりお湯を注いでいく。まずは軽く回しいれて、ドーム状にコーヒーの粉が膨らむのを確認する。

「おお……」

相葉はその様子を目を丸くしながら、食い入るように見ている。そして、お湯に誘われるように、先程にも増して一気にコーヒーの香ばしい香りが開いていく。やっぱりこのお店はこうじゃなくちゃ、なんてつい思ってしまう。オムライスや他の食事も最高に美味しいのだが、ここは純喫茶なのだ。コーヒーが無ければ嘘である。

波瀬さんは十分にドームが大きくなったのを確認してから、それを崩すようにさらにお湯を注いでいく。少しずつ、少しずつ、焦らないことが肝要。しかし、徐々にサーバーの中に黒い液体が溜まっていき……

「よし」

最後の仕上げと言わんばかりに、波瀬さんは小さなカップに高い位置から一気にコーヒーを注ぐ。空気を十分に含ませることによってさらに香りを際立たせる素晴らしい技術。僕も家で真似しているのだが、成功率は二流の野球選手の打率程度だ。

「さあ、ご賞味あれ。どうせだからケーキも用意しよう」

ぴくりと僕はその言葉に反応する。

「……あそこの、アレですか?」

「そう、君も大好きなアレだよ」

「よっし」

僕はついつい拳を握って喜びを表現してしまう。相葉はそれをびっくりしたように見ている。そんな僕らの様子を波瀬さんは笑いながら見て、再度キッチンスペースに入って行った。

「正木さんがそんな風に喜ぶのを初めて見ました」

「それだけいいものが出てくるから、楽しみにしておくんだ!」

「えー、ハードル超上がりますよ!」

きゃっきゃと相葉は喜ぶ。

「でも、先に一口頂きます……」

そう言って彼女はゆっくりコーヒーを口に運ぶ。

「……美味しい」

彼女は静かにそれだけを言って、ゆっくりカップをテーブルに置いた。僕としてはしてやったり、だ。

「自分で淹れるとまた格別だよね」

「本当に……私が飲んできたプリンターのコーヒーと全然違います」

実際、プリンターは液体系、つまり飲み物を不得手としている。食感や見た目の総合力で勝負できないからなのが一要因だが、そんなことを今言うのは無粋だろう。美味しさ+体験。波瀬さんのお店で、彼女も得るものが多かったに違いない。

僕は彼女の様子に満足して、この後出てくるであろうにそわそわしつつ、自分のコーヒーを楽しむのだった。

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